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◯教のおもいで(私意、雑感)

日本でたぶん最も歴史の深い宗教
宗派があるから詳しくわからないけれど
なぜかYouTubeにあがってきたので
いくつか新年にみてみた

最初はなるほどと感じつつ
中盤から「辛くてもその場に居続けて
ねばった人がすばらしい」と繰り返している
ような印象を受けた

なんというか
「与える」ということは強調するが
撤退とか様子を見極めて「引く」
という発想がないような感じ

明らかに見るとか諦めるとか
そういう話も以前どこかで
聞いたような気がするけれど…

今回見かけたものは
もらうよりも「与える」
「与える」を
連呼するが
相手に必要なことを
そんなに適切に
見極められるものなのだろうか

「与える」というのは
驕りを感じる

それとも喜ばしい行動は
基本身近な地域で共通という
着想だろうか

昔きいた
こどもの実の親を名乗る人が
2人現れた話を思い出した
片方はなりすました鬼

両者が子を掴んで
それぞれ自分の方向にひっぱったが
痛がる子の様子をみて
最初に手を離した方が親だった
そういう解釈は昔の日本的では
ないのかな

以前出会った年配の方で
寺に行くのが好きだという人がいたが
その人の日常は整っておらず
いじわるで未熟な雰囲気

今なら「誰でも完璧ではない
道の途中」と思えるが
そのときは寺関係の学びを
好んでいてもこれなのか
となかなかショックだった

その道を本当に極めたければ
さまざまな角度から
学ぶ必要があるだろう
わたしは触手がのびなかったが
批判できるほどもよく知らない

ねばり強さを評価するだけでなく
状況を見極めて
最善を尽くすよう挑戦する
柔軟に変化していく
そういう発想は
ごくごく近年のものでまだ、
まだ浸透していないもの
なのだろうか(ただの疑問です)。


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