キョンみく同人誌再録『彼と彼女の約束』1

プロローグ

 わたしには――わたしたちにとっては、人間の言う時間や空間の概念というものはあくまで情報の一側面でしかない。故に情報の収集に、時間も空間も、世界すら関係は無い。情報は常にそこにあり、常に観察され続ける。あらゆる事象を記録し続ける。時間という本来一方向性しかない情報の流れすら、我々ならば全て等しい存在にすることができる。過去も未来もなく、ただ全てが等しく、蓄積されていく。
 かつては、そうだった。全てを蓄積していく。過去も未来も。選ばれなかった数値の世界すら、全て。わたしは全てを記録し、記憶していた。
 していた――今は、違う。
 わたしは封印した。現在の私から繋がる線を封印した。未来へと伸びる線を封印した。今のわたしには、未来が見えない。かつての未来予知に等しい情報分析は全て封印され、わたしには膨大な過去(現在のわたしが居る時間軸上の点より過去に存在するもの全て)と、進み続ける現在しかない。
 未来を知っていることは――人間の言葉を借りるのならば――つまらない。
 わたしには感情が無かった。情報統合思念体からすれば宇宙の微分子でしかない人間とコミュニケーションを取るために人間の姿を真似て作られただけであるため、当然であるが。
 だが彼らと共に過ごしていくうちに、わたしにはおそらく、感情が芽生えた。
 おそらく、感情である。時折、ごく僅かに、感じる。エラーにも似た何か。
 そのエラーに従うならば、わたしは今、こう思っている。
 共に楽しみたい。
 未来を知っていることは、そのためには、邪魔だった。
 故に封印した。何も知らないまま、何も計算しないまま、わたしは在りたかった。その状態でも、記録、観測には支障がない。何も問題は無い。何の問題もなく、彼と――彼らと、共に過ごすことができる。彼らと共に、日々を過ごし、涼宮ハルヒの起こす事件を楽しみたかった。
 その上で、わたしには、目標がある。憧れがある。
 わたしは、朝比奈みくるのようになりたい。
 彼女のように過ごしてみたい。彼女のように、彼の傍に居たい。彼の傍で泣き、笑い、朝比奈みくるのように、愛されたかった。
 愛されたい。
 わたしは彼に――愛されたい。
 結局のところは、それが一番の理由だ。彼女に憧れるのは。
 ……だからわたしは、彼女のことを改めて観測――異時間同位体、異世界同位体も含めて――した。彼女のこれまでと、そして、封印した未来、彼女のこれからをわたしは閲覧した。わたしでないわたしの観測、記録したそれらを眺めて――わたしは、これまでとは別種のエラーが発生していることに気づいた。朝比奈みくるのこれから辿る可能性の未来、それらを閲覧して、エラーが生じた。わたしが望む未来はどこにもなかった。朝比奈みくるが、わたしの望む未来を得る未来はどこにもなかった。
 朝比奈みくるが彼に対して、わたしと同じ感情を抱いていることは、知っていた。
 彼を前にした時の心拍数や体温といった変化は、彼女が彼に対して通常でないことを示している。それこそがきっと愛であり、恋であるのだろう。
 朝比奈みくるの恋は成就しない。愛は通じない。彼女の笑顔はいつでも涙と一緒だった。人間は嬉しい時にも涙を流す生き物だ。観察していればわかる。だが朝比奈みくるのそれは、喜びの涙ではない。悲しみの涙だ。
 いくつもの朝比奈みくるの涙。それが、わたしの心にエラーを生じさせた。
 悲しみ――というものなのだろうか。これは。
 同種のエラーは、わたしでないわたしも感じているようだった。記録にそれは表れていた。
 そう思い至った時に考えたのは、こういう時に彼ならばどうするかということだった。
 大切な人が泣いていたとしたら、彼はどうするだろうか。
 きっと、何かするだろう。
 わたしがかつて犯してしまった過ちを正してくれ、わたしを守ってくれた彼ならば、きっと、朝比奈みくるのために何かをしたはずだ。
 それならば――
 やることは決まっていた。
 わたしでないわたしたちがしていないことをするしかない。
 現時点でどこにも観測されていないのであれば――この世界で、観測するしかない。
 わたし自身と、朝比奈みくるとを比べて、わたしは、朝比奈みくるを選ぶことにした。
 この世界でのわたしは失恋ということになるのだろうが……おそらく、別のわたしがこのことを活かしてくれるだろう。彼のことは別のわたしに、譲ることにしよう。
 
 
 ゆえに、これより始まるのは、わたし――長門有希が朝比奈みくるを助ける物語。
 彼と彼女と、わたしの物語。
 わたしにとって、大切な人たちの、物語。



三冊目の同人誌を、noteの機能の確認ついでに公開することにしました。
長門協力編。朝比奈みくるへの憧れと友情から、長門がサポートに回る、というお話です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?