『彼と彼女の約束』2 わたしができることは

第一章 わたしができることは


 放課後になった。HRを終えて文芸部室にやってくる。
 今は一月。わたしよりも先に、この部屋に居る人間が居る。朝比奈みくるだ。
 ドアを開けずともわかる。部室の中には、彼女が一人。わたしたちと違って授業のない彼女は、いつもこの文芸部室に居る。
 ノックをせず、ドアを開ける。
 ちょうど彼女は、机に向かい、ノートに何かを書いていた。彼女がこちらを向く。わたしは、彼女を一瞥して、自分の席へと歩き出した。
「こんにちは」
 彼女の声に視線で答えながら、わたしは椅子に座った。近くの机に置かれていた本を取り、読み始める。すると、彼女は、ノートを閉じて鞄の中にしまいこんだ。
 彼女が何を書いていたのか、少し気になった。見ることは容易い。しかしそれは、人として許されることではない。人間ではないわたしがそう思うのはおかしいことかもしれないが。気になることがあっても、簡単に確かめられない。もどかしい――けれど、それでいい、それがいい。知りすぎることはつまらない。知らないからこそ、楽しいこともある。いや、この場合は少し違うか。知らない方がいいこともある――が正しいか。机の上には、ノート以外には無かった。ということはあれは朝比奈みくるのプライベートな物と推測できる。だから、知らない方がいい。彼女が何を思い、何を考えているのか。わたしは推測する。人間のように。
「長門さん、すぐにお茶淹れますね」
 朝比奈みくるは、ノートをしまってからしばらく、わたしの読む本を見つめていたが、やがて立ち上がり、そう声をかけてきた。わたしは、彼女を見ずに、頷く。
 やかんを持って、彼女は部室を出る。少しして、重そうに両手でやかんを持って戻ってきた。うんしょ、うんしょ、と言いながらやかんを運ぶ朝比奈みくる。その姿は確かに庇護欲をそそられる。彼が朝比奈みくるを気にする理由もよくわかる。手伝おうかとも思ったが、そう思っているうちに彼女は運び終えてしまった。
 彼女はやかんを火にかけると、何故か視線をこちらへと向けてきた。少し微笑みながら見つめてくる。
 少ししてから、顔を上げて、わたしは彼女を見つめ返した。すると彼女は、「あ、なんでもないですよ」と言ってやかんの方を向いた。無言だったから、わたしが怒っているとでも思ったのだろうか。少し、後悔する。どうしたの? とでも言えば、反応はもう少し違っていたかもしれない。反省。
 後悔と共に、再び本へと視線を戻す。本を読みながら、朝比奈みくるを観察する。
 固体名、朝比奈みくる。女性。未来人。先輩。美少女。小柄。豊満。マスコット。メイド……
 彼女を構成する要素をとりあえず列挙してみる。皆に愛される朝比奈みくるを構成する要素全てを。
 わたしは彼女がうらやましい。
 わたしは、望めば何でも出来る。彼女は、望んでも何も出来ない。未来人とはいえ、彼女はただの人間。それは当たり前。
 だけど、何でも出来るからこそ、わたしは彼女のように出来事を楽しめない。彼女のように右往左往できない。彼と共に楽しめない。彼と一緒にもっと色々なことを、わたしはしたい。彼と一緒になって、喜んだり、泣いたり、笑ったりしたい。
 ――わたしは、朝比奈みくるのようになりたい。
 いつも考えていることを思い浮かべている内に、湯が沸いた。朝比奈みくるはやかんを持って、急須へと湯を注いだ。その急須から湯呑みへと湯を移し、再度湯呑みから、茶葉を入れた急須へと戻そうとしたその時、
「熱っ」
 悲鳴と共に、湯呑みが――わたしの湯呑みが、朝比奈みくるの手を離れた。あれは、割れる。
 甲高い音と共に、わたしの湯呑みが床に叩きつけられて、割れた。
「あ、あわわわわわ……」
 朝比奈みくるは湯呑みを割ってしまったことに、かなり狼狽していた。
「え、えーと、雑巾ー! じゃなくて箒―!?」
 顔を青くして、彼女はわめく。が、混乱しきってしまったのか、朝比奈みくるは、ついには床に座り込んでしまった。あれでは破片があって危ない。
 わたしは無言で本を椅子の上に置いて立ち上がり、掃除用具入れへと向かった。朝比奈みくるはまったく気づいていない。
「……」
 掃除用具入れから、箒とちりとりを取り出して、朝比奈みくるに近づく。
 と、ようやく落ち着いたらしい。朝比奈みくるは立ち上がり、そこでわたしに気づいた。
「あ、な、長門さん、ご、ごめんなさい! あたしの不注意で……」
 少し震えながら、深々と頭を下げる朝比奈みくる。わたしは彼女を半ば無視する形で箒を脇に抱えてしゃがみこみ、手で拾える破片は手で拾い、ちりとりに集めた。
「……雑巾」
 未だ頭を下げている彼女にそれだけ告げる。彼女は少し間を置いてから、慌てて返事をし、雑巾を取りに行った。わたしはその間に拾った破片をゴミ箱に捨てた。その後に彼女は雑巾で濡れた床を、細かい破片を集めるかのように拭いた。彼女が細かい破片を一箇所に集めると、わたしはその破片を箒で掃き、ちりとりで取ってゴミ箱へと捨てた。朝比奈みくるは再度床を拭き、ゴミ箱の上で雑巾を叩いてから、慌てた様子で雑巾を洗いに廊下へと出て行った。わたしは箒とちりとりを掃除用具入れに戻し、定位置に戻る。
 本を取って椅子に座り、先程まで読んでいた箇所に目を通し始めてからしばらくして、朝比奈みくるが戻ってくる。雑巾をしまった彼女は、わたしに歩み寄り、横に立った。
「長門さん、本当にごめんなさい」
 彼女は深々ともう一度頭を下げた。何が彼女をそこまでさせるのだろうか。わたしはまったく気にしていないのに。それよりも――
「……ケガはない?」
 そちらの方が心配だった。ケガが無い事はわかっている。だが、彼女の方を向いて、尋ねる。たとえわかっていても、心配だから尋ねたのだ。きっと、そういうことが必要なのだ。
 すると、彼女は顔を上げ、
「だ、大丈夫です。あの、なんてお詫びをしたら良いか」
 怯えている様子で、彼女はわたしを見つめる。
「わたしは気にしていない。貴女がケガをしていないならそれでいい」
 わたしは、それだけ言って再び本へと視線を落とした。もしかしたら、わたしが見つめると彼女は怯えてしまうのかもしれないと思ったからだ。その行動は間違っていなかったらしい。朝比奈みくるは再度頭を下げて、先程まで彼女が座っていた席へと戻った。
 横目で、彼女を見やる。
 力なくうな垂れた彼女は、何度も溜息をついた。落ち込んでいるようだ。目元に滲んでいるのは――涙?
 ――この場合はどうすればいいのだろう。
 彼女が落ち込んでいる姿を見るのは辛い。わたしの理想である彼女は、笑っていなければならない。
 そう思っていると、自然に体が動いた。立ち上がり、わたしは彼女に歩み寄る。
「……長門さん?」
 彼女は、ゆっくりとわたしの顔を見上げた。
 以前、本で読んだ。こういう時に、人間はどうするものなのかを。いくつかの手法が思い浮かんだ。それらを実行すべき時は今だろう。わたしはその中の一つを実行することにした。
 わたしは彼女に手を伸ばした。びくっと身をすくませる彼女。わたしは、構わずに彼女に――彼女の頭に自分の手を乗せた。そしてゆっくりと、彼女の頭を撫でる。
「人間は大切な人を慰める時に頭を撫でると聞く」
 彼女は、驚いたように呆けている。
 彼女の頭を――慣れないため、加減が難しいのでゆっくりと撫でながら、わたしは彼女に言葉をかける。
「……貴女はいつも頑張っている」
「……」
「貴女が頑張っていることはみんなわかっている。だから失敗しても落ち込んではいけない」
「……な、長門さぁん」
 そこで突然、彼女に抱きつかれる。腰にしがみつかれ、わたしは少し驚いた。泣くのだろうかと思ったが、彼女は泣かなかった。
 驚いて一瞬止めた手を、再び動かす。
 彼女が少し顔を上げる。その目に、もう涙はない。
 ――やはり、朝比奈みくるに涙はいらない。
 朝比奈みくるに似合うのは、笑顔しかない。何故なら――わたしは、そんな朝比奈みくるが大好きだからだ。
 
 
 その翌日のことだった。
 昨日のように、わたしが文芸部室に来た時は、朝比奈みくる一人だった。彼も、涼宮ハルヒも古泉一樹もまた来ていなかった。
 昨日と同じように部屋に入り、昨日と同じように、わたしは無言のまま朝比奈みくると挨拶をかわし、本を読み始める。
 だが昨日と違い、朝比奈みくるは茶を淹れるのではなく、わたしに話しかけてきた。
 おずおずといった様子で、その顔は、少し緊張しているように見えた。
「長門さん、今度の土曜日空いてますか?」
 その問いに、わたしは短く答えた。
「空いている」
 そのまま、逆に問いかける。
「なにか、用?」
 すると彼女は、怖がっているかのように半歩後ずさった。わたしの言い方がよくなかったかもしれない。
「……ええと、お洋服を買おうと思ってるんですけど、その、一緒にどうかなぁって思って」
「……そう」
朝比奈みくるの方からわたしを誘うというのは非常に珍しいことである。だが、理由は理解した。わたしを誘うという朝比奈みくるの意図はわからないが――わたしに意見を求めるわけではあるまい――断る理由はない。それどころか、わたしにとっては朝比奈みくるのことを知る良い機会であるように思えた。彼女のことをもっと知れば、彼との仲を取り持つことにも役立つだろう。
「かまわない」
 わたしがそう答えると、朝比奈みくるは、安心したようにほっと胸をなでおろした。
「良かったです」
 
 
 待ち合わせはいつもの駅前に午後一時に、ということになった。朝比奈みくるの意見に従った。
 土曜日。約束した時間の十五分前に、わたしは集合場所に着いた。待ち合わせの際は、時間よりも早く来るのが人間のマナーだと学んでいた。朝比奈みくるはまだ来ていないようだった。朝に待ち合わせをする時も、彼女はわたしの後にやってくる。
 じっと、彼女がやってくるのを待つ。もうすぐやってくるだろう。じっと待つことには慣れている。数分の後、彼女はやってきた。今日の彼女は白いダッフルコートを着ていた。よく似合っていた。それに対して、わたしはいつものように制服である。これがわたしと朝比奈みくるの差か、と思った。今なら、よくわかる。
 朝比奈みくるはきょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた。わたしを探しているようだった。
 それを見て、わたしはいつもと違うことをしてみよう、と思った。人間で言うところの、気まぐれというものだ。わたしは静かに動いた。朝比奈みくるの視界に入らないように、彼女の死角に動いていく。そうして彼女の後ろにつく。やがて彼女は足を止めた。わたしの姿が見えないのを、まだ来ていないと思っているようだった。わたしは静かに彼女の背後に忍び寄った。
「朝比奈みくる」
 耳元で名前を呼ぶ。すると彼女は、今にも飛び上がらんばかりに驚いた。
「ひゃい!」
 彼女の奇声に、周囲の人間がぎょっとした様子で朝比奈みくるに視線を集中させた。驚き、慌てふためいた彼女は、振り向いてすぐ、その真っ赤になった顔で叫んだ。
「お、おどかさないで下さい!」
「……申し訳ない」
 うつむき、素直に謝ると、朝比奈みくるは急に言葉に詰まったかのように、口をつぐんだ。
「ちょっと驚かすだけのつもりだった」
「あ、いえ。その、あたしこそ変な声だしてごめんなさい……」
 彼女はそれで落ち着いたようだった。きょろきょろと周囲を見回してから、尋ねてくる。
「長門さん、いつからそこに?」
「貴女の来る四分五十二秒前」
「え? でも姿が見えなかったですけど……」
「貴女からは見えないようにしていた。そして、後ろに回った」
「……」
 朝比奈みくるは目をぱちくりとさせ、きょとんとしている。怒るかと思ったが、そうは思わなかったらしい。彼女の表情は驚きだ。何に驚いているのだろう。わたしの行動に、だろうか。
 おそらくそうだろうと思い、とりあえずは何も言わずにおく。
 やがて彼女はくすりと笑った。
「もう、長門さんたら。……ちょっと早いですけど、行きましょうか」
 彼女の言葉に、反対する理由はない。頷くと、彼女はにこりと笑った。
 朝比奈みくると共に、服屋を巡る。駅前の商業施設内には、いくつかのブランドが出店している。わたしたちはそこを巡っていた。
「うーん、これなんてどうでしょう。ああ、それともあっちかなぁ?」
 朝比奈みくるは、様々な衣服を持ってきては、わたしの身体に合わせてくる。自分の物は全く考えていないようだった。わたしの物を選ぶことが主目的であるかのようだった。
 狭い店内を目まぐるしく動き回り、うんうん唸りながら、彼女は何着かを選びだした。
「とりあえずこれとこれとこれ、試着してみません?」
 それらを渡してきて、返事も待たずに彼女はわたしを試着室へ連れ込んだ。連れ込まれて、あれこれ着させられる。朝比奈みくるの言うまま、されるがままに。だが、不思議と悪い気分ではなかった。鏡に映る自分の姿が変わっていくのは、楽しいと言ってもよかった。
 最初に渡してきたものだけでは満足できなかったのか、朝比奈みくるは他にも色々持ってきた。
 一通り試着を終えたところで、
「どうでしょう。長門さん、何か気に入った物ありました?」
 そう彼女が聞いてきた。わたしは、これまでに着た服を順繰りに眺めた。元々そこまで広くない試着室の中にいくつも服がかけられている。朝比奈みくる自身も手に持っている。それらを順繰りに見ていくのだが、わたしのその行動を見る朝比奈みくるの目が、非常に、鬼気迫るものであった。凝視されている。こんなにも力強い目を見たのは初めてである。何が彼女をそうさせるのか。そこまで気にはならず、また、わたしにとっては凝視されているからと言って人間のように落ち着かない、ということもないが、それでも我を失っているかのような朝比奈みくるを見ていることに抵抗があった。
「……落ち着いて」
 そう言うと、彼女ははっとしたようだった。
「ご、ごめんなさい」
握り締めていた手を緩め、冷静さを取り戻すためか、彼女は深呼吸をした。
 わたしは安堵し、服を選ぶことに戻った。先ほど試着した時から、気になっているものがある。それを手にとって、彼女の顔を見る。
「……これ」
「これですか? うん。とっても似合ってたから、いいと思います。あたしは、こっちもいいと思うんですけど」
 言いながら、朝比奈みくるは壁のハンガーラックにかけられていたものを指差した。それを着ていた時の朝比奈みくるの顔を思い出して、わたしは頷いた。
「それなら」
 手を伸ばしてそれも手に取る。
「これも買う」
 そう言うと、朝比奈みくるは嬉しそうに笑った。その顔を見ると、わたしも嬉しい。
 他の服を片づけて――朝比奈みくるが、持って来すぎましたとぼやいていた――から、レジへと向かう。
 レジにて店員に金額を告げられると、わたしは財布を取り出した。すると、朝比奈みくるはそれを制止した。
「あたしが誘ったんですからここはあたしが」
 そう言って自身の財布を取り出そうとする朝比奈みくる。わたしもそれを制止して、
「……これはわたしのもの。わたしが払う」
「いえ、あたしが払います」
「……それは駄目」
 お互いに財布を持っての言い合い。と、そこで朝比奈みくるは、自分たちが注目を集めていることに気がついたようだった。顔を赤くして、小さい声で、言った。
「いいです。長門さんにはいつもお世話になってますし、こういう時は先輩に任せるものですよ」
「…………」
顔を立てる、ということだろうか、これが。年上としての威厳を見せたい、という感情か。
 少し考えてから、わたしは答えた。
「……了解した」
 朝比奈みくるの顔を立てることにする。
 にこりと笑ってから、朝比奈みくるが支払いをする。会計を済ませて、洋服の入った紙袋はわたしが受け取った。
 店を出てから、朝比奈みくるに告げる。
「ありがとう」
「いえいえ。これくらいは別に」
 えへん、と朝比奈みくるは胸を張った。満足そうと言ってもいい誇らしげな顔だった。あまり見たことのない表情であったが、これが先輩、ということなのだろう。見た目には年上に見えないのであるが。
「……今度は貴女の分を買う」
 わたしはそう言って、彼女の手をとった。
「え?」
 驚きの声を上げる彼女の手をぐい、と引っ張って歩き出す
「わわっ、ちょっと待ってくださいよ」
 慌ててはいたが、彼女の声は穏やかだった。
 
 
「……今日は」
「どうしました?」
 買い物を済ませて、近くの公園にやってきた。ベンチに座って少し休憩。夕方になると暗くなっているのもあってか、人影も疎らだ。服やアクセサリー、色々なお店を見て歩いてのショッピング。朝比奈みくるはいつもよりもはしゃいでいたように見えた。そのせいか、少し疲れているようだった。
「疲れた?」
「ええ、少し」
 そう答えて、朝比奈みくるは苦笑した。その顔を見つめて、私は尋ねた。
「……今日は何故わたしを誘ったのか、その理由を知りたい」
「……」
 朝比奈みくるは、すぐには答えなかった。迷っているようだった。うつむき、しばらくしてから、ゆっくりと口を開いた。
 勘違いだったらごめんなさい、と前置きして、
「……ええと、その、おせっかいかもしれないとはわかってるんですけど」
「……」
「あたし、長門さんが、その、キョンくんのことが気になるように見えたから、その……」
「……」
「キョンくんはああいう人ですし、長門さんがもっとおめかしすればキョンくんも、と思って……」
 そう言って、彼女はわたしから顔を背けた。
「……そう」
 理由がわかると、実に朝比奈みくるらしい、と思った。わたしのことも良く見ている。これも、年上だからなのだろうか。しかしわたしと彼の仲を取り持とうとするのは、未来人としてはよくないと思うのだが。それも、朝比奈みくるの魅力、なのだろう。
 もっとも、同じ事はわたしもしようとしているのだが。
「……貴女はそれでいいの?」
 問いかけると、朝比奈みくるは弾かれたように顔を上げた。
「……どうしてです?」
「わたしが彼に持つ感情と同じものを貴女も持っているとわたしは認識している」
「……!」
 わたしから再び顔を背け、びくり、と朝比奈みくるの身体が震えた。
 後に続くのは、沈黙。
 わたしは、朝比奈みくるの言葉を待った。
 やがて、ぽつりと、つぶやくような声で、朝比奈みくるは答えた。
「……あたしはいいんです。いつかは帰るべき所があって、いつか絶対別れなければならないんですから」
 彼女の目に、涙が見えた。泣いている。拭いもせず、彼女は続けた。
「それに、あたしは長門さんも大好きですから、友達の応援をするのは当たり前です」
 そこでようやく指で涙を拭って、朝比奈みくるはわたしに笑いかけた。これが、朝比奈みくるの本心なのだろう。
 どう答えるか、わたしは迷った。自分でも、珍しいことであると自覚しているが、口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じ、を繰り返した。言葉を選ぶことの難しさを感じた。
 わたしは、すぅ、と息を吸った。
 友達であるから。大切な存在であるから。憧れであるから。
「……わたしも、貴女は友達だと思っている」
 静かに、告げる。
「だから、貴女が悲しむのは嫌」
「長門さん……」
「貴女だけが辛い思いをすることをわたしは望んでいない。それは認められない」
「でも、あたしは……」
「別れはいつかは誰にでも来るもの。……貴女の幸せをわたしは願う」
「……」
 朝比奈みくるは、黙りこんでしまった。沈痛な面持ちで、ただうつむいている。
 伝えたのは、わたしの本心。
 朝比奈みくるには幸せになって欲しい。彼のことを好きなのであれば、結ばれて欲しい。
 心――人間でないわたしが言うのもおかしいが――からの言葉であったが、朝比奈みくるの心を動かすには至らない。
 わかっている。わたしには彼女のこの表情を変えることはできない。わたしではできない。
「……ありがとうございます」
 そう言って、彼女は笑った。涙こそもうなかったが、泣きそうな顔にも見えた。
 わたしは手を伸ばした。彼女の手に向けて。彼女の手に、自分の手を重ねる。
 朝比奈みくるは目を見開いた。しかし何も言わなかった。何も言わずにまた、泣きだしそうな顔になった。
「……」
 彼女の心を変えられるとすれば、それはきっと、彼にしかできない。いや、すれば――ではなく、きっと、できる。彼ならば、きっと。
 朝比奈みくるの横顔。弱弱しげにうつむいている顔。こうしたのは、わたし。
 わたしにできることは?
 友達として、彼女のためにできること、それは――



第一章でした。この第一章は、私が初めて書いたハルヒ二次創作のお話でした。キョンみくの専門を名乗っていますが、一番最初に書いたのは、長門と朝比奈さんのお話だったのです。
個人サイトを作っていたころから、私は、SOS団のそれぞれとキョンみくを主軸にした話を書きたいと思っていました。まず最初に、長門協力編を作って、それから、古泉協力編、ハルヒ協力編、というような。十年前に考えていたことの一つを形にしたのが、この『彼と彼女の約束』なのです。

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