『彼と彼女の約束』エピローグ

エピローグ

 カランカラン、と音が鳴った。扉に備え付けられたベルの音。扉が開いた音だ。わたしは、他の人間がするのと同じように、扉の方を向いた。
 扉のところには、髪の長い女性が居た。栗色の髪をした、まだどこか幼さの残る顔立ちをした女性が。彼女はきょろきょろと店内を見回していたが、やがて、こちらを見つけたらしい。弾けるような笑顔を浮かべて、こちらへと歩み寄ってくる。
「お待たせしました」
 彼女の言葉に、微笑んで応える。彼女はそのまま、わたしの向かいの席に座った。
「いいお店ですね。雰囲気が落ち着くっていうか」
 彼女の言葉に、わたしは頷いた。
「ゆっくり過ごせる。読書に最適」
 駅前の喫茶店に、わたしたちは居る。昔よく使っていたところとは違う、裏通りにある小さいお店だ。表通りにあるコーヒーショップなどと違って、あまり客もおらず、落ち着いた雰囲気の店だ。少し前に見つけて、それから、週に何度か通うようになった。
 向かいの相手を見つめる。
 大人になった。かつて出会ったあの異時間同位体と同じ姿に。
「ごめんなさい。急に、時間を取ってもらっちゃって」
「かまわない。今日は休みだったから、元々ここには来るつもりだった」
 彼女は、ありがとう、と言って笑った。
「注文は? わたしはもう先に頼んでいるけれど」
「あ、はい。あたしは、どうしようかな」
 テーブルに備え付けられたメニューを渡す。彼女は、メニューにざっと目を通してから、店員を呼んだ。
「すみません」
 店員が来ると、彼女は紅茶を注文した。アールグレイ。
 店員が居なくなってから、改めてわたしの方から口を開いた。
「それで、今日はどうしたの?」
「え? うん、ちょっとね……」
 もじもじと――大人になったが、この仕草は高校生の時となんら変わりない――しながら、彼女の言葉はしどろもどろになっていった。
「その、ね。キョンくんが、結婚しよう、って、言ってくれて……」
「……」
 わたしは目を細めた。
 今日はつまり、惚気たい、ということだろうか。
 わたしの視線に気づいてか、彼女は慌てた様子で手をぶんぶんと振った。
「あ、いえ、その、惚気たいわけじゃないんですけど」
 ではいったい、なんだと言うのか。
「えーと……まあ、とにかく、話を聞いてくださいよう」
 困ったような表情を浮かべる彼女を見、苦笑する。
 それを返事と受け取ったのか、彼女はそのまま話し始めた。どう聞いても、惚気話としか思えない話を。幸せな二人の話を。
 わたしの頼んだコーヒーが来た時と、彼女の頼んだ紅茶が来た時以外は、彼女の話をわたしはただ聞くだけだった。話を聞きながら、返事をしながら、わたしは、彼女の顔を見つめた。昔と変わることのない、表情豊かな彼女の顔を。
 明るく、華やかな彼女の顔。わたしの理想だった姿。
 わたしは、昔よりも感情表現ができるようになった。話し方も変わった。
 目の前の彼女のようになりたくて、わたしは、努力したのだ。
 わたしの理想である彼女は、とても、幸せそうだ。
 わたしは、彼女の話が一段落したところでこう問いかけた。
「今、幸せ?」
 わたしの問いに、彼女は最初、きょとんとした表情を見せたが――
「ええ。幸せです」
 彼女は――朝比奈みくるは、そう言って、最高の笑顔を、見せてくれた。

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