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#振り子の時計 (#58)

*御断り・ご挨拶。
この記事には只今進行拡大中の感染症『コ○ナ』とか『ウイ○ス』と言う言葉で無くて、はっきりと言葉を明示しました。

それは、一年以上この病気がただの普通の一般的なものよりも強力であるため、ショックを和らげようとお茶を濁そうとも思いましたが、長い間、私なりにこれを個人的に調べて研究して来ました。

詳細は各自がご自分でお調べに成れば今時は情報通になれます。それは他の人に自慢するためより自分と家族、友人をまずは守るためです。

キーワードで検索すれば資料は直ぐに見つかります。外国の文献もその単語で入れれば出てくる時代です。
今はわたしの大好きな図書館さえも行きたくても行くことを気兼ねしてしまいます。


#この話のvolume

・スマホ画面にして53頁分
・資料 同上6頁分
・エッセー& nonfiction story
・D.D.painting ,Photo,Coments。
・総合的長文志向の話です。

*『日本的ナルシシズムの罪』から今、学べること。
*後悔でなく『今悔』することの価値ある意味。

わたしは感染症とその歴史、ワクチン、効果的な薬剤、世界におけるワクチン研究とその実際についてかなり纏めており、それを学ぶ為にアプリのメモ(無料のもの有り)機能を使い、そこに書いて整理しています。

人はその時一度観て分かったつもりでも、一年経てば何を何処で見たのかさえもうろ覚えになるのが普通です。

ですから、デジタルに控えておけるメモ機能に学んだ記録を残して置くことは後に必ず役立ちます。

この事も今回の『後悔よりも今悔を』の為におもい付いたことです。この言葉の後者はわたしの造語で『こんかい』とお読みください。

あなたもデジタルメモにあなたの研究の纏めを良かったらやってみてください。

昔の頃は、ひたすらノートに書いている時代もありました。

何冊も貯まるノートより、研究種別にメモ機能アプリは優れものです。

例えばそこでリンクを押しても直ぐにジャンプ出来ます。デジタルノートの優れた機能ですね。

アナログのノートの文字を押していても、ジャンプ出来ず、開けず、日が暮れて只時間が無くなっていくだけです。

みなさん一人一人のご健康と皆が平和で安心して生活されることを願っています。

このお話をあなたの大切な命の為に一助として頂けたなら幸いです。




🍀💖💪📚️📱

ある数字が教えてくれたこと。

我が町も間違いなくコロナ禍の下にあります。

人口36/37万人の中核都市と言われるこの町も。


12/27日曜
1 25 420
(陽性者) (検査者) (累計感染者数 )
*上の数字は以下も同じ順番で書かれています。


でした。

それが、知らぬ知らぬ(注意していなければ、、)の内に、

1/26(火)49 90 874夜(○○環境センタークラスター)

そして、その翌日にも。

1/27水 27 49 901

そして、さらに。

1/28木 40 87 941

となりました。

ここ凡そ1ヶ月間のあいだにです。

*この上の数値の加筆です。
2/2(火) 6 32 1006名となりました。


かつては祇園祭の時には、お祭り好きな日本人体質です。

中日新聞によるとたった一晩で何万人となるそうです。

まさに目の前はかつての東京の新宿並みの賑わいです。

ですから、その体質はコロナ禍が一年も続けば、戦後生まれの生活の苦しさも知らない人が大半。

友達が『おい、飲みに行こうぜ!』と言えば、

コロナ禍の下における怖さを説く人よりも、

『行く行く!』

と答える『ミーハー』だと言われています。

『ミーハー体質』なのです。



若い人には確かに『ただの風邪』に思えるでしょう。

100年もすれば人は全て知らない人になれます。

過去の時計を巻き戻し100年前にも同じことを言って街頭に立っていた人は、その日の内に(たった1日だけで)16500人が亡くなったのです。

それは、事故でもテロでも無く『スペイン風邪』と紛らわしいスペシャルな名前の付いたアメリカにおける『感染症』だったのです。


自分の周りの人を観ても、何の変化も無く、友達の顔に変化も出しておらず、日常とはそんな風にも見えてしまうからです。

『何、さっきからわたしの顔ばかり見て!いゃぁねぇ。ウフフ』
『何かわたしの顔に着いてる?』

『ううん、何でも無い。』

『おかしな子。アハハ』

日常とはたわいもないことで時計は廻っている。

『今』世界には、3つのモノが存在している。

『現実』の台座の上に、乗っているのは『過去』と言う名前の後ろを見ているモノ。『未来』と言う名前の先を見ているモノ。

『今』時間は『まさに過ぎて行こうとしている時間』と『これから来ようとしている時間』とを統括している大元帥のようだ。

そこには、喜び、幸せ、幸福、夢、理想、希望、などの心弾ませる要素と、
引き戻す現実、暗い過去、悲しみ、叫び、苦痛、悩み、死、病、負傷、大量死、孤独死などの全てを含む虚無がある。

未来とは、まだ書かれていない歴史の紙のことであり、誰も見たものがいない。

例え、誰か私は見てきたと語ってもそれを語りは出来てもそれを証明出来なければ、消えてやがて自動消滅していく空気に似ている。

それを支配出来るものは、おそらく人間と名が付くものであっても行えない種類のモノであろう。

全ては物質分解と時の中での溶解の方こそがその力が大きいからである。

土の下に歴史は堆積されて表からは見えなくなるくらいの途方も無い圧力で圧縮されて小さく小さくされていくのです。




先ほどの数字の中に、ほとんどの人は『気になる文字』を見つけられない人が多いとも言えます。

病気は自分が掛かってみないと想像も出来ない空想の出来事としての現実なのです。

『空想』とはまだ来ていない現実前の非現実のことだと思えるでしょう。

コロナ禍は実際に資源化センターの職員として働くエッセンシャルワーカーの1人1人のキーマンまで襲っているのです。

目に見えない敵に人は立ち向かうことは難しいことの証拠です。


*Source/internet, Covid-19, Mutant strain virus.
I borrowed it from each information magazine. I would like to express my gratitude.



危険な『自己バイアス』。


自己バイアスが本人の口を通して、『自分は大丈夫』とか『コロナなんかに負けないぞ』と語らせても、いざ罹患した人は青ざめた顔をして、まるで得たいの知れない未知のモノと遭遇した時のように
自分の眼を大きく丸くして、白身の方が多くの面積を占めている。

マスクは長い着用では、いつの間にか『顎マスク』と変わります。

歳を取れば取るほど『鼻出し受験生』(元東大出身だそうだ。)までそうなるのです。

東大出の人がエリートからの転落で、鬱病を発症し、給料も他の人と変わらないほどの仕事に有り付くこともあり、『普通の人なんだ』と改めて知った。

『東大』!

これも社会の現実と理想とが描いた夢であり、その世界から離れたら幻想や妄想も変わらなくなる。

偏見とはそう言う身近なところにも見えかくれしていた。

『偏見の構図』。


彼は『鼻からコロナは出ない』と言って、
口からでる唾液による飛沫感染だけをひたすら認識していたキライがある。

後に、デジタル報道を見ると

一気に『コロナは鼻からも出る』と言う記事が急激に増えた。

それはそうだろう。

体を駆け巡るその輩は、ある国が報道するように確実に『排便』からなら明らかに識別出来るとのことだ。

昔、それは『○便』と言っていた。

わたしは子供時代のことを思い出してしまい気分が嫌になった。



各市町村の条例には国の法律とは明らかな違いが見える。

市区町村の条例では罰則としての懲役も過料も無しのことが多い。

それでも誹謗中傷により偏見と差別が人間にはどこの地域でも産まれることがある。

それが国になると、与えられた権限の大小の差により、強制力も与えられる。

コロナによって、人は死に、罪あるものとして刑務所に収監されて、コロナの蔓延するかも知れない冷たいコンクリートの中で『人間』として生まれた時の祝福も権利も剥奪されて行くのです。


『国民性』*の持つ両方の面。


*この『国民性』に関して調べて行く内にわたしのこの話と関わってくることがあることに思い当たりました。1つは『日本的ナルシシズム』であり、他の1つは『島国根性』です。その資料は巻末の部分にあげておきますので興味のおありの方はそちらをご参照・お調べください。



国民性によっても、他者に厳しく道徳を強いる傾向があるとのことです。

日本人のその意識は調査によれば11.50%だと報告されていた。

外国の記事なのだろうか、日本人なら11.5%とするであろうところ。

確かに円以下切り捨てとなった現代の人には割り算の九九は戦後廃止されて学んでもいないし、覚えてもいないから思い出せない。

いわゆる、父たちの世代の『ニイチテンサクノゴ』のクイズの世界でしかないのかも知れない。

それを父から出されて何十年後に、今は亡き父にやっと答えられる答えを見い出せた。

その答えを言いたくても、今は亡き父の耳には届かないだろう。

天国には地上で互いに話せる携帯も、互いにメールを送れるスマホも無いらしい。

従って、既読スルーさえしているのか、していないのかヤキモキする必要も無いのだ。

地上では、耳も脳も、戦争を体験して心を歪めて帰国した可哀想な時代の落とし児だったからだ。

私たちにとっても初めてのコロナ禍。

わたしたちはこの『コロナ禍』の時代の落とし児にならないようにしたいと思う。

戦争は過去に5年も続いたそうだ。

比べて、この見えない敵に『コロナ』はまだ1年しか経っていない。


切れ掛けたメンタル。

なのに、多くの人はメンタルが切れ掛けている。

それを認めるのは精神科医やSNS相談をデジタル配信している専門家くらいなものだ。

警察庁もそれを違う形で把握している。

一番みたくないものを見なけらば成らないいわゆる、エッセンシャルワーカーのキーマンがそこにもいるのです。



コロナ死と言う孤独死のことだ。

これがダントツで増えていると言う。

街頭でも、自宅内でも。

一応遺体解剖して死因を特定せざるを得ない職業。

こうした人たちの中には真面目に一生を決意して、しかも縁無く一代限りと決意している人にも出逢った。

こんな真面目な若者が、それさえも幸せにしてあげられない『日本』になってしまった。

そこには夢も希望も理想もあるのだろうか。

野の虫のように小さな小さな夢さえも抱けない、それが時代の落とし児のようにしかわたしには見えてこない。

それをnegativeとわたしを呼ぼうがわたしはいっこうに構わない。

そう言っていた人もやがてそれに気づいた時、誰にそれを語り部のように毎日語るのだろう。



しかし、目に見えない敵は様々な人を既に様々な面で殺している。

心まで蝕まれる社会現象にまでそれは多々現実側面にまで現れている。



真面目に職場にいって、真面目に1日八時間働いて、いつもの愛する家族の待つ家に帰る日課。

高齢になってもずっと働かねば成らない人は多い。

病気を抱えていても隠して『元気だ!』と笑って見せてでも、死ぬまで人は働かねばならないのです。

病気になったら家族に迷惑が掛かる、だから自分は運動するのだ、と言う人に出会った。

高齢者が旨い安い早いの店で夜遅くに食べているのを見掛けた。

自分の息子が会社を作りまだそれが息子の会社の軌道に載るまでと、定年退職を過ぎた父は子供の為に肉体労働をして、夜遅くにやっとそこで独り晩御飯を食べているのです。

成る程、みるとその人の衣服は仕事服のままそこへ直行したらしく、土にまみれている。

その人の息子あっての会社のスタッフ。

しかし、それを支えているのは元社長、今は肉体労働者の1人親方なのだ。

夜中近くに独りでごはんを土まみれの衣服で食べている老年期の親。

親は子のことを何も言わずに思っている。

果たして、その沈黙の『愛』と言う熱い血の滾る大きな文字をみて感じていて

その子供は知っていて、お父さんありがとう、と

心の中で呟いている糸電話のように伝えているのだろうか?



それは子供への愛情を失くした人には決して行えないことだ。

その老齢者の毎日の仕事のローテーションであろうと思える。

『さぁ、家に帰って寝るか!明日も仕事が待ってる。』

その年配者はそう言うと椅子の上で大きく手足を伸ばして背伸びした。

わたしの少年期はそれを観てこう思わせる。

出来るものならば、わたしもこのご老人の息子となって見たかった。

もし、仮にそうできたとしても、今のこうした文さえもわたしは書いていないのかも知れないとも思える。

せめて、この修羅場の見せ掛けの世界で美しい花一輪のご老人を観られたことだけでも『幸い』と言えるのかも知れない。

ゴミの意味と価値。

放棄したゴミに意味などあるのか?

ゴミとは要らなくなった不要品でもある。

人は人である限りこのゴミを必ず出す。

一生出すのだ。

自然界の木の葉は1枚としても微生物分解してくれる。

それがまた次の生命の肥しとなるのだ。

枯れた葉の下にさえ、小さな生命のモノが一時的に仮の宿を借りている。


野蛮な存在としての自然界の反逆児。

自然界の中でこの人間だけは生物界の赤ちゃんだと言われながらも、それの反対に廻れば、
背中の評価はまるで大違いだ。

熊や虎よりも獰猛な生き物だ。



他の人の事まで考えて、ゴミを出そうとするのだろうか?

市のゴミの集積場所には、様々なモノが棄てられる。

棄てた段階でそれは市のモノとなる。

昔は、リサイクルできるモノを夜の内に来たり、
まだ暗い頃にきてゴミ漁りをしている懐中電灯の人 たちがいたが、今はこれは違法とされたりリサイクル方法が変わったので数は少ないモノの、
決して皆無ではない。

そのゴミの中には『取り扱い注意』のモノもあるのは当然のことです。

危険物とは違う危険物なのです。

一時期、マスクが道々に棄てられていた。
それも社会問題となった。
清掃のキーマンたちの悩みとなった。
国も堪りきれず広報を出すことになった。


今は、資源化センターなどの処理場までこのコロナマスク事件は発展した。

そして、とうとうその現場で処理しているキーマンたちが感染してしまったのだ。

町の集積場所のゴミを見れば、その町のことが分かるとも言われている。

そこにはかつての夜中のリサイクルを目当ての人々の他者の放棄した金目のモノでは無く、

今はどこにコロナ感染症を引き起こすかも知れないモノが

無造作に、常識も無く、それで他者に影響が及ぶかも知れない種類の『未必*』のモノが巷に溢れるようになったのです。

*『未必』これについてはリンクを付けて置きます。
意味をご確認ください。

https://www.weblio.jp/content/%E6%9C%AA%E5%BF%85



そもそも、『常識』と呼べるモノがその人にあるのなら、

歩く道々、道しるべのように食べたコンビニの紙や串やビニール袋を捨てる人はいないだろう。

その目印は、アパートまで続いている。

そのゴミの持ち主は風のいたずらでも無いし、
どこから意思を与えられて運ばれてゴミではない。

明らかに捨てられたと言うよりは食べた後は用済みとして、棄てられたのだ。

現代社会のように『用無し』『切り捨てゴメン』の蜥蜴の尻尾を物語る。

人はゴミのような存在なのだ。

感染症は人と人を介する種類のモノだと言われています。

であるならば、

人と人との倫理や道徳のある無しで

これは解決出来るのかも知れない。

他者が押し付けてそれを言うので無く、自ら調べて考えればそこに到達する筈の過去の人間の歴史も参考になるであろうと思える。

・他者の責任を追及したとしても温故知新で人は戻らない。

・コロナ警察、マスク警察、ウレタンマスク警察と変わり行く人。

コロナ感染は『自業自得』とする日本人の傾向。

少し前までは11.5%となっていたことを記憶しています。

https://this.kiji.is/634538079775753313
(2021/01/28木曜日11:16現在情報 『神戸新聞』。)

この自業自得比率が気に掛かったわたしは更にそれの動向を調べて見た。

すると、わたしと同じ考え方や見方の人がこの世にいることを発見したのだ。

そこで述べられている時間的経過におけるこの『自業自得』意識がどう変化しているのかを調べていて公表していた。

以下を見てほしい。

https://news.livedoor.com/lite/article_detail/19491294/
『自業自得』/ライブドア11.50%日本人。しかし。

これが専門的には『内在的公正推論』と『不確実性回避』と言う専門的な心理学的用語で説明されていることを知ってしまいました。

そのように『コロナ警察』などを表現するとのことでした。

うーん、そうか、1つまた賢く成れた。

リンクにあるそこに示された新たな数値を注目してください。

日本人のその意識はどうなりましたか?

あなたはどう思いますか?

①減った。②余り変わらない。③増えた。

答えは上のリンクの記事の中にあります。

記事の日付と、その後の調査があったことも触れられている。


『自業自得』と『因果応報』とは違うそうだ。

これも興味を抱いて調べてみた。

そしたらどちらにも各々の意味があり、同じものでは無いことを知った。

明日の為に、今日種子を蒔いておけば

運命的一方通行における『自業自得』意識では努力は変われず、報いられない。

しかし、それでも、『チャンス』の方法が有るのだ!

ピンチをチャンスに変えられるのです。

あなたの努力次第で『因果応報』に変われるのだ。

悪い結果だけでなく、人間として良いことも刈り取れるのです。良い報いも努力次第で先の未来にあるのです。


友も家族も知人友人を
人は知らない内に
目に見えないこの感染症によって亡くしていくのかも知れない。

もう一度社会現象としてのコロナがどのくらいだったか?

そしてそれから一年の今日世界にそれはどれ程人間の生活にモノゴトを及ぼしたのか今一度見直すべき時なのです。


これから先のコロナ禍の下にあるこの社会がどうなるかも予測できる数々のニュースから考えてみた。

こうした『自業自得』や『内在的公正推論』の意識と思考パターンでは明るい将来を失礼ですが、期待できません。

この日本人の体質が他の国の人々よりもそうしたよろしく無い意識と思考が変わらない限り、良い方向に変わる!とは両手を挙げて賛成出来はしない。

感染拡大抑止の為の提案として、ソーシャルディスタンシングを取ることが大切なことは小学校の子供でも教えられていることを聴いた。

しかし、その『社会的な距離』を取ることで人と人とは疎遠になる傾向や相手を敵対視してみる心も育つとも聴いた。

分かりますか?

外国では『ソーシャルディスタンシング』(社会的距離)では無くて、『フィジカルディスタンシング』(身体的距離)を取ると言う言葉で表現しています。

それの方が、偏見、蔑視、劣等感・優越意識でなくて他者への愛情も無くならないとのことを聴いた。

多くの人はこれを聴いて『何だそんな小さな事を!』と言うだろう。

その通りです。

見えない敵『ウイルス』も見えない、人と人の心の中の『偏見』なども『小さい』ことです。

それが、やがて、亀裂の入ったダムになって発見しても、それから慌てて接着剤やコンクリートを打てば良いとでも仰られますか?

物事は全て小さいモノから始まり大きくなるのです。

人は全てのことに精度を求めているし、そうしなければ安心・安全は保てず、その上に健康と幸福は載っています。

人の命さえも最初は見えないほどの・←でしたよ。


これから先の人々の世代のこと。

私達の先輩の話です。

団塊の世代の塊が3つあると聴いた。

その3つの塊が

仮の話、1つ消え、そしてまた1つ、
そして最後の残された塊が消えたら、

日本の人口は激減すると言う。

それを敢えて狙う輩の話も風を通して耳にまとわりつく。

『日本の人口も多すぎるよね』。

『半分くらい要らないね』。

これは冗談ではなく私の耳は聴きました。
しかも、とある『日本人』がわたしにそのように、語りました。

我が身に置き換えればこの言葉は『胸糞悪い言葉』で人間が語る言葉ではありません。わたしはそれを悪魔の言葉と呼んでいます。

しかし、こうした❎な考え方は有り得るのです。

調べると、残念ながら国連内にもそれの策定会議も確かにあります。国連には2つの顔、表の顔と裏の顔とがあると識者はわたしに教えてくれます。

これ以上は話がずれますので語りません。

(ご自分で調べれば、人は他者の言葉より、自分が努力した手・指・目の力をより信じています。お調べください。)

・この新型コロナウイルス感染症の威力は
過去のスペイン風邪の時の死者数を越えてしまったこと。
・あのリーマンショックの経済的ショックを越えていること。
・世界の感染症による死者数をお調べください。下のリンクからお入りになれます。スマホ画面に貼り付けも出来て便利です。↓

※SmartNews では新型コロナウイルスの最新状況を数値でわかりやすく表示しています『新型コロナウイルス、リアルタイム状況』から世界と日本の状況をリアルタイムでお知りになることが出来ます。
https://coronavirus.smartnews.com/jp/?utm_campaign=share-button&utm_source=coronavirus-smartnews&utm_medium=social


冒頭の方で述べた『今』と言う時間の上に、二つのモノが載っています。

この『今』は、過去と未来の統括者の上に君臨している地球にいます。

それを決して忘れないようにしましょう。

『楽しければ良い』のでは、『今』しか見えておらず、

見えていないならば、必ずやがて『未来』と、『過去』はあなたの後先にも着いて来ます。

非現実的な救出依頼は、絵に描いたヒーローに真剣に頼んでいるのと似ている(Coments by Kuma,Shanxi394J.)


『こんな筈じゃなかった。』

と後悔することの無いためには、
後でなくて、
今悔やむことの『今悔』(こんかい)のことを思い出してくれたならば

とわたしは(この文をここまで付き合ってくれたあなたに)
願っています。

『後悔』<『今悔』

『今悔』の方が価値が大きくて高いのです。

それは『後悔、前(さき)に立たず』であれば、

『今悔』、つまり今、それが悔い改めることが出来る』のです。

わたしはこの『今悔(こんかい)』を提唱いたします。

それは、『今、先のことを読み、幸福な未来を招来させること』と定義しているわたしの造語です。

そうすれば、人は明日を幸せに変えられる。

来るものは幸福な今日となるのです。

そして、過ぎ去る今日も、

幸せな過去になれるのです。


人は、自分の目の前にあるのに、

そこに有るものの中から

『1つしか選べない』と言われている。

自分の見たいモノしか見られないのだ。

眼は1つ1つしかシャッターの切れないカメラのように、全体の広さを知らない。

技術としては、タイムラプスも
パノラマ撮影も理屈上は知っているのに、

それを望んでいるのかいないのか。

行おうとしているのかいないのか。

知っていることと、自分が行うこととは、別問題です。

両方が1つになったときに、微笑めます。

おめでとうと言えます。


二週間、二週間毎の振り子の時計は

わたしの耳の横で

右に行っては左に帰り

またそれを繰り返して

繰り返して

いるのです。

そして、この大切な『今悔』が今行えないとなると、そこには国家政府の半強制的な『後悔』となる事象が現れて、その結果、日本国民であるこの国の人は国民全体としてしたくない『後悔』を体験することになるのだと私は思います。



資料

・『国民性』についての参考資料です。

https://g.co/kgs/g54JQa
国木田独歩Google検索。

・島国根性⇒Google↓
https://jp.quora.com/shima-kuni-konjou-ha-gutai-teki-ni-donna-tokushitsu-wo-imi-shi-tei-masu-ka

*わたしは日本の地理的環境『島国』であること故、この島国根性と言う要素が良しも悪くも国民性を形成し、日本的ナルシシズムを培わせたと思います。

この本の著者は日本の歴史を更に遡り説得力ある理論を展開しておられます。

鬼滅の刃と若者命軽視と日本的ナルシシズム(堀有伸 精神科医)↓
・『日本的ナルシシズム』とは何か?
簡単な書評が出されています。下のサマリーをごらんください。。
(2016/06初版Google検索で。12-119まで閲覧可能。プレビュー。)

『日本的ナルシシズムの罪』↓(堀有伸著)

その要約を帯より紹介します。↓

ナルシシズム(自己愛)は程度の差こそあれ、誰にもあるものです。しかし日本人の場合、他の国々に比べて顕著な傾向(=日本的ナルシシズム)がうかがわれる、と著者は言います。

 個人より集団を重んじる、論理より情緒に流される、現実より想像に浸りがち――こうした特徴はこれまでも識者たちが指摘してきたところですが、必ずしもネガティヴな面ばかりではありません。これらを、規律正しい、他人を思いやる、一体感を大事にする、と言い換えることも可能ですし、成長する国家にとっては望ましいものばかりに見えます。
 しかし、成長から衰退へと向かう難問山積の社会において、こうした伝統的な日本的心性が様々な面で軋轢を生じるようになりました。うつ病の急増からブラック企業、原発問題や安保法制まで、すなわち個人から国家まで、年来の臨床例と学説をひもときながら、「日本」の精神分析を試みた大胆な論考です。

日本的ナルシシズムの罪↓
Google Books

2016/06初版Google検索で。12-119まで閲覧可能。プレビュー。

日本的ナルシシズムの罪↓

*新潮社版(古本)もあります。『日本的ナルシシズムの罪』堀有伸著
https://www.shinchosha.co.jp/book/610671/


こうした要素が日本の根底に精神資質として横たわっており集団決定論的意識があると推察します。

それ故、社会現象として現れている様々な事件などが観られます。

https://news.livedoor.com/article/detail/19623041/

↑マスク着用を会社に言われていたにも拘わらず、マスク着用を無視していたら会社を解雇になった事例。


本人も何故着用拒否していたのか分からないと解雇後に考えたと言う『後悔』の話でした。

やはり『後悔』では無くて『今悔』*(こんかい)することが大切だと言えます。

*『今悔』とはわたしがこの話の中で登場させたわたしの造語です。そのような分けで後になって『後悔』するより、今から今悔することをお勧め致します。あなた方全ての命を大切に思う人々へ。

©️Shanxi394Japan, 29 January 2021.
#振り子の時計 (#58)




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