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「自己実現」と「利他心」の関係について考えてみた

 久しぶりに「利他心」という言葉を聞いたのは、先日の「#スポーツを止めるな2020」での、パネラーの野澤 武史氏のコメントでした。

「利他心を持ち社会に貢献していくことが大事だと思っています。その活動の主人公になり切って、本気で考えて動くことが肝だと思います。」

 そこに何か感じ考える自分がいた理由。それは「自己の実現」と「他者の利益を考えた行動=利他」の関係性が気になったからでした。

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 上記は有名なマズローの欲求5段階の図です。人間は皆、一番上の自己実現に向かっていきます。
 特にキャリアを支援する人たちは、クライアントの「自己実現」をサポートすることが命題になっています。

自分の欲求を最大的に実現させる」ために動いているんですね。

 このゾーンに差し掛かっている人は、とてもキラキラしています。すぐ分かります。前述の野澤氏初め、パネラー全員、私から見ればそう見えました。

 しかし、その野澤氏が口にしたのは「利他」。ここに一抹の違和感があったのです。

 例えばAさんという人が存在し、Aさんの自己実現が「世界征服」になった場合、途端に「それだめじゃん」となります。Aさん非難轟々です。

 しかし、Aさんが「貧困地域に仕事を定着させることを通じて、人々を豊かにしたい」「スポーツを頑張っている人たちの活躍の場を作りたい」となった瞬間、「Aさんそれ素晴らしい!応援します!」となります。

 この違いは何かというと、前者Aは「ただ自分を満たすだけ」。後者Aは「自分も満たされているんだが、同時に他者をも満たしている」点ではないでしょうか。

 後者Aには「利己の中に利他が含まれている」のです。

 その人が自己実現することによって、他者が幸せになる。この構造の元、活動している方は本当に素晴らしく、そういう人が今の社会で活躍しているのではないでしょうか。前述の野澤氏は、まさにこの行動だったのではないかと勝手に推測しています。


 京セラの創業者である稲盛和夫氏は「利他心」について以下のように述べています。

 利己心とは「他人より自分の利益を優先して顧慮する心。 自分の利害関係を物事を図ろうとするあり方」です。
 利己の心だけで判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
 一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。
 より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。」

 いろんな表現がありますが、私の整理は以下です。

1.「自分の利益=他者の利益」⇨至高(=Win Winにも近いでしょうか?)
2.「自己実現へのプロセス=利他の心による行動」⇨至高
3.「内発的動機によるアクションが、他者を幸せにする」という構図⇨至高

「自己実現=利他」⇨至高

後日追記:口では「利他」と言っていても、行き着く先が「利己」の場合は、結構気づかれると思います。「あなたのために」と言っておきながら、「あなたのために、と思っている自分を称讃してもらうために」とか。
人間は、自分に疎く他人には鋭いですし。(僕も)
 一方で、何も目的がない人よりは、「こうしたい!こうなりたい!」がある人の方が、少なくとも命のエネルギーは高いはずですし、例え利己で恣意的でも誰かを傷つけてさえいなければ、ある程度は良いのではないかと思ったりします。

 果たして自分はどうなのか。色々と考える良いきっかけになりました。

では。

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