女の論理

政治とカネ---議院内閣制における首班指名のミカタ

 この年末から年始にかけて、政治資金パーティーでの違法な裏金作りが発覚し、逮捕者まで出た。 現職議員三人を含む計十人が立件され、事態はかなり由々しき局面に立ち至っているのだろうが、その裏金作りの中心にいたはずの某派閥幹部七人は立件に至らなかった。
 議員も国民も、これを機に、政治に潜む病巣の膿を出し切って、新たに出直して清廉な政治を創造しよう、とか、掛け声はかけるのだが、どこまで本気なのか分からない。
 政治家は政治家で、急遽、『政治刷新本部』を立ち上げて政治改革を唱い、政治資金規制法を少し手直しでもして嵐の去るのを待てば、また元の自民党主導の政権に落ち着くだろう、とか思っているのだろうし、国民は国民で、一瞬は熱を帯びるのだが、如何(いかん)せん熱しやすく冷めやすい国民性の上に、寄らば大樹の陰、赤信号皆で渡れば怖くない、と、体制側に雪崩を打ち、そのうちに、何事もなかったかのように退潮してしまう。

 それにしても、法律に違背してまで、何故政治家は裏金を作る必要があるのだろう、と国民は誰も不思議に思う。それも、派閥単位でみれば、数千万どころか数億単位という、国民の日々の生活の金銭感覚では追いついて行けない金額の裏金疑惑が報じられる。
 国会議員には、十分な(多分)歳費の他に、使途を明示する必要のない月額百万円の「文書通信交通滞在費」、月額六十五万円の立法事務費、さらには、全国民が二百五十円ずつ負担する例の「政党助成金」として、各議員に年額数百万円が配分されているのだとか。
 一方、キックバックを受けたとされる議員の多くは、
「派閥から収支報告書記載の必要がないと指示された」
「事務的ミスで、還流(キックバック)の意識さえなかった」
等々と言い訳をするかあるいは、ダンマリを決め込む。
かくして、派閥を解消したとしても、裏金の行方が明らかになることはないだろうし、おそらく、一度(ひとたび)は消えた派閥の萌芽が、いずれまた頭をもたげて来るのだろう。そして、この種の不明瞭なカネは、手を変え品を変えて今後も蔓延するだろう。

 私はそんな思いが拭えないのだが、地方政治は中央政治の縮図とも言われ、かつて地方政治に関与していた経験と感覚をもって、何故裏金の捻出が必要で、それがどう使われるのか模索してみたい。
 
 言うまでもなく、日本の政治は、議院内閣制に基づく政党政治である。
 国会は唯一の立法機関であるから、国会議員の第一の任務は、予算案や法律案を審議し、それを成立させることであり、当然ながら、それを執行する権限すなわち行政権限は持たない。
 そんな中で、議員は、議案の審議や、政策の提案や提言だけでなく、いずれ(あるいは当初から)、それらを実際に実現してゆく行政権に憧憬を抱き、それを政治活動の目標とするようになるのは至って自然なのかもしれない。

 アメリカでは、行政権の長、すなわち大統領は、直接国民から選出され、各閣僚(国務長官、財務長官、国防総省長官、他) は、大統領が民間から任命する。従って、日本のように、立法府に所属する国会議員がその身分のまま内閣府の閣僚になることはなく、アメリカでは国会と内閣の間には大きな組織の断絶がある。
 一方日本では、国会議員であれば誰でも、国会議員の身分のまま、内閣総理大臣や内閣の閣員になれる。だから、同じ国会議員でも、単なる国会議員と、行政権限を持つ内閣側の国会議員がいるということになる。平たく言えば、平の国会議員と、閣員(つまり大臣)たる国会議員がいるわけで、その立ち位置のどちらが優位性を持つかは自明であると言えよう。
 行政権の頂点に立つ内閣総理大臣は、憲法上では、国会議員の中から国会の議決で指名されるのだが、 事実上、 自民党の総裁がなることになる。そこで、覇権に意欲を燃やす者は徒党を組んで覇権争奪戦を繰り広げる。その徒党がすなわち派閥なのだから、勢力拡大には余念がない。数は力、所属議員が多ければ多いほど、派閥は力を持つ。

 ある知人から聞いた話。
 無所属で初当選した彼は、ある派閥の領袖から呼ばれて出向くと、室内の隅に、それとわかるように現金が積まれていて、(無所属なので政党からの援助もなく)選挙で多額の借金を負った彼は、一も二もなく揉み手をしてその派閥への所属を快諾したそうな。
 派閥に所属する議員を一人取り込むのに、相当多額の金が動くようだ。

 私自身の経験談。
もう三十年も前だろうか、 私が市議会に初議席を得た頃、会派の会長は、盆暮に、配下の議員に 『餅代』 『氷代』 を(もちろん自腹で) 配っていた。だからこの頃の会派の会長は、市内有数の老舗の旦那衆や豪農の主といった財力のある人たちだった。
 ちょうどその頃、地方議会に『政務調査費』が支払われることになり、折しもバブルの最中(さなか)だったので、 その金額もかなりの額だったように記憶する。半期ごとに、会派を通じて各議員に支払われるので、会長自腹の 『餅代』 『氷代』 の配付は、いつの間にか『政務調査費』の支払いに取って変わられた。今の市議会では 『餅代』 『氷代』の配付は絶えて久しく、その語句自体が死語であろう。
 あの頃から既に三十年もたつので、永田町でももはや 『餅代』 『氷代』 は死語になったのだろうと思っていたのだが、何と、先頃発表された自民党政治刷新会議の「中間とりまとめ」の最初か二番目あたりの項目に、 『餅代・氷代』 の廃止が掲げられていて、私はびっくりした。してみると、永田町では、『餅代・氷代』が現在まで延々とばらまかれ続けて
いたのだ。
 百人ほどの所属議員を擁する某派閥では、盆暮の半期ごとに、総額数千万かおそらくそれ以上の金が配られていたことになる。こうして、派閥を維持していくには莫大な金が飛び交う。裏金作りが欠かせない所以だ。

 裏金作りは悪い。しかしながら、憲法上の規定はどうあれ、事実上、自民党の総裁が(ほぼ)自動的に内閣総理大臣の指名を受けて内閣を組閣して初めて行政府が確立する。したがって、自民党が総裁を選出しないと、日本の内閣すなわち行政は成り立たないのだ。
 こうして、自民党内には、行政権力の側に擦り寄りたい覇権至上主義の議員が(多分)かなり多く、その一人一人がそれぞれバラバラに錦旗を取ろうとしたのでは、混乱するばかりで拉致があかない。だから覇権意欲のより強い人間は、既存の派閥を乗っ取るか、新たに自前の派閥を立ち上げるかして、その領袖となって、内閣総理大臣という錦旗の凄まじい争奪戦に参戦する。鎌倉時代か戦国時代を連想しそうな図だが、残念ながら、その古めかしい闘争を経なければ、 日本の内閣は確立しない。だから、派閥が解散したとしても、手を変え品を変え、新たな 軍団 に姿を変えて覇権闘争は続き、新たな裏金作りも続くだろう。
 一方国民は、、一政党内の コップの中の嵐 のような派閥闘争の結果、国民の代表たる総理大臣が決まってゆく道筋に、いささかの(または、大きな)違和感を覚える。
 自民党という一政党の裏金にまみれた派閥間闘争や、駆け引きや野合で、総理大臣が選ばれるのでなく、真にその資質と品性を備えた国民の代表としての総理大臣を、直接国民が選ぶことができたら、どんなにいいだろう。

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