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2年目の山籠もり修行

【現役産婆うっしーの神官見習い日記.16】

先週、2回目の神官見習いの修行(2泊3日)に行ってまいりました。


大分県の山の中。
山のてっぺんなのであまり携帯の電波が届きません。
しかも、スマホを触る時間の余裕はほとんどナイ。
朝5時から夜の23時頃までずっと禊と座学と実践の超詰め込み型のお行です。


朝5時から山道を下りて水場へ行き水行。
昨年は同じ講習生の若き男子のふんどし姿を目前に邪念まみれ(//∇//)での水行でしたが、

今年はちぃと邪念ははらいのけられて真面目に臨めました。

水行後はまた山を登って、本殿で禊の作法に則ってまた別のお行。(内容の詳細は書けなくてごめんなさい)

その後は朝拝で約1時間、祝詞や祓詞を奏上。


朝食はお粥と梅干しのみ。
私語禁止・約10分かからずに朝食終了。食前食後の感謝詞はなんとか覚えました(^^)

朝食後から霊山信仰の由縁を座学で学び、めっちゃ興味深い内容だったのであっちゅう間に昼食時間に。

昼食はめっちゃ美味しいけど、お行中の食事は毎回無言で短時間で掻き込む感じ。(決して胃腸にはよろしくないです)

午後は祭式の基本作法や流れの復習と実践。

見かけ以上にアタマを使うし、とにかく立ったり座ったりで足腰やられるし、アタマとカラダが連動しない自分に辛抱強く向き合う時間。


夕方は神明奉仕。長雨のあとだったので雨風で汚れた窓ふき、参道やトイレの掃除。お掃除時間はちょいと気が紛れる。

夕食後は再び祭式の基本動作と最終日に行われる総合祭典(いわゆる修了試験)に向けての実施演習。
とにかくカラダに覚え込ませる詰め込み型。

夜は21時頃から「夕拝」という名の「夜拝」。
ここでまた約1時間祝詞や祓詞を奏上。

そして23時頃にようやく白衣・袴を脱いで終わり。


上位の方から順番にお風呂をいただくのですが、
山の上では水はとても貴重なのでお風呂も入れないことがあります。

シャンプー、コンディショナー、ボディソープをフルに使っていたらみんなが入る分のお湯がなくなってしまうので、もはやNG。

なので入れてもほぼ行水。

猛暑の中、日中の化粧はもちろんのこと、日焼け止めを塗っても大量の汗で落ちてしまう。
眉毛も2回かき直したけど、どうせとれてしまうのでもう、かくのも化粧するのもやめました。

修行中はすっぴんに限る

そして、山の中は湿度が高く、建物のそこかしこが苔生しています。

参道の石段や神殿の裏手など、ひんやりとしていて
まぁ、いい方によっては和的風情があるし、趣があるとも言えるかも。

だけど、正直なところは

湿気多すぎ!!

水行に使った行着やふんどし(女性もふんどし(^^;)、タオルがなかなか乾かない。

白衣や袴もけっこうしっとり。

奉仕者用の宿泊用寝具はしっとりどころかずっしり(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

私は寝具の湿気とカビの臭いがムリなので、敷布団の上に持参した寝袋で寝ます。

その他、山の中には小動物も昆虫もいっぱい。本殿の天井裏は何物かがドタバタ走ってるし、ミミズ、蜘蛛、ガ、カエルもあちこちに。


虫よけリングを付けている側の足が蚊かダニかアリか、たぶんブヨ(ブト)に刺されて赤く腫れてきてて、

あまりの痒みで後ほどネットで調べてみたら、ブヨは暗いところを好むそうで、暗い色の洋服に寄って来ると書いてありました。

確かに、山を登る時はGパンと紺色のシャツを着ていたので山を登る途中に噛まれたんだろうね〜。

山に登る時は明るい色の服の方が虫よけになるそうですよ。(そんなこと知らなかった)

不思議なことに、講習が始まると決まって大きなオニヤンマが本殿に入ってくると先輩方から聞いていた通り、

実際、講習会の最初の祭典が始まるや否や大きなオニヤンマがやってきて、全員の受講生の頭にブンブンと近づいてきてとまる、ということが繰り返し起こりました。

お山の謂れでは、オニヤンマには亡くなられた先代である総裁の霊が乗っていて「今年はどんなやつが来たかのぅ?」と講習生を見に来ているのだとか。

祝詞があがり始めるとやってくるので、ほんとにそうなんじゃないかと思ってます。

たった3日間のお行ではあるけれど、座学中や祭式中もほとんど正座してるので、2日目の昼ですでに腰も膝も、足の甲も限界。

カラダを痛めつけ(この言い方よ^^;)
この痛みをガマンし、
正座に馴れることもこれまた修行……というのが神職への道なのでしょうね~。

神官である義母は「2年目までは本当に足腰立たなくなるけど3年目からは不思議と苦痛が軽くなるのよ」と。

足腰立たず、起居動作も思い通りにならない間というのは、暗に「この道に入れる者か試されている」という事らしいのです。

3年目になると、その「お試し」が終わるらしい……。

マジかー( ´Д`)y━・~~

元々は「こんな痛い思いしなくても神様と繋がれるのに」って気持ちがありました。

だけどね、

「こんな痛みを感じることなく神と繋がれる」って知っておきながら、


過去の時代から受け継がれた修法で繋がることを選択した自分が居るのも事実。


不思議に思うのは、

長時間の祭式に参列し祝詞を奏上している最中は「こんな事やらなくても繋がれるのに」って1ミリも思わない自分がいること。

大祓詞やいろんな祓詞を奏上しているうちに
ゾーンに入っているみたいな感覚が昨年よりも強くなっているのを感じるし

きっと、4月の尺間前嶽遠見萬力不動尊大祭のご奉仕の時からこの感覚は強くなったんだと思う。

喉が嗄れるほど腹から声をあげながら祓詞を奏上している間は

多分脳波を測定したら、単なるベータ波ではなくアルファ波からシータ波になっているのでは?と思う。

ご神託を受ける時ってきっとこういうタイミングなんだろうなと。

そして、大祓詞をはじめ、多くの祝詞たちにはマヂでエネルギ―を上げてくれるチカラがあるというのを、これまでの感覚とまた別の視点から改めて感じさせられたというか、

そのチカラが大いに動いている波動に私たちのカラダが共鳴しているから


下半身はボロボロに悲鳴をあげるほど苦痛に耐えていても、
喉も嗄れ、のどの痛みに咳込むことがあっても、

祭式がすべて終わって解放された時には

高揚感と達成感、安心感、充実感みたいなプラスの波動に満たされているからこそ

足が痛くて「もうムリ」とか、

「もうこんな苦痛はイヤだ」と離脱してしまう事にはならないんだな~と勝手に解釈。


もしかすると、この達成感は

これまでのヒーリングによる「無条件の愛と光による癒し」で感じる達成感とはまたちょっと違うかな~と感じています。

これまでに経験している「無条件の愛と光からの達成感」と今回経験した「苦痛を越したその先の達成感」のどちらが好きかと言われると、、、

どっちも好きかも。
(やっぱり過去世は修験道者か(^^;))

それぞれ異質の感覚で、較べられない感じ。


いやはや、とまぁこんな感じでとりとめもなく
2泊3日の気づきをつらつらと書いてみましたが、

一番大きな収穫は
「夫婦2人して修行出来たこと」でしょうか。

初めての夫顔出し(≧∀≦)

ひとりじゃなかったから、だいぶ心強かったし

主人も私も実際に修行を受けるようになるまでに、ン十年とかかってしまったことにも意味があったんだなと改めて感じたので、

また、そのあたりについてもいずれ書いていこうと思います。

今回の修行で学んだことをきっかけに

これまで少し距離を置いていた密教・秘儀についての「知的探求心の扉」が再び開いてしまいました。

2023年下半期の1日24時間をどう時間配分してこの知的探求心を満たしていくか、少し考えます。

おもしろいことになりそうです。

また書きます。


☆現役産婆&神官見習いうっしーはこんなお仕事しています。

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