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牛乗山第三紀末波蝕巨礫群 (下):巨礫を辿る

愛知県岡崎市の牛乗山第三紀末波蝕巨礫群(うしのりやまだいさんきまつはしょくきょれきぐん/以下「牛乗山巨礫群」と略す)のある、牛乗山山頂部の東側の崖沿い部分の巨礫群から、南に位置する隣の頂に向かい、最終的に牛乗山巨礫群北側の更地に戻って来るまでを紹介します。
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1MAP牛乗山第三紀末波蝕巨礫群

川床跡のようになった部分に降りていくと、そこには長辺が2mほどの巨礫が30%くらい露出して埋まっていた。

1堆積岩砂礫

表面には多くの縦の片理の線が入り、線が焦げ茶色に灼けている石英片岩だと思われる。
この巨礫は両肩部分がかなり欠け落ちている。
周囲の砂礫は明るいベージュ色、明るい赤褐色、この巨礫の灼けた石が砂礫となってベージュ色の砂礫に混じった部分と、バラエティーに富んでいる。

写真①の巨礫の前の、川床跡のようになった部分の向かい側にある長編が2m以上ある巨礫が写真②の巨礫。

2堆積岩砂礫

上記2つの巨礫よりさらに下方で崖寄りにある巨礫は長辺が3m近くあるもので、地表には20%くらいが露出しているように見え、ベージュ色の巨礫の表面が海老茶色に灼け、縦横斜めに線が入っている。

3堆積岩砂礫

写真③の巨礫は左端に縦長の節理が見え、右端部分は片理がパラパラと巨礫の周囲の砂礫部分に砕けて散らばっている。

写真③の場所から崖の淵まで下って足元に露出している巨礫を撮影したのが下記写真④だ。

4堆積岩

牛乗山巨礫群を覆っている砂礫の元になる明るいベージュ色の石英片岩だと思われる。
露出している巨礫の周囲は砂礫が残りにくい崖の淵ということで、粘度の高い土の方が優勢らしく、雑草や灌木が生い茂っている。
この下はすでに切り立った崖だ。

写真④の崖の淵から同じ尾根の向かい側の崖に50度くらいの角度で露出している巨礫を撮影したのが写真⑤だ。

5堆積岩

やはり巨礫部分は雑草が生えているものの、樹木は見えない。
大きな片理で剥落している部分がところどころあって、階段状になっている。
写真⑤右下奥に見える横に延びている山壁は人為的に組まれた石垣だが、使用している石はここの巨礫を切り出して使用したものらしく、手前の山肌と同じ灼け方をしている。
遠景の山には巨礫が露出している部分は見えない。

写真④の場所から、隣の山頂にも牛乗山巨礫群のような砂礫に覆われた場所が露出している可能性があるので、見に行こうとしたのだが、東側と西側は崖になっていて進めないので、南隣の頂(上記地図⑧)に向かうことにした。
それで、南に向かおうとすると、下記写真⑥の部分から通路が始まっているのを見つけた。

6山道

それは尾根の上に通じている通路で両側は森になっており、左右に向かって地面は下っている。
20mほど先に入っていくと「←牛乗山 登道」という矢印がやって来た方(北)を向いた道標が立てられていた。
向かっている先の尾根から牛乗山山頂、あるいは一畑山薬師寺に向かえるようになっているようだ。

通路の光景はほとんど写真⑥と変化が無かったのだが、途中、路面が赤土の部分に大小さまざまな玉石が散らばっている場所があった。

7石英片岩小石群

玉石の中でも大型の拳大のものは、どれも地面に埋まっている。
場所が山の尾根なので、水路を転がって玉石になったものとは思えない。
おそらく、海面下に存在した時代に海流で転がって玉石になったものなのだろう。

通路に入ってから130m以内で根元で幹が二股に分かれた樹木の伸びる場所に到達した。

8樹木

このあたりが目的の南隣の頂らしく、ここまで通路はほぼ直線だった。
通路はこの二股の樹木の脇から不明確になっているが、さっきのと同じ道標が立てられていた。
想定していた砂礫に覆われた禿山はこの先にも存在しなさそうなので、ここから引き返すことにした。

帰途に牛乗山巨礫群の場所を、やって来たルートとは異なる東側のルートを通ったところ、5、6人の高齢女性たちが、牛乗山巨礫群脇の森の木陰に腰を下ろしてワイワイとおしゃべりをしている横を通り過ぎることになった。
ちょうど、お昼時だったので、食事をしていたのかもしれない。
彼女たちの目的は一畑山薬師寺参拝ではなく、牛乗山巨礫群でのハイキングのようだ。

登山口への通路を戻ると、南側の頂に向かう通路とはまったく異なり、ここの通路には巨礫が通路のあちこちに頭を出していた。

9通路石英片岩

牛乗山巨礫群は想像していたより狭い範囲の特徴のある場所であることが確認できた。

更地の木陰に駐めた愛車に戻り、更地の東端から東方向を撮影したのが下記写真だが、平坦な尾根を持つ山が3つ重なっているのが眺望できた。

10東南東眺望

山岳部なのに尾根は平坦で、牛乗山から奥の山まで、ほどんど高低差が見られない不思議な地形なのは、やはり元が海底だったからだろうか。

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この日は予定外で牛乗山巨礫群を観に来たのですが、乙川(おとがわ)を辿っている途中でもあったので、ここから北北東4km以内に位置する鏡山大辨財天に向かい、岡崎市の秦梨町から、乙川が矢作川と合流する乙川頭首工(とうしゅこう)まで、乙川を辿りました。

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