御用地遺跡 土偶 27:スダジイの古墳
安城市の堀内古墳から真南330mあまりに位置する百塚古墳(ももづかこふん)に向かいました。
百塚古墳に北側から接近すると、古墳というよりは玉垣を巡らせた神社だった。
石垣の上に玉垣を巡らせた墳丘部分は方形になっており、古墳には見えないが、ただ、組まれた石垣の上面は3つの段差に分かれており、元が平らな丘でなかったことが見て取れる。
社頭は墳丘部分の南側が墳丘部分に近い広さの砂地の平地になっており、その南側に社頭があり、入り口の傾斜を登ると左右に幟立の石柱が設置されていた。
ここは下谷八幡神社(しもやはちまんじんじゃ)の境内になっていた。
墳丘上に上がる石段の麓の右手に「八幡社」と刻まれた社号標が設置され、石段の上に石造八幡鳥居が設置されていた。
石段を挟んで、社号標の反対側にはイチョウの巨木が幹を伸ばしている。
石鳥居の奥に見えるのが拝殿だ。
石段を上がって鳥居をくぐると、すぐ目の前に本瓦葺切妻造棟入の拝殿があり、正面の格子戸に太い注連縄が掛かっている。
拝殿前で参拝したが、現場にもネット上にも百塚古墳の案内板も下谷八幡神社の由緒書も見当たらず、祭神は不明。
八幡神社の総本社である大分県の宇佐神宮の祭神は以下となっている。
・八幡大神(はちまんおおかみ)
【誉田別尊(ほんだわけのみこと:応神天皇)】
・比売大神(ひめおおかみ)【多岐津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
多紀理姫命(たぎりひめのみこと)】
・神功皇后(じんぐうこうごう)
【息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)】
拝殿の裏面に迂回すると、本瓦葺流造の本殿が瑞垣の中に祀られていた。
この神社には本殿の並びの西側の外れにスダジイの古木が根元から複数の幹を伸ばしていた。
『庭木図鑑 植木ペディア』(https://www.uekipedia.jp)の「スダジイ」の項目を要約すると以下のようになる。
表 記:スダジイ
別 名:シイ/ナガジイ/イタジイ
学 名:Castanopsis cuspidata
var.sieboldii
分 類:ブナ科/シイ属/常緑広葉/高木
高 さ:10m~25m
【スダジイとは】
●
福島県及び新潟県(佐渡)以西の日本全国に分布するブナ科の常緑広葉樹。一般的にはシイタケがなる木として、または食べられるドングリがなる木として知られ、古代から重要な食糧とされた。
●
自生は海辺の山野に多い。
●
スダジイは幹や枝が分岐しやすく、ブロッコリー状の樹形になる。いわゆる「鎮守の森」を形成する代表的な樹種であり、地方では寺社に植えられる。
●
スダジイの果実であるドングリは生でも食べられるが、火で炙ると香味が増して美味しい。
●
葉は大ききく肉厚で、幹は比較的早期に縦の亀裂が入る
下記写真はスダジイの幹と葉だ。
本殿の脇には京の巻(社殿の鬼瓦)が保存されていた。
京の巻に見られる「八」は「八幡社」の「八」だ。
墳丘上から南方向を眺望したのが下記写真。
住宅が連なっている。
右下の広場は下谷八幡神社の境内で、奥の4本の石柱(幟柱)の立っているところが社頭だ。
◼️◼️◼️◼️
百塚古墳に関する情報は名称しか無いので、地図上で墳丘部を計測してみたところ、東西が約19m。南北が約20m。
石垣の最も高い部分が目測で約1.5mでした。
墳丘は下谷八幡神社の社殿を設置するために削られていると思われます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?