見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 131:いずれにせよ山岳信仰

牛川稲荷社は豊橋市牛川町に位置していました。

大きな基壇上に設置された左右対になった常夜灯の間を抜ける参道に入ると、さらに小型の常夜灯が左右対に設置され、参道の突き当たりには南々東向きで、瓦葺宝形造平入の建物に千鳥破風と向拝屋根を着けたと思われる複雑な屋根を持つ拝殿が三段の石段の上に設置されていた。

これで、やって来たのが表参道だったことが解ったが、拝殿は格子戸が開け放たれている。

そして、何よりも気になったのは拝殿前左右対になった使いの狐像の表情だった。

その表情は横山光輝(『鉄人28号』や『三国志』の作者)の描いた、柔らかで漫画チックで不条理な悪役の表情を連想させるものだった。

向拝屋根の下に入って参拝したが、拝殿内には天井から朱地に「正一位稲荷大神」の墨文字の入った大提灯が下がっていた。

拝殿内は畳敷きで正面奥の幣殿と思われる暗い部屋との間には素木の柵が張られている。
拝殿内には左右に椅子用テーブルと和室用テーブルが置かれていた。

拝殿入り口には神職、あるいは住職の著作になる無料の贈呈本が置かれていたが、その背後に吒枳尼天(だきにてん:仏教系の稲荷神)の神紋が浮き彫りされた看板が置かれていた。

この神紋から、この稲荷社が真言密教の鎮守社だった可能性のあることが解る。
贈呈本はいただいて、賽銭を追加しようと思い、内容を少し読んでみたところ、とても小生の読みたい内容ではないことが判り、置いて来た。

拝殿内正面の奥をよく見ると、入り口脇に、朱地に「しあわせの桃地蔵」と文字が白抜きされた幟が立てられ、幣殿正面奥には桃を記号化したものと思われる装飾のある厨子らしきものが奉られていた。

今まで見たことの無い特殊なもので、照明されているのか、光っている。
しかし、幣殿入り口の軒下には以下の神名の書かれた扁額が掛かっている。

御嶽大神(おんたけのおおかみ)
稲荷大神

この神社が御嶽信仰と関係のある神社であることが解ってきた。
しかし、密教にしても御嶽信仰にしても山岳修行と切り離せないものであることに違いはない。

さらに拝殿内右手奥の棚には稲荷社が祀られていた。

となると御嶽大神は、しあわせの桃地蔵裏面の本殿に祀られているのだろう。
しかし、御嶽大神の本地仏(神の根本である仏)は大日如来であって、地蔵菩薩ではない。

拝殿前から社殿の左手(西側)に回って本殿の様子を見てみた。

幣殿と本殿覆屋はトタン葺で1枚屋根になっている。

本殿覆屋の西側の社叢の中には、おびただしい数の霊神碑が祀られていた。

この稲荷山周辺に御嶽教の信者の居住する村が存在したことが分かる。
霊神碑のすべてが、拝殿と同じ向きに祀られている。
その中には石垣を組んだ基壇上に以下三柱の神名を刻んだ石碑を設置しただけのシンプルな霊神碑が祀られていた。

 稲荷大神
御嶽大神
 保一大神

御嶽信仰の場ではあるが、稲荷信仰も重要な役割をしていることが解る。

この石碑の麓、基壇上には複数の素焼きの使いの狐像が奉納されていた。

この霊神碑と狐像は何故か、地色の江戸茶と焼けた柳煤竹色(やなぎすすたけいろ)が共通している。
この石碑と対照的な霊神碑が以下の複数の巨石を積み重ねて塚を造成し、その頂上に2基の霊神碑を祀ったものだ。

向かって右側の霊神碑には「安䉜大神」、左の霊神碑には「榊元大神 榊丸大神」とある。
若竹を意味する「䉜」の文字はまず読めないが、「ジ」もしくは「チ」と読み、これまでに「矢」と関係のある場面で使用されていた記憶があるのだが、思い出せない。

(この項。続く) 

◼️◼️◼️◼️
憲法九条の精神を拠り所としている牛川稲荷社の神職は真言密教の関係者なのか、あるいは御嶽信仰の関係者なのでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?