愛知県豊田市森町の八柱神社の境内社門守神社(かどもりじんじゃ)の裏面、八柱社古墳の墳上に回りました。
墳上から造出のある西北西の造出(つくりだし)を見下ろしたのが下記写真。
日当たりの良い西南西を見下ろしたのが下記写真。
こちら側の造出は明快で、杉と思われる巨木が見られた。
墳上から八柱社古墳の造出、造出から北側の周濠部に降りたが、12年前にやって来た時と同様、水は無く、周濠も明らかではなかった。
周濠の北側から八柱社古墳のかつての周濠の中を時計回りに回った。
八柱社古墳の北西の周濠内から八柱神社境内社門守神社を見上げると、2棟の社(やしろ)覆屋がブロック塀を巡らせた基壇上に設置されているのが見えている。
墳丘には枯葉が重なって積もっている。
すでに紹介した情報を省略し、曽根遺跡公園内に建てられた教育委員会による案内板『八柱社古墳(市指定史跡)』の内容を紹介すると、以下のようになる。
八柱社古墳の北北西側から境内社門守神社を見上げたのが下記写真だ。
周濠の位置する森の中から北北西の外側に抜けると、そこは曽根遺跡公園の舗装地で、直径17mほどの竪穴建物跡・溝跡がコンクリートで固められた状態で保存されていた。
上記写真右奥の森の中に八柱社古墳が存在し、左奥に見える小さな円墳が香久礼1号墳墓だ。
下記写真は八柱社古墳の森の前から八竪穴建物跡・溝跡越しに豊田スタジアムを眺望したものだ。
豊田スタジアムは丹下健三のデザインした国立代々木競技場の構造を利用してスタジアムを建造したものと思われる。
豊田スタジアムは豊田市随一のランドマークだ。
曽根遺跡公園にはほかに縄文竪穴建物が復元されていた。
復元家屋の案内板『復元家屋(竪穴建物)』には以下のようにある。
森町 八柱神社の本殿の北側には香久礼(かくれ)1号墳墓が移築されていた。
香久礼1号墳墓はすっかり、雑草で覆われていた。
1号墳墓脇の案内板『香九礼1号墳』には以下のようにある。
香久礼1号墳墓の石室入口(羨門)周辺には羨門部(せんもんぶ)両脇の左右袖垣に乗せた天井石、前庭部左右の翼垣のように、各部に積まれた石が残っている。
低くて狭い羨門から中を覗き込むと、玄室内は外から想像していたより広かった。
奥壁と天井石には平に加工された巨石が見られる。
下記写真は 案内板に表示されていた発掘当時のものだ。
案内板『香九礼1号墳』には以下のようにあった。
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八柱社古墳のある曽根遺跡公園は曽根遺跡の中にありますが、弥生・古墳時代の遺跡なので、そこに縄文時代の古墳や竪穴住居が移築されているのは紛らわしいところがありますが、保存場所が無くて、撤去されるよりはずっと好いのかもしれません。