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今朝平遺跡 縄文のビーナス 66:2基の古墳

愛知県豊田市森町の八柱神社の境内社門守神社(かどもりじんじゃ)の裏面、八柱社古墳の墳上に回りました。

愛知県豊田市森町 八柱社古墳/香久礼1号墳墓/豊田スタジアム
豊田市森町 
曽根遺跡公園(八柱社古墳/八柱社古墳周濠/竪穴建物跡・溝跡/復元家屋/香久礼1号墳墓)

墳上から造出のある西北西の造出(つくりだし)を見下ろしたのが下記写真。

豊田市森町 八柱社古墳 墳上から西北西の造出部を見下ろす

日当たりの良い西南西を見下ろしたのが下記写真。
こちら側の造出は明快で、杉と思われる巨木が見られた。

森町 八柱社古墳 墳上から西南西を見下ろす

墳上から八柱社古墳の造出、造出から北側の周濠部に降りたが、12年前にやって来た時と同様、水は無く、周濠も明らかではなかった。
周濠の北側から八柱社古墳のかつての周濠の中を時計回りに回った。
八柱社古墳の北西の周濠内から八柱神社境内社門守神社を見上げると、2棟の社(やしろ)覆屋がブロック塀を巡らせた基壇上に設置されているのが見えている。

森町 八柱社古墳 境内社門守神社覆屋

墳丘には枯葉が重なって積もっている。
すでに紹介した情報を省略し、曽根遺跡公園内に建てられた教育委員会による案内板『八柱社古墳(市指定史跡)』の内容を紹介すると、以下のようになる。

円墳の西側に、幅10m・長さ 7.5m・高さ0.6m 前後の方形の造出があり、古墳の周囲には堀 (周溝) の痕跡が残っています。 周溝を含む全長は45mとなり、市内に現存する古墳としては、最大規模を誇っています。「御本殿の地下一尺五寸位は板石でコツイて見ると、かなり広 いらしい空洞の音だと。」という伝承も記録されており、内部には石室が眠っ ているようです。これまでに発掘調査は行われておらず、遺物としては円筒 「埴輪数点が採集されているのみです。
埴輪の特徴から判断すれば、5世紀半ばを前後する時期にこの地を治めた 豪族が、西側の矢作川とその周辺を一望できる景勝の地に葬られたものと考 えられます。

曽根遺跡公園内案内板『八柱社古墳(市指定史跡)』部分(豊田市教育委員会)

八柱社古墳の北北西側から境内社門守神社を見上げたのが下記写真だ。

森町 八柱社古墳 八柱神社境内社門守神社

周濠の位置する森の中から北北西の外側に抜けると、そこは曽根遺跡公園の舗装地で、直径17mほどの竪穴建物跡・溝跡がコンクリートで固められた状態で保存されていた。

森町 曽根遺跡公園(八竪穴建物跡・溝跡/八柱社古墳の森/香久礼1号墳墓)

上記写真右奥の森の中に八柱社古墳が存在し、左奥に見える小さな円墳が香久礼1号墳墓だ。

下記写真は八柱社古墳の森の前から八竪穴建物跡・溝跡越しに豊田スタジアムを眺望したものだ。

豊田市森町 曽根遺跡公園(八竪穴建物跡・溝跡)/豊田スタジアム

豊田スタジアムは丹下健三のデザインした国立代々木競技場の構造を利用してスタジアムを建造したものと思われる。
豊田スタジアムは豊田市随一のランドマークだ。

曽根遺跡公園にはほかに縄文竪穴建物が復元されていた。

森町 曽根遺跡公園(復元家屋)/豊田スタジアム

復元家屋の案内板『復元家屋(竪穴建物)』には以下のようにある。

曽根遺跡の発掘調査で確認された竪穴建物の図面をもとに、峰一合遺跡(岐阜県下呂町)や登呂遺跡(靜岡県静岡市) などの復元家屋を参考 に、縄文時代の竪穴建物を復元しました。
建築の部材として、柱にクリ、合掌にはナラやカシなどを使用し、屋根は茅(ススキ)で葺きました。

曽根遺跡公園案内板『復元家屋(竪穴建物)』

森町 八柱神社の本殿の北側には香久礼(かくれ)1号墳墓が移築されていた。

森町 曽根遺跡公園(香久礼1号墳墓)

香久礼1号墳墓はすっかり、雑草で覆われていた。

1号墳墓脇の案内板『香九礼1号墳』には以下のようにある。

香九礼1号墳は市内志賀町香九礼にあった円墳で、昭和50年に 「宅地造成に先立って調査が行われ、この公園に移築されました。 古墳の大きさは、直径12m・高さ1.5mで、内部主体は横穴式石室 です。右室の大きさは、長さ7m・幅1m・高さ1.2mで、豊田市内 では小さな部類に入ります。
遺物としては須恵器の坏が1点と、器種不明の須恵器の小さな破片が9点ほど出土しました。古墳の築かれた年代は、出土した坏(つき)の形から、古墳時代の終末期・7世紀末〜8世紀初頭と推定され ています。

香九礼1号墳脇案内板『香九礼1号墳』

香久礼1号墳墓の石室入口(羨門)周辺には羨門部(せんもんぶ)両脇の左右袖垣に乗せた天井石、前庭部左右の翼垣のように、各部に積まれた石が残っている。

町 曽根遺跡公園 香久礼1号墳墓 石室入口

低くて狭い羨門から中を覗き込むと、玄室内は外から想像していたより広かった。
奥壁と天井石には平に加工された巨石が見られる。

森町 曽根遺跡公園 香久礼1号墳墓 玄室内

下記写真は 案内板に表示されていた発掘当時のものだ。

豊田市志賀町 曽根遺跡公園 香久礼1号墳墓 発掘現場

案内板『香九礼1号墳』には以下のようにあった。

香九礼1号墳は市内志賀町香九礼にあった円墳で、昭和50年に 「宅地造成に先立って調査が行われ、この公園に移築されました。 古墳の大きさは、直径12m・高さ1.5mで、内部主体は横穴式石室 です。右室の大きさは、長さ7m・幅1m・高さ1.2mで、豊田市内 では小さな部類に入ります。
遺物としては須恵器の坏が1点と、器種不明の須恵器の小さな 破片が9点ほど出土しました。古墳の築かれた年代は、出土した 坏(つき)の形から、古墳時代の終末期・7世紀末〜8世紀初頭と推定され ています。

曽根遺跡公園 案内板『香九礼1号墳』

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八柱社古墳のある曽根遺跡公園は曽根遺跡の中にありますが、弥生・古墳時代の遺跡なので、そこに縄文時代の古墳や竪穴住居が移築されているのは紛らわしいところがありますが、保存場所が無くて、撤去されるよりはずっと好いのかもしれません。

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