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今朝平遺跡 縄文のビーナス 67:3基の古墳

愛知県豊田市森町の八柱社古墳(やつはしらしゃこふん)に行った日は昨年の8月下旬のことでしたが、この日はもう1ヶ所の豊田市内の古墳群である、東保見町(ひがしほみちょう)の根川古墳群(ねがわこふんぐん)も巡りました。それは直線距離で豊田スタジアムの北北西6.7kmに位置していました。

愛知県豊田市東保見町 根川古墳群
東保見町 根川古墳群(根川1号墳/根川2号墳/根川3号墳)

根川古墳群は伊保川(いぼがわ)の2つの支流である伊保堂川(旧・伊保見堂川)と樋川の間に位置する古墳群だ。
豊田スタジアムから西側を流れる矢作川を西側に超えて、南北に延びる国道248号線を北上し、県道58号線と県道283号線を経由して宅地開発された住宅街に登っていくと、住宅街の中にそびえる丘陵があった。

豊田市東保見町 根川古墳群

丘陵は西側を通っている283号線からの比高差は20mくらいだという。

愛車を駐車場に入れて階段を上ると、目の前に「1号墳」という立て札のある円墳があった。

東保見町 根川古墳群 1号墳

見たところ、足元からの比高差は2.5m以内で、墳丘の全面が雑草で覆われ、潅木も生えている。

丘陵の階段を登り終えた左手には石碑に「根川古墳 豊田市」と刻まれた墳号標が設けられ、教育委員会の設置した案内板『根川古墳群』が設置されていた。

伊保谷の平野部を見下ろす場所に築かれた3基の古墳です。古くから有名であった1号墳は、明治18年と昭和22年に発掘されています。三号墳は 西側の県道建設工事に先立ち平成2年に、1・2号墳 は平成27・28年にあらためて発掘調査 が行われました。 1・2号墳はともに直径17mの円墳で埋葬施設は横穴式石室、3号墳は直径13mの円墳で埋葬施設は木館などが想定されます。3号墳がおそらく 6世紀前半、1号墳が6世紀中頃、2号墳が6世紀後半に造られています。 1号墳の墳丘には植輪が並べられており、石室からは多量の須恵器や3組もの馬具、三角穂式鉄鉾、トンボ玉をはじめとする装身具などが数多く出土しました。質・量ともに優れた副葬品から、本古墳群に葬られた人物は、伊保谷の盟主であったと考えられます。住宅地の中に残された丘陵には、1・2号墳と、 伊保谷への素晴らしい眺望が保存されています。

根川古墳群内案内板『根川古墳群』

下記写真は1号墳の南々西側から撮影した1号墳。

東保見町 根川古墳群 1号墳

下記写真は北西側から撮影した1号墳。

東保見町 根川古墳群 1号墳

墳頂に上がって2号墳の方向を見下ろすと、2号墳は麓からの比高差は2mもない感じで、こちらは雑草がほとんど生えていなかった。

東保見町 根川古墳群 1号墳墳頂から見る2号墳

2号墳の向こう側は麓を283号線が通っており、3号墳は消滅している。

1号墳墳頂からもっとも開けている南々東方向を眺望したのが下記写真だ。

東保見町 根川古墳群 1号墳墳頂から見る南東方向

ちょうど、豊田スタジアムのある方向だ。
遠方に豊田市の山岳部の尾根が連なっている。

2号墳の麓に下ると、墳墓と言われればそう見えるレベルの墳丘が残っていた。
表面はかなり砂利を被っている。

東保見町 根川古墳群 2号墳 東南東側

2号墳の墳頂から1号墳を望んだのが下記写真。

東保見町 根川古墳群 2号墳墳頂から見る1号墳

2基の墳頂の距離は、20mあまりだが、この2基の古墳は合わせて前方後円墳だったのではないかとする説もあたようだが、現在は築造年代が1号墳と2号墳で半世紀ほどズレているとみられており、2基の円墳とみられている。
ここまで墳丘が崩れてしまっていては判断がつけられないが、もし前方後円墳だったら、2号墳は方墳だったことになる。
そして、失われた3号墳も『根川遺跡』( 愛知県埋蔵文化財センター 年報 1991.3 村和宏)によれば、「墳丘裾が直線的」だったとされていて、やはり方墳であった可能性があると見られている。

階段上の丘陵端から東方向を見下ろしたのが下記写真。

東保見町 根川古墳群 丘陵上から見る東方向

整理された区画に新しい住宅が立ち並んでいる。

下記地形図測量図は県道283号線を通す前の2015年に調査されたされた際の地形図測量図だ。

『根川遺跡』( 愛知県埋蔵文化財センター 年報 1991.3)

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根川1号墳は昭和初期の盗掘で破壊され、埋め戻された状態になっているそうです。

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