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御用地遺跡 土偶 58:アラハバキからスサノオへ

安城市の小川神社の南東1.5km以内に荒神社があるので、向かいました。
その小川町 荒神社は矢作川
(やはぎがわ)西岸の堤防下を走る道路に面していました。

●後頭部結髪土偶

1MAP小川町 荒神社

小川町 荒神社の社地は矢作川堤防と堤防下を走る道路に挟まれた敷地に存在していた。
社地の全景を眺められるかもしれないので、北東側にある社頭脇の堤防の下に愛車を駐め、堤防上に上がってみた。
堤防上から荒神社を見下ろしたのが以下の写真。

1小川町 荒神社杜

堤防はかなり高く、矢作川が相当な天井川であることが解る。

堤防を降りて北東(鬼門)を向いた社頭に立つと、石造伊勢鳥居がなぜか、境内の片隅に寄せた場所に設置され、右手にはスダジイと思われる巨木が複数に分かれた幹をうねらせて空に向かっている。

2小川町 荒神社杜

社頭が鬼門を向いている神社はこれで4社目だ。
鳥居が堤防に寄せられている理由は奥に2棟の社殿が並んでいるためで、
拝殿に鳥居を向けるためだと解った。
拝殿脇の堤防の下部には常緑樹の高木が濃い葉を茂らせている。

社頭の右端の潅木に包まれた社号標は「荒神」の文字しか露出していない。

3小川町 荒神社社号標

社号標には地衣類が藍白の染みとなって記入されている。

表参道を真っ直ぐ進むと、鳥居の手前には石灯籠だったが、拝殿前にはそれぞれ1対の常夜灯と狛犬が並び、地面には細かな砂利が敷き詰められている。

4小川町 荒神社拝殿

拝殿は瓦葺切妻造平入で正面は舞良子(ムラコ)で抑えた板壁で、中央の観音開きの扉には複数の銅の飾り金具が装飾されている。
飾り金具は左右対称に板に止められているのだが、中に1点だけ中央下部右寄りに止められている金具がある。
何だろうと、見に行くと、板に割れ目が入ったのを止めるための止め金具だった。

5小川町 荒神社拝殿飾り金具

他の飾り金具の板面には何も装飾が入っていなかったが、止め金具にだけ左右非対称の唐草模様の装飾が入っていたので、当初は何か意味があるのかと思い、この金具だけUPで写真を撮ってしまった。
どの金具も防錆のため、紺鼠色に表面加工がされていた。
金具にも扉の板材にも樹液でも垂れるのか、白っぽい雨だれのような筋が入り、腐食させている。

拝殿前で参拝したが、この荒神社の700mあまり上流には天神社が、同じように堤防下に祀られている。
当初、「天神社」なので、菅原道真公を祀った神社だろうと思っていたので、この神社には寄っていなかったのだが、小川町 荒神社の荒神の正体を知るために、この小川町の天神社に祀られている菅原道真公以外の祭神を調べてみたところ、本殿には菅原道真公は祀られてなく、天照大御神を祀った神社であることが判った。

確かに天照大御神は天神だが、一般的には社名には「神明神社」が使用されている。
しかし、ここに天照大御神が祀られているとなれば、小川町 荒神社の荒神の正体は矢作川西岸の荒神社が全てスサノオと推測されたように、やはり弟のスサノオと推測される。
ただし、それは天孫系朝廷によってアラハバキが抹消されて以後のことだ。

本殿を観るために拝殿と堤防の間を抜け、本殿の裏面を回り込んで、本殿の北側に出た。
本殿は瓦葺切妻造平入の覆屋内だった。

6小川町 荒神社本殿

壁は簓子張り(ささらごばり)の板壁が黒く染められている。

下記写真は境内から見上げた矢作川堤防だが、堤防の下部には檜が並べて植えられている。

7小川町 荒神社堤防

これも荒神社の補修材を得るためのものだと思われる。

荒神社の下流20m以内に小川橋が架かっているのだが、向こう岸はすでに西尾市になっている。

8矢作川小川橋


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ヘッダー写真は荒神社脇の堤防上で、矢作川の上流に向かって撮影したものです。
撮影した時には全く気づいていなかったのですが、今見ると翼を持った蛇(アラハバキ)ではないかと思った次第。

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