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本刈谷貝塚 土偶 23:水路

岡崎市小薗神明社(おぞのしんめいしゃ)から三河湾に出るまでの現在の水路の状況に興味を惹かれたので、小薗神明社北側を流れる安藤川から川沿いを辿り、三河湾まで下ってみた。

本刈谷貝塚土偶ヘッダー

小薗神明社のある岡崎市中島町から安藤川の本流である矢作古川(やはぎふるかわ)が三河湾に流れ込んでいる河口のある西尾市吉良町まで約13.8km、標高差は約6m。

15MAP安藤川〜広田川〜矢作古川〜三河湾

安藤川は広田川(こうだがわ)の支流であり、小薗神明社の下流4.5kmあまりの西尾市高河原町で広田川に合流している。
安藤川の合流した広田川は矢作古川の支流であり、高河原町の下流5.6km以内の西尾市吉良町で矢作古川に合流している。
吉良町から三河湾河口までは3.7km以内だ。

16安藤川(中島町)

上記写真は小薗神明社の北側を流れる安藤川に架かった下流側の最初の橋の上から撮影したもの。
川幅は約24m。
流れは西北西に向かっており、左手に沿ってマイナーな一般道が通っている。小薗神明社の社頭を通っている道路だ。
安藤川の流れの右手遠方に小山のシルエットが見えるが、八ッ面山という山で、脇を高架で通っている自動車専用道路(国道23号線)を走っていて、思わず前方後円墳だと思って、高架を降りて観に行ったことのある山なのだ。
平地にいきなり大小二つの山だけが連なっており、その等高線を見ると前方後円墳としか思えない形をしている。もちろん、前方後円墳の可能性があると見られているのだが、如何せん墳丘だけで600mと大きすぎるのだ。
ちなみに、国内最大の前方後円墳で、しかも他のものと比べて飛び抜けて大きい大仙稜古墳の墳丘のサイズは486mである。
八ッ面山が前方後円墳だったとすると、日本古代史がひっくり返る代物なのだ。
それでも個人的には前方後円墳ではないかと見ているのだが、調査はされていない。

さて、中島町から安藤川の堤防上に上がれる場所を探しながら、川沿いの道路を選んで、南西に降ったのだが、安藤川の堤防上は車が通れるほど広くないことから、道路としては利用されてないようで、登り口も、全く見当たらなかった。結局、中島町を出てから安藤川の水面を1度も見ることなく、広田川との合流点近くまで到達してしまった。
そして、安藤川と広田川との合流点もまた、背丈4mくらいありそうな高い藪に阻まれて、通路は設けられておらず、60mあまり上流にある水門までしか近づくことができなかった。

17安藤川広田川合流点(高瓦町)

上記写真は広田川と安藤川に沿った用水路で、左手の空色にペイントされた柵の下部が広田川との間の水門。
右端の建造物は広田川と安藤川の合流点に用水路の水を落とすための水門のようだ。

広田川と安藤川の合流点から今度は広田川を辿ることになったのだが、広田川の堤防上も道路は設けられておらず、結局、広田川の水面を見ることができたのは、720mあまり下流に架かった名称不明の橋の上からだった。

18広田川(県道318)

このあたりで、川幅は約50mあまり。
広田川も水面は高く、上記写真右端にのぞいている水田と標高は変わりない感じで、水位情報は常にケータイでチェックできるようになっている。
安藤川、広田川、ともに堤防上に道路が設けられていないのは決壊の可能性があるからなのかもしれない。
梅雨明け以後、ほとんど雨の降っていない現在の水位は1.72mとなっている。

広田川を覗いて再び、広田川沿いの道を探しながら、1.7kmほど下ると、横須賀槁が架かっており、この橋の脇から堤防上が2車線のコンクリート舗装された県道315号線に変わった。

横須賀槁の下流3.1kmあまりで広田川は矢作古川に合流しているのだが、合流点の前後2kmあまりの両岸の河原はゴルフコースになっており、立ち入ることができなくなっていた。

合流点の下流1.6km以内に矢作古川最下流の橋、松大橋が架かっており、その橋上から三河湾河口を撮影したのが下記の写真。松大橋あたりの川幅は100mあまり。

19三河湾河口眺望(国道247)

川幅370mあまりの河口をズームしてみると、三河湾の向こう側に対岸の渥美半島の山並みがシルエットになっていた(ヘッダー写真)。
矢作古川河口から渥美半島まで13.1kmあまり。

小薗神明社御手洗池から伊勢神宮内宮(ないくう)まで、舟で向かえば、総距離は64km以内だ。

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現在は渥美半島の先端から対岸の鳥羽市まで(19.6kmあまり)フェリーで結ばれている。鳥羽市から伊勢神宮内宮まで、直線距離で11.4kmあまり。

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