見出し画像

伊川津貝塚 有髯土偶 38:希有な空海像

愛知県北名古屋市九之坪(くのつぼ)の両家天神社から直線距離でほぼ真北の180m以内に位置する、同じ九之坪の高畑神明社に向い、路地を北上していると途中、九之坪の路地沿いにある駐車場の道路脇に西向きに堂が奉られていたので、寄っていくことにしました。

愛知県北名古屋市九之坪 弘法堂/神明 神明社
北名古屋市九之坪 弘法堂/神明 神明社

瓦葺切妻造棟入で前面全面が格子窓になっている堂はレンガを積んだ基壇上に設置され、向かって右脇に郵便ポストのような賽銭箱を持っていた。

愛知県北名古屋市九之坪 弘法堂

堂の左右の柱には塩化ビニール製のパイプを竹槍風にカットした花立が取り付けられている。
よく見ると、上記写真では読み取れないと思われるが、向かって右の花立の柱の上部に「公弘様に合掌」とプリントされた白いシール‘が貼られていた。
この堂は弘法堂だったのだ。
弘法堂は駐車する車に当てられないように低いコンクリート製の仕切りが設けられている。

●希有な弘法大師空海坐像石仏
堂内を見ると弘法大師空海像としては珍しい容貌の坐像石仏が納められていた。

北名古屋市九之坪 弘法堂 弘法大師空海像

そして、珍しいというか、立体像としては初めて見る、水壺と木履(ぽっくり)と牀座(しょうざ:座るための台座)が、重なって大師の膝と一体となった形に彫塑されていた。
おそらく地元の方々は気付いていないと思われるが、この空海像は非常に貴重な坐像石仏だと思われる。
実際に大師が水壺と木履をこの位置に置いていたわけではなく、空海の画像内に描かれているものを石像として纏めるためにこのような配置にして表現されているのだ。
おそらく、この石仏を製作した石工だけのオリジナル空海坐像だと思われる。
そもそも、空海坐像石仏の多くは印刷物のように、ほとんどが同じ像なので、1体ごとの価値のある像はほとんど存在しないのだ。
同じように定型のある役行者像が2体と同じものが存在しないのと対照的な像なのが空海像なのだ。
上記写真では大師が左掌を上にして数珠を執っているが、これは定型の姿だ。
そして、空海坐像で最大の特徴が以下の写真に写り込んでいる。

九之坪 弘法堂 弘法大師空海像

それは五鈷杵(ごこしょ:片側に5本の爪を持つ金剛杵)を右掌を反転して執っている表現だ。
もちろん、他の仏像でこんな像は存在しない。
五鈷杵はどんな角度で描写しても、陰影法を用いた画像でもない限り、平面的な表現が基本になっている日本画や強度を考慮しなければならない石像では金剛杵(こんごうしょ)の爪が5本に見えるように表現されることは、ほとんど無いだろう。
いや、木像でも5本の爪を表現したものは見たことがない。
必然的に実際の人間がこのような角度で手を捻って五鈷杵を持つのは関節を外せるような大道芸人でもなければ不可能である。
そして、この石像は五鈷杵を完全に水平に表現しているが、この表現もほかの弘法大師空海坐像では見たことのないものだ。
頭部もこの像独特な表現がされている。
眉丘のふくらみが目尻を通り抜けて顎の輪郭につながり、さらに耳たぶのラインとつながっており、ある意味、奇妙と言っていい表現がなされているのだ。
なので、僧侶像であることを知らないで見たら、頭に頭巾のようなものを被っているように見えるのではないだろうか。
目は窪みが一切彫られることなく、線刻だけで表現されている。
これも独特な表現だ。
上唇は厚くて幅広く、下唇は厚いが幅が狭い。
これは人相学的に人に慈悲を与えることで生きた人を表現したものだと思われる。
ちょっと、大谷翔平の唇を連想させるところがある。
とにかく、多くの空海坐像を見てきたが、個人的な弘法大師空海坐像個性No.1像である。
それも飛び抜けて。
仔細にこの石仏を見ると、頭部、鼻の頂点、上唇、右手親指に擦り傷があって、白っぽくなっている。
牀座と一体になった安定した像なので前に倒すのは困難で、前にもっとも突き出ている水壺には傷が無い。
この像を運ぶときにぶつけた傷ではないだろうか。

弘法堂から北北西130m以内に位置する高畑神明社に向かった。

愛知県北名古屋市九之坪神明 神明社

高畑神明社が見えてくると、社地の南隣は畑地になっていた。

愛知県北名古屋市九之坪神明 神明社/畑

直前の以下の記事で神明社だったと推測した現在の秋葉神社の周辺には農業用地が皆無であることを書いたが、高畑神明社のある九之坪には多くはないが、農業用地が点在していた。

畑地沿いに愛車を駐めて東向の社頭に立つと石造伊勢鳥居が設けられ、右脇には「神明社」と刻まれていた。

北名古屋市九之坪神明 神明社 社頭

社頭にはコンクリートで叩かれた短いスロープと鳥居を設けた踊り場があるが、表参道は特に設けられていなかった。
鳥居の奥には瓦葺きで社頭とは90度向を変えた南向きの拝殿があって、拝殿前には本来は表参道の両脇に設置されるべき石灯籠があるのだが、その石灯籠が境内の南端ギリギリにあるために、その南側に参道を設けるのが無理な状況になっていた。
元は上記写真左手(南側)のこの畑の中を表参道が南北に通っていた可能性が考えられる。
 
それでも、鳥居をくぐって拝殿の前に立つと、巨大な鬼瓦を持つ愛知県定番の瓦葺切妻造棟入吹きっぱなしの拝殿が立ち上がり、素通しの拝殿の向こう側(北)には銅板葺屋根の本殿が見えていた。

九之坪神明 神明社 拝殿

社叢は社殿の西側と本殿の裏面に少しあるのみだ。

拝殿を通して本殿の方を眺めると、本殿とその左右に境内社らしき社が高さ1.2mほどの石垣を組んだ基壇上に祀られていた。

神明 神明社 拝殿〜本殿

基壇の裏面にも少し社叢が存在した。
拝殿内の鴨居の上(上記写真、破線白○内)に龍神の額が奉納されているなと思っていたのだが、この記事を書いていると気になってきたので、上記写真のこの部分を拡大して明るさを調整したら、以下の奉納額であることが判った。

神明 神明社 拝殿 奉納額

蛇の絡んだ亀が金色の素材で造形された図を収めた額のようだった。
つまり北を示す神獣玄武であり、この額が掛かっている方が北だった。
となると、他の3方の鴨居にも白虎とか朱雀の額が掛っていたのかもしれなかったのだが、行ったときにはまったく気づかなかった。

拝殿の奥に回ると、拝殿と本殿の間にはコンクリートでたたかれた山道が設けられており、その両側の地面もコンクリートでたたかれていた。

神明 神明社 基壇(本殿/境内社)

基壇の石垣は河原石を組んで隙間をコンクリートで固めたものだが、昭和期以降に組まれたもののようだ。
明治期以前に組まれた石垣のような美しさはまるでない。
基壇上に巡らせた瑞垣の親柱には黒くペイントされた尾張によく見られる鉄格子の門が着いている。
門の下で参拝したが、この神社の情報は見当たらなかったものの、本殿と両側の社には社名の表札が柱に付けられていた。

中央の銅板葺切妻造平入のもっとも大きな社(本殿)には「神明社」の表札。

神明 神明社 本殿

屋根に乗せた大棟には銅の金飾りが装飾されていたが、そこには五七の桐紋の神紋が入っていた。

神明 神明社 本殿 大棟金飾り神紋

本殿の右側の社には本殿より二回り小さな社に「天王宮」の表札。
なぜ津島社ではなく天王宮なのか。
おそらく津島社が神社になる前からこの天王社はここに祀られていたのではないだろうか。

神明 神明社 基壇 境内社天王宮

本殿の左側の社は天王宮を一回り小さくした同じ規格の社で「秋葉社」の表札が付いていた。

◼️◼️◼️◼️
ここで紹介した神明社のある住所「北名古屋市九之坪神明」の字名「神明」はここで紹介した神明社に由来する字名だと思われますが、九之坪にはもう1社高畑神明社が存在するようです。高畑神明社の方は情報が多く、祭神は天照大神と豊受大神となっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?