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麻生田町大橋遺跡 土偶A 135:モッコウバラと皇室

豊橋市牛川町の浪之上熊野神社から南西210mあまりの場所で牟呂用水に架かった無名の橋に向かいました。

牛川町西郷に位置する無名の橋1上から上流側を眺めると、牟呂用水の水は豊かで、両岸は森に囲まれていた。

一方、下流側を眺めると、牟呂用水は橋の下流20m以内で左(南東)に曲がり、見通せない。

右岸に聳える寺院の本堂らしき建物は真宗寺院の正太寺だった。

無名の橋1から牟呂用水の下流240m以内に位置する牛川町東側(←字名)の暗渠Aに移動して、道路の通っている土手の上から牟呂用水上流側の暗渠Aの入口を見下ろしたのが下記写真。

水路面は両岸から伸びる潅木で完全に覆われている。
ここまでの牟呂松原幹線水路では見られない光景だ。
すでに農業用水としては役割を終えているのか、両岸とも標高が高く、牟呂用水から給水するにはポンプで汲み上げる必要がある。
しかし、牟呂用水になって以降、樋門も姿を消したままだ。
実はここで撮影した写真をチェックするまで、この暗渠は橋だとばかり思っていたのだが、牟呂用水は暗渠となってこの場所をくぐり抜け、下記写真の下流側に抜けている。

左岸の牛川町西側(←字名)には牟呂松原幹線水路周辺で初の高層ビルが見える。
ライオンズマンションのようだ。

下流側の牟呂用水の水面を見下ろすと、暗渠Aの出口の下流10m以内で水路が矩形に折れている。

暗渠Aから牟呂用水下流60m以内に架かった無名橋2に移動。

橋上から牟呂用水の水底を見下ろすと左岸に純白の花が咲き乱れている場所があった。

カメラでUPにしてみると、蔓状の幹を持つ植物だ。

花図鑑で調べてみると、初夏(この時は5月初旬)に開花するハナモッコウバラであることが判った。
野生種の起源は不明のバラだというが、一般的なバラのイメージはまったく無いが、バラに詳しい人なら「バラ」と言われても不思議じゃ無いだろう。
一般にモッコウバラというと、庭園などで、アーチやフェンスなどに用いられる黄色い八重咲の花として知られ、多くの園芸種があるというのだが、牛川町西側のモッコウバラは野生種の白色一重で、イメージは別物だ。
一重のモッコウバラには芳香があるが、一般的な八重のモッコウバラには芳香が無いという。
ちなみに、黄モッコウが下記図版のように、何かと日本国民に物議を醸している秋篠宮家徽章の十六葉八重表菊を囲む丸枠に図案化されて使用されている。

モッコウバラの蔓状の幹を枠に利用した図案だ。
十六葉八重表菊を中心にして四方に向かっている側面の花も菊にしか見えないのだが、八重のモッコウバラなのだろうか。
知多半島の半田市では国登録有形文化財である「小栗家住宅(醸造業などを営んでいた小栗家の旧邸宅)」の庭には樹齢約150年という白モッコウバラが存在し、毎年4月中旬~5月上旬の開花期だけ小栗家住宅が公開され、「萬三(小栗家の商店屋号)の白モッコウバラ祭」が開催されている。

無名橋2から牟呂用水下流230mあまりに位置する名称不明の橋に向かった。
この橋の左岸上流側の角に強い存在感を放つ花が咲いていた。

ガザニアだった。
ガザニアの茎は原始的な植物であるシダ類のように、地下茎を地面に沿って広げ、葉は濃緑色で光沢のあるへら形で中央脈が太くて深く、肉厚なイメージがある。
花(舌状花部分)は白いが中央部の簡状花部分を中心に黄色に染まっている。
白いガザニアも一般的なものではなく、出回っている品種のほとんどが暖色系の樺色・オレンジ色・臙脂・黄土色などで、鮮やかな花であるイメージが強い。
この花びら(舌状花部分)は風にそよぐ優しいイメージは無い。
ガザニアの和名「勲章菊」は花を正面から見たときの形状によるものだが、その和名も個人的には“強さ”を感じさせる花だ。
また、ガザニアがドクダミなどのような生命力が強くて嫌がられる、地下茎で増殖してはびこる植物であることも、“強さ”を感じさせる要因になっているのかもしれない。

名称不明の橋から牟呂用水の下流側を見ると、左手(北西側)から水面上に覆いか被さる潅木に対して、右手(南東側)の高い堤防内には水路脇に通路が設けられていた。

その通路も橋の60mあまり下流沿いで、右手の堤防上から降ってきた広い通路に吸収され、その道に取って代わられているが見える。

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上記写真に見える左手の潅木は、この丘陵上に祀られた牛川町 熊野神社の社叢でした。それで、牛川町 熊野神社に向かうことにしました。

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