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中条遺跡 土偶A 22:古墳のソイルマーク

ここからは刈谷市内で存在していたことが確認されている3ヶ所の古墳を紹介していきます。

●中条遺跡 土偶A

築地貝塚(ついじかいづか)の北々東210m以内に位置する築地古墳跡に向かった。

1MAP築地古墳/泉田古墳

そこは逢妻川(あいづまがわ)の南岸に面した刈谷市総合運動公園内にあるバスケットボール・グランドの南西側の一画だった。

1築地古墳

そこは刈谷市総合運動公園沿いの道路に面していたが、グランド側は道路より5mほど低くなっており、道路の歩道沿いの欠かれた生垣の中に刈谷市特有のコンクリート碑が設置されており、その碑に教育委員会制作の案内書タイル『築地古墳』がはめ込まれていた。
この案内碑の背後には耕地整理で更地になったグランドが広がっていたが、上記の写真を見ると、実は築地古墳の輪郭線ではないかと思われる1/5ほどの円弧を描くソイルマークが芝生内に凹状に見て取れる。
下記写真は英国で多く見られるソイルマーク。

1C英国ソイルマーク

築地古墳跡は水田地だった場所で、遺構跡は育った稲にも発育差を生じさせ、稲穂などの植物にも形状を浮かび上がらせることがある。
ところで、案内書には「小円墳」とあり、小円墳にしては円弧が大きすぎるかもしれない。
となると、円墳を避けて流れていた水路、あるいは通路が存在した痕跡であるのかもしれない。
そうしたものの痕跡もソイルマークとして残される。

築地古墳跡の北西710m以内、逢妻川の対岸に位置する泉田古墳跡に向かった。
着いてみると、そこはモダンなアパートや住宅の間が稲で埋まった美しい空間だった。

2泉田古墳跡

泉田古墳も耕地整理で更地になった古墳だったのかもしれない。
稲穂には目立ったクロップマーク(ソイルマークに沿って植物の繁殖内に線が浮かび上がる現象)は見られなかった。
この地にあった泉田古墳も更地になってしまったが、泉田古墳に存在した石室の一部が、ここから真西400mあたりに位置する泉田町 八王子神社(下記写真)に移築されている。

3泉田町 八王子神社社頭

2MAP泉田古墳

八王子神社の社頭は鬼門に設けられている。
社頭が北や西を向いている神社は、これまで遭遇しているが、わざわざ鬼門に設けられている例に遭遇したのは初めてのことだ。
この八王子神社の境内は縄文期の八王子神社貝塚でもあるが、八王子神社貝塚に関する情報は見当たらない。
社内に入ると拝殿は南を向いていた。
この神社の地形を考えると、かつての社頭は、まともに南側にあったようで、鬼門にしか入口が設けられなくなった物理的な事情があったようだ。
拝殿前に上がって挨拶したが、この神社の主祭神は社名の八王子の神々ではなく、国狭槌尊(クニサツチ)となっていた。
一般に馴染みのない神だが、国狭槌尊は『日本書紀』と『ホツマツタヱ』では天地開闢(かいびゃく)の後、国常立尊(クニノトコタチ)に次いで登場した男神と記されている。
『古事記』では大山津見神(オオヤマツミ)と野椎神(ノヅチ)の子と記されているのみだ。
母親のノヅチは縄文土器の装飾紋として見られる蛇神である可能性がある。

泉田古墳の石室は拝殿前の広場と、境内社の厳島社を結ぶ参道脇に設置されていた。

4泉田古墳石室

この設置された石室が全てなのか、省略されたものなのかが、よく分からない。
教育委員会制作の羨門(せんもん:入り口)脇の案内書『泉田古墳』によれば、石室は長方形でサイズは以下とある。

・長さ 4m
・幅  1.15m
・深さ 0.8m

最奥には最も大きな石が奥壁として据えてあり、羨門両脇にだけ楕円形の石が選んで置かれている。
床面からは二体の人骨と金環5個が発見され、現在の石室の中央に発見された人骨が、埋納されているという。
案内書を要約すると、以下のようになっていた。

この古墳は1960年に土取り作業中に発見された。
 標高10mの台地の崖端を利用して構築されており、石室の主軸はほぼ北西から南東への線上にあり、石室の南前面には逢妻川(あいづまがわ)低地が広がっていた。
 石室は多少地山を掘り下げて築造され、人骨の発見された周囲の小石には朱が付着しており、須恵器・武器類および装飾品が副葬されていた。石室には天井石が架構されておらず、石室内に流入した土砂に水神平式土器(すいじんびらしきどき)・須恵器・古瀬戸器の破片が混入していた。

水神平式土器とは水神平遺跡で出土した条痕文を駆使したタイプの縄文時代最晩期の土器だという。

ところで、エメラルドグリーンの地衣類が繁殖している奥壁の石は厳選されたものである様子は感じられない。

5泉田古墳石室奥壁

しかし、奥壁、側壁、羨門脇に使用されている石は3種類でタイプが異なっており、ただ、石を並べたのではなく、何らかの拘りがあってのことで、そこに文化を感じることができる。

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いやいや、しかし、案内書きを現場で読むことは滅多に無いので、奥壁を撮影するために、人骨が埋納された場所を踏んでしまったよ!
どなたのご先祖かは不明だが、申し訳ない。

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