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麻生田町大橋遺跡 土偶A 137:高水敷の秘密

豊橋市牛川町の熊野社から、熊野社の西の角地に接して、牟呂用水に架かっている下洗島橋に向かいました。

下洗島橋上から上流側を眺めると、右手の牛川町 熊野社は笹竹の藪になっていた。

下洗島橋の上流域から、右岸(上記写真左手)の堤防にコンクリート造のプレーンな高水敷が設けられたのが、牟呂用水初めての景観。
牟呂用水に沿って、この高水敷を歩いてみたくなった。

一方、下流側を眺めると、左岸(下記写真左手)に笹竹は見えず、潅木になっている。

高水敷には樹木の枝屑が溜まっており、これでは歩けない。
高水敷は水量が増えた場合に冠水することを前提に築造されているので、冠水した名残だ。

下洗島橋からの牟呂用水の下流部分はモーターサイクルでは近づけなくなっていたり、それ以降の下流部も景観にほとんど変化は見られなかった。
結局、下洗島橋の下流780m以内に位置する牛島町南台の牟呂用水に掛けられた無名の橋1(仮名称)まで下って、橋上から上流側を撮影したのが下記の写真だ。

プレーンな高水敷が設けられて以後、もっとも長い直線部だ。

下流方向を見ると、橋の脇に金属パイプの添え木をされた細い水管が架かっていた。

左岸(上記写真左側)には水路の落ち口が見えている。
左岸の丘陵上に住宅が出現した。

南台の無名橋1の下流160mあまりに位置する若宮橋に移動。
橋上から上流側を眺めると、プレーンな高水敷に護岸の幅の狭い同じコンクリートの土手が追加されていた。

高水敷と土手のコンクリートの白さが背の高い雑草との対比で映えて見え、この周辺が高級住宅地の雰囲気がする。
高水敷に腰を下ろして読書でもしたくなる感じ。
しかし、実際に牟呂用水沿いの県道394号線から左岸(上記写真右手)を見ると、背の高い雑草で牟呂用水はまったく見えず、「もっと整理しろよ」と言いたくなるような生い茂った雑草の隙間から住宅が見えるのみだ。
左岸にはやはり笹竹が繁殖している。

若宮橋上から下流側を眺めると、読書でもしたくなる感じは失せていた。
左岸(下記写真左手)にも高水敷が現れたのだが、完全に雑草で覆われており、コンクリートブロックを斜めに組み合わせた護岸も美しいとは言い難く、左岸沿い上に通路が設けられ、褪めた水色の鉄製ネット・フェンスが巡らされ、住宅が用水から遠ざかったのと、右岸の雑草の背丈が低くなり、文字通り雑草のイメージしかしなくなったのが原因だ。

右岸に取って付けたような高層マンションが1棟だけ立ち上がっている。

若宮橋から下流80m以内に位置する坂上橋(さかうえばし/ヘッダー写真)に移動。
橋上から上流側を眺めると、左岸(上記写真右手)の護岸からコンクリート・ブロックは姿を消し、両岸ともコンクリートの護岸に変わった。

護岸のコンクリートと比較したことから、護岸のコンクリートは焼けて古びており、高水敷のコンクリートとは、まったく異なるイメージがすることに初めて気づいた。
高水敷のコンクリートは意図的に白いコンクリートが使用されているようなのだ。

そして、坂上橋上から下流側の高水敷を見て驚いた。
高水敷のコンクリート造の蓋が外れており、内部はコンクリートで埋まっているのではなく、なんと!水路になっていたのだ。

牟呂松原幹線水路と並行して左岸側に流れていた用水と同じように、

ここ牛川町では右岸側に暗渠として流れていたのだ。
牛川町は完全に豊橋市市街地であり、暗渠としたのは、水路の匂い対策だろうか。
一方、左岸側(上記写真左手)の高水敷は姿を消している。

坂上橋の5mほど下流にも南台無名橋2が架かっていた。
牟呂用水の左岸にめぐらせた鉄のネット塀をそのまま延長した欄干を持つコンクリートで叩かれた橋だ。
坂上橋の歩道が幅が狭い上にカーブしており、通行する車に巻き込まれる事故が多発したことを推測させる、蛍光オレンジ色のポールタイプの車止めが1本、カーブ部分に立てられている。
無名橋2は坂上橋の歩道として設けられた橋だと思われる。

この無名橋2の上から下流側を見ると、南台無名橋3が架かっているのが見えるが、その手前左岸側(上記写真左手)に途中から旧護岸を覆うように分厚く白いコンクリート護岸が追加されていることに気づいた。

白いコンクリート護岸の部分の旧い護岸が老朽化したことからの対応で、旧いコンクリート護岸を崩して、左岸通路を長期間交通止めにして築造し直すよりも、護岸を表面に追加した方が低コストでイージーだからだろうか。

南台無名橋3上に移動して左岸側(上記写真右手)の新しい白いコンクリート護岸をチェックすると、上流側で見るよりも白いコンクリート護岸の傾斜が強くなっていた。

水路内に新しい護岸壁が突き出ているのだが、もう、この地域ではこの護岸壁にぶつかって堆積する土が存在しないのだろう。
驚いたのは右岸(上記写真左手)の高水敷が2倍半ほどに広がり、護岸の幅の狭い土手が無くなっていたことだ。
暗渠の水路が牟呂用水の半分幅に広がっているのだ。

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幅の広くなった高水敷ですが、自転車駐車場などに有効利用できないかなどと、つい考えてしまいますが、冠水するのが前提ですので、開けておくのが正解なんですよね。


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