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今朝平遺跡 縄文のビーナス 70:胸形の太鼓橋

愛知県豊田市越戸町の灰寶神社(はいほじんじゃ)から飯田街道(国道153号線)を北に向かうと、880m以内で平戸橋町の胸形神社(むなかたじんじゃ)に至ります。胸形神社脇を南北に通っている飯田街道は現在は県道58号線になっています。

愛知県豊田市平戸橋町 飯田街道(県道58号線) 胸形神社
豊田市平戸橋町 飯田街道(県道58号線) 胸形神社
平戸橋町 飯田街道(県道58号線) 胸形神社

2012年8月、平戸橋町 胸形神社に近づくと、飯田街道右手沿の社叢の入り口に飯田街道と並行して南を向いた石鳥居が見えてくる。

愛知県豊田市平戸橋町 胸形神社 社頭

社頭を飯田街道に向けると、参道入り口が西向きになってしまうので、避けたのだろう。
社頭脇に愛車を突っ込んで社頭に出た。
左右1対として設けられた常夜灯の奥に「胸形神社」と浮き彫りされた石造社頭額の掛かった石造台輪鳥居の前に立つと無舗装の表参道が飯田街道と並行して北に延びていた。
鳥居をくぐって10m以内で社叢が開けており、右手に池があり、立派な朱塗りの太鼓橋が架かっていることに気づいた。

池に沿って鳥居の東側に戻るように太鼓橋の南側の登り口に回ると、シューズ履きで欄干に掴まる形でないと、とても登れない橋が立ち上がっていた。

豊田市平戸橋町 胸形神社 太鼓橋

橋の床は石造で、靴のつま先を掛けられるように半月形の窪みが刻まれていた。

矢作川(やはぎがわ)の流れている東側から池と太鼓橋を撮影したのが下記写真。

平戸橋町 胸形神社 池/太鼓橋

池の周囲は楓で覆われており、紅葉の季節を迎えれば、池に映った紅葉した楓に覆われ、朱の太鼓橋が生えるのが想像できた。

南側から太鼓橋に登って頂上から北岸を見下ろしたのが下記写真。

平戸橋町 胸形神社 太鼓橋/北岸

北岸には3段の石段が設けられていた。

太鼓橋の架かった池は汚れてはいないが、透明でもなかった。

平戸橋町 胸形神社 池

北岸の石段を上がると、目の前は開けており、土俵が設けられていた。

平戸橋町 胸形神社 拝殿/土俵

土俵の正面奥には平面図がT字形だと追われる瓦葺入母屋造の躯体を複合したような見たことのない拝殿が設置されていた。
瓦は明るい銀鼠で妻飾りの木部は純白、それ以外の木部は藍白にペイントされた吹きっ放しの建築物だった。
色の明るさがモダンな雰囲気を醸し出している。

拝殿の脇から裏面に回ると、1.5mほどの高さに組まれた石垣上に本殿を含めた3社が屋外に祀られていた。

平戸橋町 胸形神社 本殿他2社

本殿は銅板葺流造の社だった。
石段下から参拝したが、祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)で、氏子総代による案内書には漁業と海運の神様として紹介されていた。
これは矢作川の脇に祀られていることによる解釈だと思われる。
灰寶神社から飯田街道を南に660m以内で矢作川の北岸に面した越戸町(こしどちょう)に至るが、越戸町には平成記念橋が架かっている。
おそらくこのあたりに越戸港があったものと思われる。
ここから三河湾までは43km以内で、平成記念橋部分から川幅が急に260m近くに広がっている。
ここは延喜式内社論社とされている。
実は直前に参拝してきた灰寶神社は延喜式内社とされているが、やはり延喜式内社論社というほうが正確だと思われる。
「論社」というのは延喜式内社の後継社のことで、現在の灰寶神社と胸形神社と、この後紹介するもう1社には、ともに延喜式内社である灰寶神社の論社という説が存在する。
以下の直前の記事で紹介したように、名称は現在の灰寶神社が延喜式内社の灰寶神社と一致しているのだが、現在の灰寶神社は江戸時代には「灰寶神社」ではなく「八王子権現」や「灰寶天神」を名乗っていたことが知られているからだ。

ところで、胸形神社の両脇の社は摂社とする情報があるのだが、祭神に関しては「不詳」という情報や、3社を宗方三女神(市杵島姫命・多紀理毘売命・多岐都比売命)とする情報があるが、摂社とは主祭神と関係の深い神様を祀る社のことだが、市杵島姫命の摂社として多紀理毘売命(タキリビメ)と多岐都比売命(タキツヒメ)を祀ることはありえないと思われる。
なぜなら、最初から社名「ムナカタ(胸形)神社」にあるように宗方(ムナカタ)三女神を本殿に祀ればすむ話だからだ。
個人的な推測の1番候補は市杵島姫命の両親であるアマテラスとスサノオの2柱なのだが、市杵島姫命の両脇に格上のアマテラスとスサノオを祀った例も見た記憶は無いのだ。

本殿の向かって左の摂社は銅板葺流造に唐破風の向拝屋根を持った社だ。

平戸橋町 胸形神社 境内接社(向かって左)

また、向かって右には銅板葺神明造の摂社が祀られている。

平戸橋町 胸形神社 境内接社(向かって右)

摂社の神がアマテラスとスサノオであるなら、こちらの社がアマテラスで、向かって左の社がスサノオだろう。

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胸形神社の「胸形」とは宗方三女神の「宗方」の原型だと思われますが、「宗像(ムナカタ)」という表記も存在します。『魏志・倭人伝』に、「倭の水人の男子は、大人も子供も顔や身体に文身していた」とあり、「胸形」とは、胸に文身(入墨)をしている意だともされています。

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