麻生田町大橋遺跡 土偶A 40:橘と住吉神
ここからは土偶の出土した2ヶ所の遺跡、愛知県豊川市の麻生田町大橋遺跡と愛知県刈谷市の本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)を結んだレイライン(名称をAMとします)上に位置する愛知県内の神社を東から西に向かって辿ります。
レイラインAMを設定したところ、愛知県内だけで、これまでチェックしたレイライン最多の10社が並んでいることが判った。
その10社の中でもっとも東に位置する豊川市大崎町の住吉神社に向かった。
住吉神社の周辺を見ると、東側に位置する大崎霊園もレイラインAMが通過しているが、霊園もレイラインによく並ぶ要素の一つだ。
住吉神社の東側には溜池も残っており、住宅が一切建てられていないことから、湿地であったのか、埋立地だったのか、裏表で言うなら、裏に当たる土地なのだと思われる。
住吉神の性格が海神であることからすると、縄文期や室町期には海岸線が近くまで迫っていたことが推測でき、砂地ベースの土地なのかもしれない。
高木の社叢の茂った杜の社頭は南側にあって、路地を挟んだ南側にある駐車場の路地沿いに一対の幟柱が建てられ、その幟柱の間の正面の社叢が切れていて、石段が奥に延びており、社叢の切れ目に社殿が覗いている。
社頭前の路地の脇に愛車を駐めて、幅が広くなだらかな石段の下に立つと、石段の上部には暗い社叢が覆い被さっており、最上段に八幡鳥居があるのが判ったが、石段は思ったより長く、20m以上ありそうだった。
石段を登りきると、石鳥居は奥行き10m近い踊り場に建っていて、コンクリートでたたかれた表参道は1mほどの高さの石垣上から奥の拝殿に向かって延びていた。
石鳥居をくぐり、4段しかない石段を上がって参道を進むと、左右に注連縄で囲われた神木が植えられていたが、この神社に限っては通常は右近の橘だが、左右とも橘だと思われる。
その理由はここに祀られた祭神が日本神話では筑紫の日向(ひうが)の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎがはら)で生まれたとされているからだ。
50cmほどの高さの石垣上に設置された拝殿は瓦葺入母屋造平入で正面は舞良戸が締め切られ、中央の戸には格子窓が付いている。
拝殿前に上がって参拝したが、社前板書には以下のようにあった。
「中筒男命」は一般に底筒男命(ソコツツオ)、表筒男命(ウワツツオ)の三柱セットで祀られる神なので一柱で祀られているのは珍しい。
神仏習合の思想では中筒男命は阿弥陀如来に相当し、この住吉神社の前身は神仏習合した寺院だったのかもしれない。
「美巳止直」という地名の読みは調べたが判らなかった。
だが、「海岸線が近くまで迫っていた」という予想は当たっていたようだ。
その標高も摂津国(大阪府)住吉大社と同じような場所だと思われる。
拝殿の西側に回ると、ここにも注連縄で囲われた神木が植えられているが、なぜか根元に手水桶が置かれている。
幹の表皮は荒く、特徴のあるものなのだが、樹木図鑑で調べてみても特定できず。
拝殿裏面の本殿はプレーンな板壁に囲われた覆屋だった。
本殿覆屋は自然石を積んだ上に乗せたような体になっている。
本殿覆屋の裏面は周回できるようになっていたので、覆屋裏面の通路に入ってみると、地面が面白い状況になっていた。
この地に多い赤土が粒状になり、苔が少し生している部分に純白の棚網が張っていたのだ。
調べてみると、コクサグモが苔を利用してこういう巣を造っている写真が複数ネット上に公開されていた。
体長10〜12mmほどの小型の蜘蛛で目に付きにくい蜘蛛だが、コクサグモ自体は珍しいものではなく、日本全土どこにでもいる蜘蛛だという。
赤土で水捌けが悪いものの西陽は当たるという苔の生しやすい環境の場所なので、地面に巣を張ったようだ。
固まった赤土に苔が薄っすら生した他の部分には、シラカシと思われる根が地上に露出していた。
シラカシは常緑樹なのに落葉もする樹木で、散らばっているドングリもシラカシのものだ。
上記写真の黒っぽい砂に見える部分は苔が乾燥したもの。
本殿覆屋の裏面を抜けて表側に戻ってくると、境内社菅原社の前に出た。
菅原社は大きな石造明神鳥居を持った境内社だった。
◼️◼️◼️◼️
日本神話では、ここ住吉神社の祭神中筒男命はイザナギが亡くなったイザナミに会いに行ったことから汚穢し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原でそれを洗い清める禊を行った際に瀬の流れの中間で生まれ出た神とされています。なんと、父親であるイザナギ単独から生まれたことになっているのです。
釈迦やキリストのように母親単独による創生神話は複数ありますが、男性単独から創生する神話は住吉三神の誕生以外に知りません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?