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麻生田町大橋遺跡 土偶A 36:陸とつながった弁天島

イザナミが祀られている可能性があることから、豊川稲荷から南西2kmほどに位置する長山熊野神社に向かいました。長山熊野神社は丘陵の上に位置し、南東を向いたその社頭にはJR飯田線が通っていました。

豊川市内

長山熊野神社は本殿が立派なこと以外に、紹介するべきものは見当たらず、

長山熊野神社 本殿

祭神に関する情報は社内にもネット上にも見当たらなかった。

しかし、地図を拡大して周囲を見たところ、飯田線を挟んだ向かい側の段丘に市杵島姫神社が祀られていることに気がついた。
この市杵島姫神社の由来の記された『弁才天縁起』には以下の記録が存在した。

その昔、熊野神社境内に弁財天の社宇があったが、いつのまにか社宇もなくなり、田地と化していたところ、子の病気平癒を弁財天に祈念していた母親の夢枕に弁財天が立ち、社宇を建立せよとのお告げがあった。

『弁才天縁起』

現在の長山熊野神社と市杵島姫神社(弁財天)は飯田線で分断されているが、かつては同じ杜だったのだと思われる。

平安時代中期に編纂された辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』によれば、長山熊野神社と市杵島姫神社の位置する長山あたりは厳島神社の祀られた安芸の宮島と同名の「宮島郷」とされている。
長山熊野神社は元文元年(1736)に丘陵下南東の方向から現在地に遷座してきたという。
そして、長山熊野神社が現在地に遷座してくる以前には同地に弁財天社が存在したとする説がある。
『弁才天縁起』が記される以前には、長山熊野神社は現在地に存在していなかった可能性があるのだ。

いずれにせよ、自分はイザナミを目指してこの地にやって来たら、弁財天(市杵島姫神社)と遭遇することになった。

長山熊野神社を出て東側を通っている県道400号線で飯田線のガード下を抜けて、飯田線の南側に回り込むと、

豊川市下長山町

社地の南東の角に「稲荷神社」の社頭額の掛かった朱の鳥居があった。

長山稲荷社 社頭

鳥居の先は暗い森で、参道は特に設けてなく、通路は草原になっている。
鳥居左手には弁天池に沿って玉垣が設けられている。
上記MAPには池の表示があるが、現在は空池で、草原にになっている。

社頭の前を東西に通っている道路脇に愛車を駐めて鳥居をくぐると、森の中に入る手前の社地内は雑草で覆われていた。

長山稲荷社 境内

ところが、森に入ると景観は一変した。
地面から雑草が消え、地面は枯葉で覆われていた。
枯葉を踏みしめて進むと、2基の石橋が並行して掛かった池の淵に出た。

長山稲荷社 太鼓橋と弁天島

上記写真の太鼓橋の左側にもう1基、床が平らな石橋が存在し、2基の橋の向こう側に大きな弁天島が存在した。

上記地図では弁天島は島ではなく陸続きになっており、橋も平らな石橋1基しか表示されていないが、Yahoo地図では弁天島は池に囲まれ、橋も2基が表示されている。

太鼓橋上から隣にある床の平らな石橋を撮影したのが下記の写真だが、橋の手前も、向こう側も空池になっているが、陽の当たらない手前の池内は枯葉で覆われている。

長山稲荷神社 石橋

逆に床の平らな石橋の方から太鼓橋を撮影したのが、下記の写真だ。

長山稲荷神社 弁天島/太鼓橋

こちら側も池の中まで枯葉で覆われている。
橋の左手が弁天島だ。

太鼓橋の方を渡ると、島の奥の中央には「市杵島姫神社」の立て札のある瓦葺切妻造平入で、正面に格子戸の締め切られた社殿が祀られていた。

長山稲荷神社境内社市杵島姫神社

社殿前で参拝し、格子越しに社殿内を観ると、社殿と一体になったプレーンな社が祀られ、左右に長提灯が下がっていた。

長山稲荷神社境内社市杵島姫神社内

境内社市杵島姫神社の左手には石を積んだ小さな塚が設けられ、注連縄の巻かれた石祠が祀られていた。
かたわらに「龍神社」の立て札。

ほかに、弁天池の水源に水神社の石祠があるという情報を後で知ったのだが、現地ではその存在には気づかなかった。

(この項続く)

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朱の鳥居は長山稲荷神社のもので、市杵島姫神社は社殿以外に存在しなかったことから現在、市杵島姫神社は長山稲荷神社の境内社と判断しました。


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