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麻生田町大橋遺跡 土偶A 77:豊受大神の謎

愛知県岡崎市の関山神社奥宮の左側(西側)には境内社が2棟建っていましたが、いずれも奥宮同様高さ40cmほどに石垣を組んだ基壇上に瓦葺切妻造棟入りの覆屋が設けられていました。その覆屋の正面は奥宮と同じ縦格子窓を持つ舞良戸が締め立てられていました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP関山神社奥宮境内社

12関山神社奥宮神木

関山神社奥宮のすぐ左隣の社は

9関山神社奥宮境内社神明社鍬社

軒下の素木の表札に以下のような墨書きがされていました。

神明社 祭神 天照大神
鍬 社 祭神 豊受大神

つまり、それぞれ伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)の主祭神が勧請された社ということになる。
神宮の神が手力雄命(タヂカラオ)を祀る奥宮のすぐ隣に祀られている理由は明らかに天照大神が含まれているからです。
手力雄命と天照大神を結びつけるものは、関山神社里宮の記事でも触れたように、日本史上最大の事件(?)である天照大神の岩戸隠れです。

●豊受大神とは?

関山神社奥宮境内社鍬社における豊受大神(とようけのおおかみ)は鍬社(くわしゃ)という社名から、天照大神と同じく農耕神として祀られているのだろうが、豊受大神は『日本書紀』には登場していない神であり、『古事記』では豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)の名で表記され、和久産巣日神(ワクムスビ)の子であり、イザナミの孫とされている神だ。
後に秦氏の祀った稲荷神(宇迦之御魂神)と習合し、同一視されるようになっている。
ところが、外宮の神職である度会家(わたらいけ)が起こした伊勢神道では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同格の始源神であり、外宮は内宮より格が上としており、単なる農耕神ではなく、宇宙や日本を開いた神としている。
稲荷神と同類とみるなど、とんでもないということだ。
それでは『ホツマツタヱ』に登場する豊受大神はどんな存在になっているのか。
『古事記』と同様に「ムスヒ」の名称に関わる神であり、五代目タカミムスビとしている。
ところが『古事記』とは異なり、イザナミの父としている。
つまり、女神ではなく男神としているのだ。
これを裏付けるように外宮本殿の鰹木は9本(陽数)、千木は外削(そとそぎ)で、いずれも男神を表している。
ちなみに天照大神を祀った内宮本殿の鰹木は10本(陰数)、千木は内削(うちそぎ)で、いずれも女神を表している。
もう一つ、『ホツマツタヱ』は度会家の解釈と相似な部分があって、豊受大神をクニトコタチ(始源神)から転生した神としている。

神明社・鍬社合社の左隣の覆屋の軒下の表札には「秋葉社 祭神 迦具土命」とあった。

10関山神社境内社秋葉社

迦具土命(カグツチ)は神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神だが、出産時に母親のイザナミを火傷させ、死亡させたことで知られる神だ。
この時、怒ったイザナギは十拳剣で迦具土命の首を切り落としてしまったが、その血から8柱、迦具土命の死体から8柱の神がそれぞれ生まれている。
その中でも、もっとも著名な神が鹿島神宮の主祭神である建御雷之男神(タケミカヅチ)である。
建御雷之男神は天孫族最強の武闘神であり、出雲にいた大国主神を十拳剣で恫喝して国譲りを承諾させた神として知られている。

奥宮には3棟の社殿が並んでいるのだが、その正面に1本の古木が伸びており、その根本の周囲には石が散らばり、「亀石/御神木」の立て札が立てられていた。

11関山神社奥宮亀石

古木には注連縄が巻かれており、「御神木」であることが判かるのだが、「亀石」が、どの石を指しているのかが判らない。

「亀石」と呼ばれている石は全国の神社仏閣で見かけることがあるのだが、1コの石が亀の形をしている場合と、石が六角形の節理を持っていて亀の甲羅を連想させる場合、そしてその両方の特徴を併せ持っている場合がある。
しかし、関山神社奥宮の亀石はどれにも該当する特徴が見えず、複数の大小の石が神木を取り巻いているだけなのだ。
推測できるのは、元は亀の形をした石がここに存在しており、その石の割れ目に神木が生え、亀石が神木の成長により破砕された結果が現在のようになっているということくらいだ。

奥宮から里宮に向かって下山したが、登口の手前50mあたりに、参道から西の山側に向かって分岐する通路のようなものがあった。

13分岐道

ただ、現在はその狭い通路に複数の小木が生え、枝が通路を邪魔しているので、現役の通路ではないようなのだが、その分岐路に入っていってみた。

通路の両側は切り立った崖になっており、路面には枯葉が積もっている。

14分岐道

通路は10mあまりしかなく、崖の間を通り抜けると、円形に開けた場所に出たが、そこはすり鉢状に中央が窪んでいた。

15窪み

広くはない円形の窪みの周囲も切り立った崖になっているのだが、その壁面には岩が多く、巨石が露出している部分もある。

16崖

石は前の記事で紹介した堆積岩ではなく、花崗岩のようだ。
やはり、推測になってしまうが、関山神社の石垣に使用した石を採石した跡だろうか。

円形の窪みから参道に戻ってくると、参道を挟んで分岐路の向かい側の地面に裂け目があるのが気になった。

17裂け目

かつて、参道を横切る水路があったようにも見える。
もしそうなら、採石場跡に見える場所に湧き水があった可能性も考えられるのだが。

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関山神社奥宮に登ったことで、この日は3つの山に登ったことになるが、高山と言える山は含まれていないとはいえ、こんなことは初めてのことで、翌日から3日間ほど下半身に筋肉痛が続いた。

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