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麻生田町大橋遺跡 土偶A 85:旧いけれどプレーン

レイラインAN(仮称)上最後の地、海部郡(あまぐん)飛島村(とびしまむら)に位置する渚神社(なぎさじんじゃ)に向かいました。社名に「渚」とあり、かつては近くに渚が迫っていたのでしょう。現在はもっとも近い海岸線は南東3.2kmあまりの場所にあります。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP飛島村 渚神社

2MAP飛島村 渚神社

名古屋市内から国道23号線で名古屋港の北側を東から西に通り抜け、市内から海部郡側に渡った。
23号線の北1km以内に位置する渚神社に向かって23号線から県道103号線に右折し、渚神社の北側を回り込むようにして北側から真東を向いた渚神社の社頭に至った。

1飛島村 渚神社社頭

一般道との間には溝の蓋しかない渚神社の社頭には、3本の幟柱が建てられていた。
社頭の左手の砂利の敷き詰められたスペースに愛車を乗り入れて社頭に戻ると、入り口には1枚だけ敷石が敷いてあり、表参道部分には細かな砂利が敷き詰められていた。
高さ50cmほどの、台石としては巨大な、台形のコンクリートの上に建てられた石造伊勢鳥居の手前には「渚神社」と刻まれた社号標。
鳥居の奥にまっすぐ40m近く延びる参道の両側には大小入り混じった玉石が縁石として並べられている。
その表参道の突き当たりには瓦葺切妻造妻入の拝殿らしき建物が立ち上がっている。
社叢に高木は少なく、若い神社であることが伝わってくる。

鳥居をくぐろうとして社号標の台石を見て何だろうと驚いた。

2飛島村 渚神社社号標基壇

厚さ10cm近いプレーンなゴマ塩の岡崎御影石の中央部が別の赤墨に焼けた石になっていたのだ。
社殿の基壇と旧い狛犬、鳥居、幟柱の台石を観て気づいたのだが、この神社には旧い造形物を残そうとする意思、そして幟柱から社殿まで、あらゆる建造物を乗せる台石をプレーンなものに統一しようという2つの意思が働いているのを感じた。
つまり旧来の社号標の台石がプレーンではない自然石だったので、その自然石をプレーンな台石にするため、プレーンな岡崎御影石の中央部を旧い台石の凸凹に合わせて削り、ピタッと合わせてあるのだ。
それだけではない。
社号標の台石の右側面に接して、社頭に敷かれた砂利部分を囲っている高さ30cm×幅2〜3cmほどの欠き割ったような仕切り石板が立ててあるのだが、社号標の台石の右側面はその仕切り石版の凸凹にも合わせて削り取り、ピタッと合わせてあるのだ。
社号標の石柱だけ利用して、プレーンな台石と組み合わせれば済むところを、凄い手間を掛けて造作しているのだ。
「どんなもんでぇ」という、これを造作した石工の心の声が聞こえてくる。

石鳥居の台石も、プレーンだが、造形は凝っている。

3飛島村 渚神社表参道

単なる立方体は使用しないのだ。
表参道の両側には剪定された松が並木になっている。
この日は3月の下旬のことで、境内にある数本の桜は満開になっていた。

表参道を奥まで進むと、1.5mくらいの高さの基壇の上に設けられた拝殿の前面は総板壁にガラス格子窓をもつ戸が建てられていた。

4飛島村 渚神社拝殿

拝殿前に上がって参拝した。
この神社に関する祭神と由緒の情報は神社庁にも存在しないとのこと。

拝殿内を見ると真新しい!

5飛島村 渚神社拝殿内

手前の拝殿にも、奥の渡殿にも広い窓が付いていて、明るい。
拝殿と渡殿の間に張られた神前幕には五三の桐紋が入っている。
尾張藩と何らかの関わりのある神社のようだ。
この地域は尾張藩が埋め立て作業と新田開発をしているはずだ。

拝殿前から降りて左側(南側)に回ると、本殿の基壇は2mほどの高さで、1.5mほどの拝殿部分より高くなっている。

6飛島村 渚神社社殿

ここ飛島村は名古屋市よりも税金が安く、医療費補助も多くつくので、南海トラフの話が出るまではここに引っ越そうと考えていたことがある。
渚神社の基壇や鳥居の台石が高くなっているのは洪水対策だと思われるが、南海トラフ地震による津波となると、これくらいの高さでは意味をなさないだろう。
飛島村からバイクで逃げることを考えると、東は山岳部まで遠すぎ、北と西は木曽川を越えるしかないのだが、橋はどこもすぐに渋滞してしまい、渡っている最中に津波が木曽川を遡ってくるのは確実だ。
つまり逃げ道が無い場所なのだ。
本殿は銅板葺切妻造平入で白壁に舞良子(まいらこ)を張って黒く染めた板壁を巡らした覆屋で、一見、蔵のようだ。
もしかすると防火対策や防水対策が講じられているのかもしれない。

拝殿前には1対の狛犬が設置されているが、本殿の両手前(=渡殿脇)には旧い狛犬が配置されていた。

7飛島村 渚神社狛犬

拝殿前に設置された現役のつまらない狛犬と違って、非常に魅力的な狛犬だ。
「吽(うん)」の狛犬は米国の旧いアニメーションの凶暴な犬のようなマンガチックな表情をしている。
なぜ、この旧い方の狛犬を現役で拝殿前に置かなかったのだろうか。

社殿の南側には竹垣の囲いの中に比較的大きな石を楕円形に縁石として並べ、その中に砂利を敷き詰め2段だが石段を設け、砂利のプールの中に濃い紺鼠の石が置かれていた。

8飛島村 渚神社夜泣き石

その石は長辺2.7m×短辺2mほどの全体には平たい石なのだが、中央に近い部分に明らかに柱穴が残っている。

9飛島村 渚神社夜泣き石

柱穴と比較した石の巨大さからすると、かなり大きな建築物の柱を支える石だったと思われ、境内に石灯籠が残っていたり、松が剪定されていることから推測すると、おそらく寺院の本堂に使用されていた石なのではないかと思われる。
しかし、石の脇に建てられているステンレス製の立て札『夜泣き石』には以下のように記されていた。

ひどい夜泣きを祈願しに来た折に石に溜まった露(つゆ)をつけたら治ったといわれる

柱穴が露や雨を溜める器になっているが、どの段階で夜泣き石に化けたのだろうか。
夜泣き石は各地に存在するが、多くは「石から鳴き声が聞こえた」というもので、石に溜まった露で夜泣きが治ったという石は初めてだ。

祭神も由緒も不明なまま、ここまで境内が清潔で整理が行き届いている神社に遭遇したのは初めてかもしれない。

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豊川市の麻生田大橋遺跡と刈谷市の中条遺跡を結んだレイラインAN(仮称)上にあった神社は岡崎市に集中していましたが、個人的に興味を惹かれた神社はほかのレイラインと比較すると、もっとも少ないレイラインでした。
麻生田大橋遺跡を中心としたレイラインはこれで終了です。

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