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麻生田町大橋遺跡 土偶A 18:巨石の散らばった丘

豊川市八幡町の船山1号墳から北北西3.2km以内の荻町に位置する下林古墳(しもばやしこふん)に向かいました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP下林古墳

国道1号線を名古屋方面に向かい、音羽支所入り口交差点で右折。
北東に延びるマイナーな幹線道路に入り、名鉄名古屋本線と東名高速道を抜けて910mあまり辿ると、右手道路脇に「下林古墳」と墨書きされた白い標識が立っていた。

1下林古墳

標識の裏面は道路に沿って高さ2mあまりの丘陵になっており、下林古墳の形は視認できない。
この道路を挟んだ向かい側は高さ5m近い丘陵になっており、この道路は丘陵を切り通して設けられているようで、下林古墳もこの道路によって削り取られているのかもしれなかった。

白い標識は墳丘の北部に設けられているようで、墳丘の南部に戻って、この丘陵の北部に向かって撮影したのが下記写真。

2下林古墳

歩道に愛車を駐めて、道路から白い標識のすぐ北側にある空き地(私有地)に入ると、南側に丘が盛り上がっており、丘の左手に幅30cmほどの丘の上に向かう農道があったので、その農道を上って行ってみた。
農道が尽きると、円墳状の盛り上がりがあり、陽に焼けた巨石が散らばっている。

3下林古墳墳上

どの巨石も板状で、石室の用材だと思われる。
この丘は梅畑の一角に位置する形になっているようだ。

3B下林古墳梅

散らばった巨石の中には綺麗にカットされ、切り口と並行する筋が刻まれたものも存在する。

4下林古墳墳上

奥に1基だけ、立てられた巨石があるので、観に行ってみると、この古墳の墳頂に当たる場所なのか、文字通り立石となっており、立石前に設置された拝石の上に花立と水壺が置かれ、脇に「下林古墳」と刻まれた石標が立てられていた。

5下林古墳祭祀場

石室が見当たらないのに、こんなに多くの石材が他に転用されずに残っている例には初めて遭遇した。

6下林古墳墳上

気付くと、墳上に円墳状に少し盛り上がりがある。

7下林古墳墳上

そして、石の中には、よく観ると、おそらく石同士を組み合わせるためだと思われるのだが、90度の角度を付けて加工し、しかも片面に傾斜が付けてある石が2基あった。

8下林古墳石

9下林古墳石

墳上から反時計回りに周囲を見回してみた。
まずは南西方向。

10下林古墳南東

墳丘の下には住宅があり、広くはない畑地のすぐ向こうに低山の尾根が迫っている。

続いて北東方向。

11下林古墳南北東

密集した住宅で死角になっているが、その向こうには、迫っている小山との間に田畠が少し広がっている。

同じ北東方向の遠方に禿山になった鉱山の採掘跡が残っている。

12下林古墳西

この地域の鉱山ではマンガンが採掘されていたが、現在は閉山になっている。
国内のマンガン鉱山は大東亜戦争時に乾電池用材として必要とされ、列島各地で採掘されるようになったという。
マンガンは人間にとって必須ミネラルだが、天然水に過剰に含まれており、縄文人が意識したことは無さそうだ。
現在のマンガン鉱石は製鉄の添加剤やリチウム電池に必要とされる鉱石だが、鉄とケータイを使用していなかった縄文人にとってはやはり不要な鉱石だ。

続いて北西方向。

13下林古墳北西

やって来た道路の下林古墳の向かい側の丘陵上の太陽電池パネルと住宅群。
その向こう側はやはり死角に田畠が広がり、その向こうには高山がそびえている。

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下林古墳に関する情報は名称と場所以外の情報が現場にもネット上にも一切見当たりません。なので、円墳なのか前方後円墳なのかも不明。おそらく発掘調査は行われていないのでしょう。

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