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御用地遺跡 土偶 45:トクサの弁財天

安城市新田町(しんでんちょう) 市杵島姫神社の4社の境内神社の並ぶ、拝殿東脇から社頭に向かうと、さざれ石のある檜林の東側、表道路沿いに小さな池があり、南々西向きに朱の鳥居と社が設置されていました。

●後頭部結髪土偶

1MAP新田弁財天

1新田弁財天

池に朱の鳥居と社があれば、弁財天です。
鳥居の設置された池の南側に回ると、鳥居の裏面左右に門柱のように対になった頭頂が頭布型で、「新田弁財天」と刻まれた社号標が建てられていた。
敷石を並べた表参道が鳥居をくぐり、陸から池の中に設置された朱塗りの社に一直線に向かう参道に続いている。
大山田(現・新田町)に祀られていた弁財天は、ここに遷座して市杵島姫神社に社名が改められたので、新田弁財天は、それとは別にどこかに祀られていた弁財天が市杵島姫神社境内に持ち込まれたものと思われる。

鳥居をくぐって池の淵に立つと、池の中に延びている参道は鉄枠の中にアスファルト舗装した橋であることが判った。
幅50cmほどしかない細い橋で、橋上に踏み出しても大丈夫なのか不安にさせるレベルの橋だった。

2新田弁財天

池の水は不透明で、魚の姿は見えない。
橋の向こう側は石造の小さな島になっており、その島と同じ幅で、高さ50cmほどの基壇を持つ朱塗りの社が祀られていた。

お神酒を持って来ていたので、お神酒のカップが基壇の正面側に乗せられるスペースがあるか確認するため、島に渡ることにした。

橋を渡り始めると、橋のすぐ左脇に片手で持てるほどの大きさの苔の生した石が島のように水面上に置かれていた。

3新田弁財天島

橋の突き当たりにある石を積んだ小さな島は1歩の足を乗せるスペースも無く、基壇のお神酒を乗せられるスペースも狭くて、カップを乗せてみるしかない状況だった。

4新田弁財天

朱塗りの社は全体がスチールで造られたものらしく、切妻造平入で、正面の格子を通して、社内に、やはり朱塗りの神棚が納められていた。

5新田弁財天祠

橋を戻って社頭に駐めた愛車に、お神酒を取りに戻り、新田弁財天に引き返してカップを弁天社の基壇に乗せてみると、ジャストサイズで扉の前に置くことができた。
一般的な日本酒のワンカップだったら、乗っても基壇から20%以上はみ出していただろう。
再び陸に戻って朱の鳥居の外側から参拝した。

方形の池の周囲を観てみることにしたが、池の南西部の角地には植えられたものと思われるトクサが繁殖していた。

6新田弁財天トクサ

個人的に水生植物や湿地に自生する植物が好きなので、トクサも大好きな植物の一つなのだが、現在の日本列島では北海道から本州中部にかけての山間で自生する。
縄文人がトクサを玉製品を研磨するのに利用していたことが玉製品に残る整形痕などから判明している。
トクサの表面を撫でるとザラザラしているのはプラントオパールが蓄積されて硬化し、ガラス質となっているからだ。
稲もガラス質となるプラントオパールを根から吸収し、自分の細胞壁に蓄積することから、化石として数万年は消失することはない。
米粒のように目に見えなくとも、地層に含まれたプラントオパールを顕微鏡で発見することができるのだ。
そして、プラント・オパールに含まれる炭素を利用して年代測定が可能なことなどから、現在は縄文時代中期(紀元前5,000年)には米作りが始まっていたのではないかとも考えられるようになっている。
弁財天の池の周囲には、上記写真の弁財天社右側の鱗状の樹皮を持つ樹木や、逆にシラキやコブシのような滑らかでヌメッとした蛇体を連想させるような種々の樹木が植えられていた。

市杵島姫神社の社地の西120m以内を南北に明治用水が流れている(撮影点①)。

7明治用水

明治用水は名称は「明治」だが、幕末から全国に先駆けて測量・開削が初められた近代農業用水で、大山田の弁財天が市杵島姫神社として現在地に遷座したのはこの地に明治用水が開削される以前のことだったと思われる。
上記写真の場所から90度東に分岐した用水路が市杵島姫神社の杜に向かっている(撮影点②)。

8水路新田弁財天

この用水路は下記写真のように市杵島姫神社の手前の道路の下から暗渠に入っており、社地をくぐり抜けているのか、迂回しているのかは不明(撮影点③)。

9用水新田弁財天

新田弁財天と関係がある可能性があるのが新田町弁天だが、現在の弁天内には水路や池は見当たらないが、明治用水から分岐した用水路が2ヶ所で新田町弁天に接している。
新田弁財天は市杵島姫神社の社地の中で最も新田町弁天に近い場所に祀られており、新田町弁天と関係がある可能性がある。
新田町弁天は西側40%ほどが田畑地となっており、東側60%ほどが住宅地となっている。
当初、市杵島姫神社の元宮のあった場所と推測した弁天町と比較すると、新田町弁天は庭を持った大きな屋敷が中心で、基本的に借家は存在しないように見える。
一方、弁天町の方は借家と駐車場が多く、弁天町内の住宅には貧富の差があるように見える。

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新田町 市杵島姫神社の北120m以内に荒神社(こうじんしゃ)の杜が存在するのは地図で認識していましたが、それは市杵島姫神社に掲示された『由緒略記』で市杵島姫神社の飛び地境内外神社であることが判明し、市杵島姫神社から荒神社に向かうことにしました。

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