見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 22:白狐の幟?

豊川市三上町の白山神社から観音山古墳に向かう途中、西南西6.7km以内にある小坂井町の五社稲荷神社に向かいました。この神社は派手な朱の大鳥居が国道151号線の交差点近くに聳えており、それを何度も横目に見ながら前を通り抜けているんですが、交通量が多く、モーターサイクルを気軽に駐めにくい条件があり、ついに撮影はできていません。
それで、この日も一般道にまたがった高さ21.6mという朱の大鳥居をくぐり抜け、その奥90mあまりに位置する五社稲荷神社に向かいましたが、その大鳥居に掛かった黒地の扁額には金文字で「白狐ヶ丘」と記されていました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

画像11

五社稲荷神社の社頭には広い駐車場があるものの、陽が傾き始めていることから、車は2台しか駐まってなく、その片隅に愛車を入れて、社頭の一ノ鳥居に向かった。

1小坂井町 五社稲荷神社社頭

一ノ鳥居も大鳥居と同じ形式の朱の鳥居で、この鳥居も大鳥居と呼べる大きさ。
表参道は表道路と並行して駐車場から真っ直ぐ奥に延びていたが、一ノ鳥居は表参道とは直角ではなく、南西に向かって捻って建てられていた。
鳥居に掛かった銅の社頭額には「正一位五社稲荷社」とあり、鳥居の手前右脇の社号標には「五社稲荷神社」と刻まれていた。
現在の正式名称は「五社稲荷社」となっている。

一ノ鳥居をくぐて表参道を進むと、すぐ先には献灯のゲートが設けられていたが、これも大きな提灯を容易に付け替える作業ができるように階段とゲートに通路の設けられた立派な建造物だった。

2献灯ゲート

献灯ゲートをくぐると、30mあまり先に二ノ鳥居が見えているが、その二ノ鳥居の少し手前の参道右脇に磐座が祀られていた。

3小坂井町 五社稲荷社磐座

磐座の周囲は小型の自然石で囲ってあり、磐座には注連縄が掛かっている。
ただ、この磐座に関する情報は現場にもネット上にも見当たらない。

二ノ鳥居前に到達すると、それは石造の明神鳥居で、銅の扁額には「五社稲荷社」とあり、すぐ奥にはここにも献灯ゲートが設けられている。

4小坂井町 五社稲荷社二ノ鳥居

二ノ鳥居をくぐるとすぐ先で参道は大きく左に折れ、真新しい千本鳥居をくぐって、その先の長い石段に続いている。

5小坂井町 五社稲荷社千本鳥居

この石段が五社稲荷古墳に登って行く石段であることが後になって判ってきた。
千本鳥居の手前両側に1対の使いの狐像が設置されている。
狐像の足元に設けられているピンク色の籠は使いの狐に奉納する油揚げを入れるためのものだ。

その石段の下から石段の上を見上げると、朱の三ノ鳥居が立ち上がっており、右手にズレる形で拝殿らしき屋根が見えている。

6小坂井町 五社稲荷社三ノ鳥居

千本鳥居から石段を登りきると、拝殿前にも短いが石段が立ち上がり、その上に銅板葺入母屋造平入の拝殿が立ち上がっていた。

7小坂井町 五社稲荷社拝殿

屋根には千鳥破風が設けられ、引き戸にも板壁にも連子窓がしつらえられている。

拝殿前の石段を上がって、向拝屋根を支える蟇股(かえるまた)を見上げると、蟇股の上部左右に、ごく小さなものだが、風にひるがえる白い帯、あるいは幟が対になって取り付けられている。

8小坂井町 五社稲荷社幟

蟇股やそれ以外の木部は素木のままなので、「白」に何か意味がありそうなのだが、こうしたものや、これに近いものを過去に見た記憶が無い。
頭を悩ませていると、さっき愛車でくぐってきた大鳥居の扁額にあった「白狐ヶ丘」という名称を思い出した。
もしかすると、「白狐ヶ丘」をシンボライズした「白狐」の幟なのだろうか。
「白狐ヶ丘」に関しては五柱稲荷社の公式ウェブサイト(https://www.gosya-inarisya.com)にも説明がない。
拝殿前に上がって参拝したが、祭神は以下の五柱となっている。

・宇賀之御魂神(うかのみたまのかみ)
・宇迦之売神(うかのめのかみ)
・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・大宮能売神(おおみやのめのかみ)
・屋船神(やふねのかみ)

この神社の由緒は公式ウェブサイトにも2説が紹介されている。
旧い説と思われるのが以下。

明暦年間(1656年頃)にこの遺跡(※五柱稲荷古墳)の中央前方部大古墳上にこの古墳の尊厳を守り五穀豊穣を祈るため「保食神(うけもちのかみ)」を斎祀したのが始まりと伝えられております。                  (※=山乃辺 注)

別説は古文書にあるものという。

伏見稲荷大社から文政十三年二月(1830年)正式勧請

主祭神も保食神と宇賀之御魂神の2神ということになるが、

   保食神ウケモチ)
宇賀之御魂神ウカのミタマ)

ウケ」は食物の古語であり、「ウカ」は「ウケ」から転嫁したものと考えられ、この2神を同一とする見方もある。
また、日本神話では「保食神の頭から牛馬が生まれた」とするハイヌウェレ神話型の説話もあり、五社稲荷社が旧東海道(国道1号線)に近いことから、旧東海道の運輸に使役された馬との関係も考えられる。
ただし、現在の境内には馬頭観音など、神仏習合した痕跡は残っていなかった。


ところで、この神社は拝殿の両端から本殿が見えるようになっていた。

9小坂井町 五社稲荷社社頭.jpg本殿

銅板葺屋根を持つ透かし塀に囲われた本殿は、かなり大きな流造の建造物だった。

◼️◼️◼️◼️
五社稲荷社拝殿の右手に回ると、拝殿の岡崎御影石の基壇部に寿命の尽きたセミが転がっていました。
息子のフィンランド人の彼女が来日した時、セミを怖がっていたのを思い出しました。北欧は寒冷な気候で、昆虫がほとんど居ないため、北欧人が虫と触れ合うことがほとんど無いとのことでしたが、彼女は韓国に住んでいたことがあって、ゴキブリは知っており、彼女にとってセミはゴキブリ系の生物とのことでした
😅


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?