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中条遺跡 土偶A 18:イザナミとイナンナの数字

ここからは、芋川遺跡の出土した刈谷市築地町(ついじちょう)で、予定外で覗いた熊野神社で遭遇したものを紹介していきます。

●中条遺跡 土偶A

愛車(モーターサイクル)で刈谷市内の幹線道路を築地町の西方に向かって走行していると、右手に2mほどの高さの石垣が連なり、その上に玉垣が巡らされている杜の前を通りかかった。

1築地町 熊野神社社頭

幹線道路に面した杜の中央部に石段が立ち上がり、石段上には石鳥居が設置され、鳥居越しの奥、正面には社殿の瓦葺屋根が覗いていた。
後になって、この杜のあるブロックの西隣のブロックで築地貝塚(ついじかいづか)が出土していたことを知ることになった。

1MAP築地町 熊野神社磐座

石鳥居の脇に「村社 熊野社」と刻まれた社号標があったので、寄っていくことにした。
イザナミが祀られている可能性があるからだ。
愛車を社頭を通っている幹線道路の向かい側の歩道上に駐めて、熊野神社の石段を上がり、鳥居をくぐると、目の前は開けており、左手に『熊野社由緒記』の刻まれた黒御影石板をはめた石碑があった。
御祭神として以下五柱の神名が記されていた。

・伊邪那岐神 イザナギノカミ
・伊邪那美神 イザナミノカミ
・家都神子神 イエツミコトノカミ
・速玉男神  ハヤタマオノカミ
・事解男神  コトサカオノカミ

日本神話最初の夫婦神の名には「ナギ」と「ナミ」という「」の暗喩である言葉が含まれている。
神社本庁に伝わっているこの夫婦神の関わる国産み神話には以下のように「」が登場する。

 さっそく二柱の神さまは、神々より授けられた矛を海水の中にさし降ろすと、海水を力いっぱい掻き回し始めました。 
しばらくして矛を引き上げてみると、どうでしょう、矛の先より滴り落ちるが、みるまにも積もり重なって於能凝呂島(おのごろじま)という島ができあがりました。 

ところが、記紀に記述された同じ国産み神話では「」と言う言葉は忌避され、使用されてなく、例えば『古事記』では以下のようになっている。

 伊邪那岐、伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬまぼこ)で渾沌とした地上を掻き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島となった。

記紀ともに「海水」と言う言葉を避け、「地上」と言う言葉を使用している。
このため、イザナギは後に「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)」で禊を行ない、と関わりが生じるのだが、イザナミに関しては記紀ではこの国産み神話で「海水」となっていないので、とはまるで無関係な女神ということになってしまっている。

イザナミ
五 七三

上記のように、女神イザナミの名前は3つの漢数字に対応している。
以下の『日月神示(ひつきしんじ/大本教の経典)』の一説でもわかるように

富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
二二八八 十 二 八  ◉ 九二 九十 ◉   八 四十七

日本語の多くは平仮名と記号◉(フォントに存在しない字形)で補助すれば漢数字で表記できる。
その日本語とシュメール語には多くの類似点と共通点がある。
まず、『日月神示』を漢字仮名交じりの文章に書き直した『ひふみ神示』では「神」に関しては神を示す特有の記号(フォントが存在しないので仮に◉を当てた)を使用するが、シュメール語でも神を示す記号「✳︎」(記号フォントが存在する)を使用する。

女神イナンナ (✳︎inanna)
  五七 七

そして、イザナミとイナンナは「」と「」という共通した漢数字で表記できる音を持つ女神であり、両女神には愛と戦いの女神であるという共通点がある。

『楔形文字と漢字かな混じり文ーシュメール語と日本語の表記法についてー 』(P46/峯 正志)を参考にすると、日本語とシュメール語の文字体系はともに表語文字と表音文字が存在し、その混用が可能で、日本語の場合は漢字・平仮名・片仮名・アルファベット・ホツマ文字と、種類が多く、以下の日本文例文のように複数種の文字を混在させて表記することができる体系を持っている。

朝、ジョアンナから電話があって、昼食を一緒に食べようと言う。
店の名前はLunchersらしい。

また、両言語とも縦書きと横書きが可能な表記体系を持っている。
さらに、名詞・動詞・形容詞といったcontent word(実質語)は表語文字で表し、格語尾・動詞接頭辞といった、いわゆるfunction word(機能語)は表音文字で表すという共通点が存在する。
まだまだ、共通点は多いのだが、単語自体にも共通する意味を持つものが存在する。

〈シュメール語〉   〈日本語〉
 シュメルのミコト(尊)=スメラミコト(「天皇」の古語)

上記の解釈は代表的なもので、古代オリエント歴史学者でシュメール学の専門家小林登志子氏が提唱した説だが、現代に一般化している「シュメール」と言う音引きを含んだ表記は小林説を俗説として退けるために、同じシュメール学の京都大学・中原与茂九郎氏が提唱して表記したのが定着したものだという。

『十六菊花紋の謎』(2003.5.1刊 岩田 明著)には以下の例が紹介されている。

〈日本語〉 〈シュメール語〉
 荒らす/嵐=アラ(Ara=砕く)
     母=ウム(Um=産む)
     海=アマ(Ama)
  刀/切る=ギル(Gil)

しかし、凄いのは100年近く前に刊行された『天孫人種六千年史の研究』だ。
著者の三島敦雄は記紀など、日本の重要な歴史書をシュメールの楔形文字で読み解くことができるとしている。
近年、その裏付けとなる事象が発見されてきていることから、2016年に再販されている。
楔形文字で読み解く例として『古事記』の以下の有名な一節が紹介されている。

原文:「阿加陀麻波良袁佐閉比迦礼杼斯良多麻能岐美何余曾比斯多布斗久阿理祁
   理」

和訳:「赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装し貴くありけり」

現代語訳:
「赤い宝玉を緒に通せば、その緒まで光って見える。 それはそれは美しいものだけれど、立派に着飾った貴男を喩えるなら白い玉、真珠のよう。そんな貴男のお姿は、なんと神々しかったことでしょう」
原文の音をシュメール語に当てはめた表記:
「aka dam,u sur gig rag_si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.」

上記シュメール語のカタカナ表記:
「アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タブ トク アル ケル」

現代語訳:「私の愛した夫よ。病気のあなたのために祈祷をすると、宮中の僧侶が布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせてください。便りをいただけるのを、心からお待ち申しております。」

これらの事象から、日本人はシュメールからやってきたのではないかとする説があるのだが、シュメール文明が縄文時代後期に成立した文明であることや、『創世記』に「洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは“東からやってきた人々”」と言う記述があることなどから、シュメール人が日本列島からシュメールに移動した民族ではないかとする説が強くなってきている。

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ここでは日本列島とシュメールの女神の名前について触れましたが、その像についても共通点があり、追って紹介していくことになると思います。

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