中条遺跡 土偶A 11:河口へ
このページでは中条遺跡(なかじょういせき)のある刈谷市重原本町(しげはらほんまち)5丁目から湧き出した下り松川の下流部を紹介します。
暗渠に入って、直後に薬師橋東交差点をくぐった下り松川はその直後に再び地表に表れるが、水量が増えているので、暗渠内で他の水路と合流している可能性がある。
水量が増えて140mも流れると、下り松川の周囲は一気にローカルな雰囲気に変わった(MAP内1)。
そして、川床には無数のミシシッピーアカミミガメが。
この辺りで川幅は12m以内。
ここは松川田町2丁目あたりだ。
ここからさらに470mあまり下った橋長20mあまりの住吉橋から下流方向を眺めると、護岸は消滅し、左手の堤防の雰囲気とは対照的な近代的なビル群が対岸にそびえていた(MAP内2)。
この情景は右手(北岸)が都会で左手(南岸)が農村部であることを明快にしている。
ビル群は総合病院らしい。
住吉橋から、さらに490m近く下った橋長20mあまりの深見橋から下流方向の眺めはさらに野生的(?)になった(MAP内3)。
護岸されていない河川とはこうしたものなのだ。
日本列島は放っておけば砂漠化しないで密林化する可能性が高いことが分かる。
それにしても水はかなり濁っている。
この辺りから下り松川の左手(南岸)は水田地、右手(北岸)は住宅街という定型が成立してくるのを感じる。
深見橋から一気に990mあまり下ると、橋長24mほどの下り松橋に至るが、この橋の親柱に取り付けられた街灯と欄干のカキツバタの装飾レリーフが手の込んだもので、おそらくデザインは職人によるものではなく、地元の彫刻家の手になるものではないかと思わせるものだった(MAP内:下り松橋)。
カキツバタは愛知県の県花なのだが、それは愛知県が平安時代初期から前期の頃の歌人、在原業平(ありはらのなりひら)が以下のカキツバタの歌を詠った場所とされることに由来している(『伊勢物語』)
から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
たびをしぞ思ふ
刈谷市小堤西池(こづつみにしいけ)には国内最大級の広大なカキツバタ自生地が存在する。
さて、下り松橋から370m近く下ると、右手(北岸)に空色にペイントされた鉄製の観音開きの扉の付いた水門の前に出た(MAP内5)。
川幅は40m近い。
ここは中島町3丁目だが、この辺りから右手の住宅はまばらになってきている。
中島町3丁目の水門前から600m近く下ると、下り松川自体の水門に到達した(MAP内6)。
上記写真は幅40mほどの水門の上流側。
水門が閉じられているので、水は溜まっており、その為なのか、河川内に葦が繁茂している。
周辺の住宅は絶えている。
この水門の280mあまり下流で下り松川は猿渡川に合流している(MAP内7)。
上記写真が下り松川の河口だ。
この周辺は工場地帯となっている。
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農業用水として活用されている猿渡川が下り松川と並行して流れていることから、住宅街に沿って流れている下り松川の大部分の存在理由は生活用水の排出が主目的になっているようだ。
農業用水として使用されている部分は水の湧き出している重原の丘陵下の部分のみで、直後から河口に至る部分の大半は人為的に開削された水路とみて良さそうでした。
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