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御用地遺跡 土偶 8:現場に展示された貝塚断層

安城市歴史博物館に唯一、常設展示されている貝塚、堀内町の堀内貝塚に向かいました。

●後頭部結髪土偶

9安城市歴史博物館

堀内貝塚は御用地遺跡の南々西6.1kmあまりに位置し、北から南に流れる鹿乗川(かのりがわ)の支流である西鹿乗川の、さらに支流である西から東に流れる堀内川と、やはり東西に延びる県道293号線に挟まれた碧海台地丘陵上に位置していた。

1MAP堀口貝塚

1堀内貝塚

上記写真は堀内貝塚のある丘陵を293号線の幅の広い歩道上の東から西に向かって撮影したもの。
この丘陵の上面が発掘地で、

2堀内貝塚第5次航空写真

現在は駐車場になっている。
歩道に沿ったコンクリート壁面上に堀内貝塚の記念碑が建っているが、この石碑には「古跡貝塚 桜井村」とだけある。
石碑の足元のコンクリート壁面には2つの窓が設置されており、この貝塚の断層そのものが観察できるようになっている。

3断層窓

上記写真では貝殻の表面に太い筋のあるハイガイが見て取れる。
香港で酒の肴にするために二枚貝を頼むと出てくるのがコレだが、その身は美味しそうな見かけと違い、ほとんど味が無い。
この窓内の断層にも断片が混じっていると思われるハマグリとは味も見かけも対極にある。
現在は海岸線から4km内陸に位置する名古屋市内の実家の前にあった畑でもハイガイの化石が出土していたが、国内では絶滅危惧種となっていて、有明海でしか採れなくなっており、国内のスーパーマーケットで見かけることはない。
このコンクリート壁ができる前の貝塚断層を撮影したと思われるのが以下の写真。

4堀内貝塚貝塚断面

真ん中の荒い砂の層が貝塚だ。

堀内貝塚は縄文時代後期の集落の縁辺に位置する内陸部の貝塚で、かつて縄文海進期に存在していたと思われる内海の海岸線まで、推定で2.6kmほどだが、縄文時代後期には海岸線はもっと後退していたはずだ。

4MAP縄文海進4m

しかし、出土している貝種からすると、もっと南部遠方10kmあまりの海岸線まで採取に行っていたとみられている。
下記写真は安城市歴史博物館に展示されている堀内貝塚で出土した貝類と出土貝類の63%を占めるハイガイの調理模型。

5堀口貝塚貝類

下記「堀内貝塚層出土の動物」の出土割合を見ると、魚類は淡水魚が52%、海水魚は26%となっている。

6堀内貝塚貝層出土の動物の割合

この表には中国からの外来種とされ、TV番組『池の水全部抜く』では駆除しているコイが含まれている。
琵琶湖周辺の貝塚からもコイが多く出土しており、50万年前のコイの化石も発見されている。
このことからすると現在、コイが「外来種」として認定されている経緯が知りたいところだ。
一方、哺乳類・鳥類の割合を見ると、意外なことにシカが66%で22%のイノシシを圧倒していた。
イヌが6%も含まれ、イルカなどの海生動物2%より多く、鳥類もたったの1%で、鳥類は食料としては当てにされていなかったのがわかる。

現在の堀内川を見下ろせる貝塚の北側では多数の土壙墓(どこうぼ)や土器棺墓などが見つかっており、住居も存在したとみられている。
そのうちの20号土壙墓が安城市歴史博物館内に保存されている。

7 20号土葬墓

20代の女性と推定され、脚を折り曲げて埋葬されている。
上顎の左右の犬歯と下顎切歯4本が抜歯されている。

ところで、ここ堀内貝塚でも土偶が出土している。

8堀内貝塚土偶

沈破線や沈点の装飾された断片で、「土偶」ということ以外に情報が無いのだが、形状からすると「腕」くらいしか思いつかない断片だ。

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堀内貝塚は貝塚発掘地が県道に面していたことから、そのまま貝塚断層が展示されている珍しい貝塚でした。
この貝塚の周囲には洒落た農家家屋や安城市最樹高の大イチョウ、堀内古墳があり、その一部を次の記事で紹介します。

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