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今朝平遺跡 縄文のビーナス 89:マムシとカエル

愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の猿投神社東の宮は案内書によれば、石鳥居の設置された東の宮入り口から900m先とありました。東の宮は猿投神社本社の奥宮の一つに当たります。

愛知県豊田市猿投町 猿投山
愛知県豊田市猿投町 猿投神社(東の宮/西の宮)/カエル石/猿投山山頂

猿投神社東の宮の表参道を登り、最後の尾根の上に上がると、北に延びる参道は整地された砂地になって広がり、行く手に石段と社殿が見えた。

豊田市猿投町 猿投神社東の宮 表参道/石段/社殿

参道の左手はここまでも多かった杉林になっているが、右手は崖になっており、参道に沿って縁石が並べられ、崖に沿って巨木の並木になっている。

猿投町 猿投神社東の宮 表参道 並木

猿投山では杉以外でここまでの巨木は見かけなかった。
異様な印象を受けたので、上記の写真を撮影してしまったが、樹種は不明だ。

その並木を通り過ぎると石段の下に到達した。

猿投町 猿投神社東の宮 表参道 石段 社殿

石段の奥にはもう一つの石段があり、その奥に社叢に覆われた社殿がのぞいている。
石段左手の杉の木に掲示されている派手なポスターは猿投山に関わるイベントの告知のようだ。

最初の石段を上がると、縁石で方形に囲った芝を張ったスペースがあり、その中にコの字型に礎石が並べて埋められている。

猿投町 猿投神社東の宮 拝殿跡/石段/本殿

拝殿跡だと思われるが、東の宮表参道入口脇に掲示されていた案内板には「薬師如来を奉った寺院」に関する記述があり、前進は薬師堂だったのかもしれない。

先客が2名、木陰で休息を取っていた。

2つ目の石段を上がると三段の石段があり、その上は石畳の踊り場が設けられていた。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮 踊り場/参道/石段/本殿

銅板葺の本殿前まで上がって参拝した。
東の宮の登り口に掲示されていた案内書『東の宮』には以下のようにあった。

猿投山の東の峯頂上近くは茂吉ヶ峯(もきちがみね)の地名を残し、猿投神社を本社とする東方の奥の宮です。
東の宮は室町幕府初代将軍足利尊氏寄進の槍と鏡があったと伝えられており、室町時代の貞和五年(1349年)に記録のある祭礼記にその名がみられます。創建は不詳ですが平安時代後期と推定されます。
このお宮にも寺院が建立されて本尊は薬師如来を安置していました。

猿投神社東の宮入り口案内板(猿投地域会議)

祭神に関する情報が無いのは、本社と同じということか。
ただ、東の宮の主祭神は以下であるという説があるようだ。

●猿投神社本社
主祭神:大碓命
相殿祭神:景行天皇/垂仁天皇
●猿投神社東の宮
主祭神:景行天皇
相殿祭神:垂仁天皇/大碓命


本殿を脇から観ようと、東側に回ろうとした。
その瞬間、10mほど北の本殿脇で鎌首をもたげているマムシと目が合った。
鳥肌が立ったが、瞬間的にマムシに投げるために足元周辺の小石を探した。
見つからないので視線をマムシに戻したら、マムシはすでに本殿裏に向かって去って行くところだった。
こっちに向かって来ていたら、危ないところだった。
実は猿投神社社伝によれば、主祭神の大碓命は猿投山に向かっている時に42歳(厄年だ!)で毒蛇に噛まれて亡くなっているのだ。
私はマムシには3度遭遇しているが、そのうち2度が今回のように鎌首をもたげて威嚇された。
1度目に威嚇された時は視線を外すと襲って来そうな距離だったので、にらみ返していたら、突然、踵を返して背後の草むらに逃げ込んだ。
他の蛇は人間と合えば逃げるだけだが、毒蛇は捕食できる相手には倒すために向かってくるのだ。
そう言えば、熊のことばかりに注意が行っていたが、東の宮表参道入口脇に「マムシに注意!」の案内板が出ていた。

それはともかく、東の宮の本殿は神明造で、向拝屋根を持つ建物だった。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮 本殿

本殿の右脇には銅板葺神明造風の摂社八王子社が祀られていた。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮 摂社八王子社

祭神は以下の8柱だ。

・アメノオシホミミ ・タキリビメ
・アメノホヒ    ・イチキシマヒメ
・アマツヒコネ   ・タギツヒメ 
・イクツヒコネ
・クマノクスビ

八王子社は猿投神社本社にも境内社として祀られている。
この八王子社の脇に石が転がっているのが気になった。
目的があって据えてある配置ではないし、裏面の土手から転がり落ちて来た石なのか。

この石の他に、マムシの逃げ込んだ本殿の裏面の土手が気になった。
それで、マムシが逃げ込んだ場所に向かった。
リスク回避になるかは不明だが、マムシを威嚇するために、足の裏でドシン、ドシンと地響きを立てながら向かった。

そこには枯葉が積もった土手に複数の石が埋まっていた。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮 本殿裏面 石群

ただ、その内の2つの巨石は人為的に積まれたものであるように見えるのだ。
本殿の真裏だけに本殿と関係のあるものとしか思えないのだが、注連縄が張られているわけでもないし、この石に関する情報は現場にもネット上にも皆無なのだ。
積まれた石の上の石を正面から見ると、何か刻まれていそうなので、観察したのだが、人為的なものは存在しなかった。

猿投神社東の宮から脇参道に出て、猿投山山頂に向かう登山道に入った。
尾根の上を辿る比較的平坦な道を300m近く辿ると、何者かが目を書き入れた巨石が登山道脇の2基の石と地面に支えられていた。

猿投町 猿投山登山道 カエル石

自然石に現代人が悪戯描きするとは不埒な行為だが、驚いたことに、消されないばかりか、正規の地図にも「カエル石」で表記されてしまっている。

カエル石の脇には小さいが石祠も祀られている。

猿投町 猿投山 カエル石 石祠

現在の石祠は比較的新しいものだが、前の石祠が朽ちたのでリニューアルされたものか、「カエル石」になったことから祀られたものなのか、まったく情報が無いので不明だ。

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カエル石は気になったので、ここまでやって来たのですが、このまま山頂まで行くか、引き返すか迷いました。なぜなら、この日にはもう2ヶ所、猿投神社西の宮と大碓命墓に行きたかったからです。西の宮に関しては表参道の登山口から登りたかった。そのためには東の宮表参道の登山口まで下り、東海自然道を辿って西の宮表参道入り口まで迂回する必要があり、そのための時間がまったく読めない状況だったのですが、猿投山山中で日没を迎えるのだけは避けたかった。それで、カエル石から登山道を帰ることになりました。

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