見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 53:ドロバチの好んだ古墳

乙川(おとがわ)の左岸に位置する岡崎市の乙川龍神めのうづ社から、乙川の対岸に位置する神明宮1号古墳に向かいました。古墳名から判るように、神明宮1号古墳は同じ岡崎市の岡町 神明宮境内に存在する円墳でしたが、神明宮境内にあることが判ったのは神明宮1号古墳に着く直前のことでした。

愛知県内レイラインAG (神明宮1号古墳)
愛知県内レイラインAG (神明宮1号古墳)

        

●神明宮1号古墳に向かう

神明宮1号古墳は直線距離では乙川龍神めのうづ社の北西260m以内以内に位置する古墳だったが、乙川の右岸に渡るには乙川龍神めのうづ社の下流650m近くに架かっている丸岡新橋を渡って迂回するしかなかった。
乙川を渡って県道35号線から水田と住宅の間を東南に向かうマイナーな道に入っていくと、その道は袋小路で、行き止まりになっており、古墳らしきものは見当たらなかった。
途中にあった、唯一の十字路まで戻り、北に向かうコンクリートでたたかれた私道っぽい道に入って行ってみた。
竹林沿いの通路を50m近く進むと、森の中を東西に延びる通路にぶつかった。
そのT字路部分の右手には小型の石鳥居が見え、石鳥居の先には古墳らしきものがある。
東西に延びる通路は参道らしいので、愛車をそのT字路脇に止めて徒歩で古墳らしきものがある方向に向かった。
途中にある石鳥居の場所でコンクリートでたたかれた通路は北に折れており、石鳥居はその折れた参道をまたぎ、鳥居の先には拝殿らしき建物があった。
ここはどうも岡町 神明宮の社内らしかった。
石鳥居の前を通り過ぎて参道から外れた東側には玉垣で囲われた小さな丘があって、丘に設けられた海老茶色にペイントされた鉄格子の扉がこちらを向いていた。

神明宮1号古墳

陽が差さないようで、地面は湿気が多く苔生している。
鉄格子の扉の左脇には「史蹟神明宮古墳」と刻まれた号表が建てられ、玉垣沿いには教育委員会による『愛知県指定文化財』の案内板が立っている。

鉄格子の扉を通して中をのぞくと、横穴式石室内には荒い側壁が設けられ、棺の納められる奥の玄室には光が届かず、暗闇になっている。

神明宮1号古墳羨道〜玄室

            

●石室に使用されている石

上記写真の側壁の左右もっとも手前の縦長の大きな石が羨道(せんどう)の入り口に設けられる袖石で、現代の墓でも、格式の高い墓には設けられているものだ。
まあ、我が家の墓には袖石など影も形もありませんが、本家の墓には袖石どころか、瓦葺の門が設けられ、墓所は土壁で囲われています。
それはともかく、少し奥の天井に見える右下がりの石が玄室の入り口に設けられた楣石(まぐさいし)のようだ。
楣石は天井の重量を支える構造材なので、日本の横穴式石室だけではなく、ギリシャやインド、マヤ、東南アジア各地の古代建築にも見られるもので、構造材としてではなく、完全な装飾になっている場合も見られるものだ。
現代の寺社建築で言えば、頭貫(かしらぬき)に当たる。
上記写真で言えば袖石と楣石の間が、短いが羨道(せんどう)と呼ばれる部分で、玄室と外部とを結ぶトンネル状の通路だ。
羨道には枯葉が吹き込んでいた。
玄室はストロボを焚いてみたが、小生の使用している非力なポケットカメラのストロボでは、まったく光が届かなかった。

鉄格子の扉の設けられた墓道(ぼどう)手前の前庭の低い側壁には羨道側壁に使用されている角張った大型の石ではなく、角を取った小型の石が水平に揃えて積まれている。

神明宮1号古墳前庭側壁

鉄格子の上部越しに、この古墳の墳頂を見ると、墳丘には痩せた樹木しか生えていず、全面を枯葉が覆っていた。

神明宮1号古墳石室入口〜噴頂

案内板には以下のようにあった。

史跡 神明宮 第一号古墳

丸山町の乙川右岸の低位段丘上に立地する、古墳時代後期(六世紀後半)に築かれた円墳。墳丘は東側が崩れているが、現状で直径19m、高さ2.7mを測る。
内部の石室は全長11.6m、両側壁の最大幅2.4m、高さ最大3mで、西三河最大の横穴式石室である。石室は玄室が後室・前室に分かれる複室構造をとり、羨道・前庭部と続き西南西に向かって開口している。奥壁には高さ2.9mの巨石が用いられ、表面にはベンガラが塗られている。
昭和3年に6世紀後半〜7世紀初頭の須恵器をはじめ、金環、丸玉、鉄鏃、刀子(とうす)、鍔(つば)、馬具等の副葬品が出土している。
この古墳は、すぐ西の丘陵上の経ヶ峰第一号古墳に続き、丸山町一帯を支配していた人物の墓と考えられている。

岡崎市教育委員会 神明宮 第一号古墳案内書

ころで、この円墳の号表には何やら赤土が塗られていた。

神明宮1号古墳号標

それはドロバチの巣で、赤土は三河地方に多い土だ。

神明宮第一号古墳号標 ドロバチの巣

神社を巡っていると、こうした石に刻まれた窪みを利用して設けたドロバチの巣に出会うことがある。
こうした人工物やほかの生物の利用した巣穴を再利用した巣は「筒住型」と分類されている。
この巣は下半分が剥がれ落ちているが、上部中央にごく小さいがドロバチ特有の徳利の口状に仕上げた美しい出入り口が残っており、左右に餌の貯蔵穴と思われる穴が露出しているが、左側の穴には餌の殻らしきものが残っている。
通常、貯蔵穴は土で塞がれるものなのだが、表面が剥がれ落ちた痕跡は感じられない。

ドロバチはスズメバチ科ドロバチ亜科に分類される蜂だというが、よく知られているスズメバチと違って、以下の写真のように全体が黒く、「クロスズメバチ」と呼ばれることもある。

ドロバチ

ところで、神明宮第一号古墳脇には神明宮第一号古墳の墓道に向けた銅版葺神明造の社が設けられていた。

岡町 神明宮 境内社

ここ岡町 神明宮の境内社だと思われるが、境内社はこの1社しか確認できず、神明宮第一号古墳に寄り添うように祀られている。
本殿からはもっとも外れた場所だ。
屋根に乗っている鰹木が5本に外削の千木が男神が祀られていることを示している。
岡町 神明宮の『社記』の可読性が失われている部分に社宮司社、八幡宮、祖霊社3社の名が見えるが、社の立派さからすると、八幡宮か祖霊社ではないかと思われるが、特定できない。

神明宮1号古墳前から時計の逆回りに周囲を回ってみた。
周囲は全面が森に覆われており、第一号古墳開口部の裏面から噴頂を見上げたのが以下の写真だ。

神明宮1号古墳 噴頂

墳頂に見える三角の尖ったものが、上記の第一号古墳脇の境内社の屋根だ。
こちら側は崩れていると案内書にあるが、現在はなだらかな土手になっている。

噴上を見ていたら、石が露出していたので、見に行ってみた。

神明宮1号古墳

平らな石が水平に置かれており、天井石のようだ

そこから東側の麓を見下ろすと、森の奥には明るい平地が広がっていた

神明宮1号古墳 墳上〜麓

◼️◼️◼️◼️
岡町 神明宮もレイラインAG上に存在しているので、神明宮1号古墳から表参道を神明宮の社頭のありそうな西に向かいました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?