選ばれたくなかった私

「Eggs 選ばれたい私たち」という映画を観た。
卵子提供を通して、女性という性について、結婚や出産について考えをめぐらせるという感じの内容だった。

私のこの記事のタイトルにある通り、私は「選ばれたくない」人だった。
今の夫に出会うまで、結婚する気はなかったし、夫とおつきあいしていた時も、同居はするけれど結婚出産する気はなかった。
でも、まあ結果として結婚出産してるんだけども。それはその気になれる環境下にあったから。
だから、私の通る道筋として、映画の中の登場人物は、容易に考えられた立ち位置だった。
何者にもなれていない、三十路の、おひとりさまとして生きていくだろう自分。ただひとつ違ったのは、私は何も残したくなかった。私自身の生育環境から、どこか自分の遺伝子に不信感というか、なくてもいいかなと思う感覚があったから。
今、子がいて、どういう感覚なのかというと、確かに私と夫から産まれてきた子だけれども、私たちとは別の存在としての子を、育てる義務と、近くで見ていられることの恩恵を受けている、そんな感覚。たぶん他の親子よりも、ずいぶん他人事な距離感かもしれない。我が子が2歳くらいまでだった、あの異常なくらいの境界のない近い感覚は。

さておき。
男性に選ばれる存在としての私、というのは、若い頃、最も避けていたことかもしれない。
自分から男性への好意は示しても、選ばれるような女性になろうとしたことは一度もなかった。そういうのがとにかく嫌だった。良き女性像みたいなのから離れようとしていた。
一方で、人として好かれるかどうかに重きを置きたかった。
そこに性が絡んでくることがうっとおしかった。
今も時々思うけれど、発情期とかあった方が楽だなと。その時だけをやり過ごせばいいんだから。

この映画では、登場人物の過去はほとんど描かれない。どんな経緯で、そういうふうに至る想いになったのか。
私はたぶん、人のそういう部分をすごく気にしてしまうので、ついそういうの欲しいと思ってしまうけれど、この映画では潔いくらいないのが、かえっていいのかもしれないと思う。
今、葛藤している彼女たちの、揺れ動く想いに、モヤモヤと蠢くどうしようもなさと、でもこれから生きていくための覚悟と、人との関係性の変化を、しんみり味わう映画だった。
やっと観れて良かった。

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