見出し画像

遊劇体「灯灯ふらふら」感想

 劇団の演劇を見はじめたきっかけは、よく覚えている。社会人一年目の春、大学生最後の春休みを過ぎてもまだ自動車免許を取れてなくて、仕事を始めても自動車教習所に通っていた。待ち時間に暇だったからだろう、チラシの棚を見ていて演劇のフライヤーを見つけた。白っぽいちょっと幻想的な雰囲気のフライヤーに惹かれて、何も知らないのにいきなり観に行くことを決めた。それが遊劇体との出会い、1995年のことだったと思う。
 最後に遊劇体を見たのは1997年で、舞台が好きな友人を誘って、京都大学西部講堂まで出かけた。この劇場が、おそろしく古めかしく板張りに座布団で、それが満席。ちょっとずつ詰めて下さいの声に、みんなで協力してぎゅうぎゅう詰めになっていくのも、今となっては懐かしい記憶だ。それなのに、舞台の内容はすっかり忘れてしまっていて、ただ舞台の印象だけがぼんやりと残っていた。
 それ以来、鳥取県に引っ越したこともあってすっかり縁遠くなり、関西に戻ってきてからも、演劇を見るということを意識することはなかった。
 それが、また演劇を見てみたいという気持ちになったのは、朝日放送で放映している「THE GREATEST SHOWーNEN」という番組を見たからだ。夏のドラマをきっかけに秋頃からファンになったAぇ! groupが関西のいろんな劇団とコラボして1回だけの公演を作りあげる演劇&その裏側の番組。その番組をしばらく見ているうちに思った。演劇の臨場感を味わいたい。その番組の公演には抽選漏れ。でも、なにか演劇を見たいと思って、浮かんだのが遊劇体だった。ネット検索してみたら劇団は続いていて、3月に公演があることを知り、観に行くことを決めた。
 劇場までの道は鴨川の下流の桜並木。曇天ながら美しい光景。まだ受付前で人はまばらの入口に、すこし怖じ気づいて桜並木に戻ったものの、意を決して受け付けを済ませる。開場から開演までのわくわく。リーフレットの「メメントモリ」の言葉は、私のなかの藤原新也の著書とつながって、遠い記憶をしばらく掘り返していた。劇場は思っていたより狭く、演者とのほどよい距離感に期待が高まる。客席は次第に埋まっていき、おしゃべりの波は消灯とともに消えて、舞台のうえの物語がはじまった。
 椅子にすわる老人の、なんともいえぬ表情。うつろなようでおだやかな。老人の記憶が次々に呼び起こされる。
 役者の声が力強く響いてくる。それはもう生き生きと。その声の力にとにかく圧倒されていた。
 記憶はダイレクトに、だから登場人物もそのまま舞台にあがる。時々入り込む現実。まわりまわりながらしか舞台に来れないことが、老人と現実の距離感のよう。効果音が実に効果的。何もないところに何かが見えるように、観客の想像を掻きたてる。いまがあいまいになり、ふわふわした感覚。見ているわたし自身が、仕事を変わったばかりで、日々緊張の連続で疲れていたこともあって、暗くてなにもしなくていい空間にいると、ふわふわと眠気に誘われてしまう。そのこともあいまって、よりふわふわしたなかにいた気がしていた。
 記憶はより印象的なことほど、残っていく。だから思い残したあの頃のこと、輝いていたあのときのことが、より鮮明に浮かび上がるのだと思う。
 いつか、わたしにも訪れるそのときに、走馬灯で浮かび上がる景色があるのなら、それはどのときのわたしの記憶なのか、楽しみでしかたない。
 そんなふうに己に引き寄せて思った。
 
 帰るときのわたしは、マスクの中が涙と鼻水で混沌としていて、とにかく劇場を出て、現実に戻らなければと外へ出た。
 ひさしぶりの遊劇体の舞台、とにかくすごいものを見た感覚があった。あの場にしかありえないあのひととき。また、見てみたいと思わせてくれる迫力だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?