家出

6年生の時、居候終了後もよくうちに来ていた2つ年下の成長早い女子が
わたしと遊んでしまって宿題をしないのはわたしが原因だと母に叱られ、
当時お誕生日プレゼントとして飼わせてもらったスムースコートのチワワを連れて3時間ほど初めての家出をした。

今思えば当然なんだけど、
彼女が居候当初から母はよその人には優しいけどわたしには優しくなくて愛されていないんだと感じていた。

学校に行くと普通の子になってしまうから行かなくていいという母の妙な教育方針に従い、わたしは小学校に半分も行っていない。
でもやるべきことをやらずに逃げていたらそんな子は生きてる価値ないと言われたし、
生まれた時ぶさいくすぎて心中しようかと思ったとずっと言われていたし、
(大きくなってからは多少マシになって良かったなぁと言われている)
5年生まで世の中で一番コワイ生き物は母親だと思っていたのが少し薄れて反抗したくなったのかもしれない。

わたしは小学校に上がってから母に手をつないでもらった記憶がないんだけれども、居候彼女は小学2年生なのに外出時はうちの母に手をつないでもらっていたし、
物心ついてから母に抱きしめてもらったこともない。

小1からわたしは自室に一人で寝ていて、雷が鳴っている日や大雨の日はこわくて母のベッドにお邪魔させてもらっていたんだけど、
寝返りとかで動いてベッドが揺れると烈火のごとく怒るので極力揺れないようにベッドの端っこに寝かせてもらっていた。
わたしの眠りが浅いのはこのせいか。
はじめてのおつかい ならぬ、初めての単独新幹線移動は小2だし、
ずっと愛されていないと思っていた。

本当は超が付く過保護なんだけれども。
今となっては胸が張り裂ける思いだったろうなぁと思うことがたくさんある。

母は単純にスキンシップ能力が欠けているだけの模様。
たぶん祖母が潔癖症なせいだと思う。
そんな祖母は昭和3年生まれで贅沢に洗剤を使わないので
潔癖症のくせに洗い物がすごく汚い。
お皿は我慢していたけど、お箸とコップはこっそり洗って使っていたし、
他人はいけるのに血が繋がっている祖母とだけは同じお箸を使えないわたし。
奇妙。

とまぁそんななので愛されていないという誤解が滑車となって家出をしたけど、500円しか持たずに出た昭和63年の小学生の行き場なんてないし犬もいるので適当に帰宅した。

家には父だけがいて、母と祖母が別々の車でわたしを捜しに出ているとのこと。
母が捜索に出てくれるなんて思ってもいなかったので驚いたし反省したし、
何より帰宅後の母を想像すると恐ろしすぎた。

ようやく日本初の携帯電話が出た頃なので母が公衆電話から家に電話をかけて父からわたしの帰宅を聞き、
しばらくして戻ってきた。

帰ってくるなり金庫の前に呼ばれ、金庫の開け方を教えた後、
『あたしが出て行くわ』
と冷たく言い残して母が家出をした。

得も言われぬ敗北感を味わった。

母も2時間くらいで帰ってきたと思う。
母もわたしも喧嘩後5分で普通に喋れてしまう人なので事件がうやむやに終わってしまったと思う。
今でもなぜわたしが家出をしたのか母は原因を知らないんじゃないかな。

いつか言ってやろうとは思っている。

でも、20代の頃からのわたしの密かな夢は
わたしよりも先に母が弱った場合に
母を抱きしめること。

どんな反応をするだろうか。

不思議と抱きしめられたいとは思わない。
もしもわたしが先に弱ってしまったとしても

母を抱きしめてみたい。

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