ゾイナー「家畜の歴史」

 子供の頃や学生時代は、様々な経験と学習、そして偶然の出会いが混合して心の中で複雑な化学反応が起こり、少しずつ「自分にとっての必然」が芽生えてくる時代ではないかと思います。
 私は、北海道の地方都市で生まれ育ち、子供のころは近所の酪農家の牛舎を遊び場にして育ちました。当時、私の家の周り畑は馬で耕され、畑には亜麻が栽培されており、田植えや稲刈りはまだ全て手作業でした。そして、1960年代に公立の小中学校でパンとミルクの給食を食べて生活する中で、次第に家畜に興味を持つようになり大学の畜産学科に進学しました。大学で学んだ畜産学の中では、家畜の生理や機能に最も興味を覚えましたが、その一方で子供の頃から見慣れた「馬」という動物が人類の歴史の中で果してきた特別な役割や、私の時代の学校給食ではなぜ米が全く使われず、全てパンとミルクであったのか、その複雑な歴史的背景についても学びました。さらに、家畜の品種改良に果した人間の役割を知るに及んで、家畜に対する私の素朴な興味は、人類はなんと凄い事を成し遂げたのかという驚きに変わっていきました。
この様に、家畜について様々な側面から学ぶ中で、最も影響を受けた本を一冊ご紹介するとすればゾイナーの「家畜の歴史」を外すわけにはいきません。この本に描かれている個々の家畜の生物学的性質や、人間と家畜の関係に関する考察の深さにはただ驚くばかりです。この本を読み進むうちに、日本ではついぞ成立しなかった遊牧・牧畜の文化が、実は世界史の中で極めて重要な役割を果してきたことを認識するに至りました。
遊牧・牧畜は水に乏しい西アジアで始められましたが、そこに住む人々が家畜とその生産物に依存する中から生まれた思想が、一神教を主たる教えとした「旧約聖書」に集約されていることを考えると、現代社会においてもその影響力の大きさが覗えると思います。これに対し、稲作に伴って創り上げてられてきた文化・伝統の中から生まれた日本民族の物語が「古事記」と「日本書紀」に集約されており、その特徴が水と太陽に恵まれ、四季の明確なこの地で、個性豊かな数多くの神々が織り成す出来事であることとはまさに対照的です。
この様に考えると、人間の歴史はある意味で「適地適作」と「適地適畜」の狭間で紡ぎ出された叙事詩とも言え、日本文化を理解するには「稲作」を避けて通れない様に、西欧社会、イスラム社会およびユダヤ社会の本質を理解するには「家畜」に関する基礎知識が不可欠といえます。
今改めて思い返してみると、進路が定まらなかった学生時代の私にとって、家畜を通して人間の歴史について考えるきっかけとなったゾイナーの「家畜の歴史」は、私の心の中に起きた化学反応の触媒となり、「私にとっての必然」が創り上げられていく過程で欠くことのできなかった「私の一冊」です。

書籍情報:
訳書:家畜の歴史
F.E.ゾイナー (著), 国分 直一, 木村 伸義 (翻訳)
出版社: 法政大学出版局 1983年 ISBN-13: 978-4588371028
原書:A History of Domesticated Animals
Frederick E. Zeuner
Harper & Row, Publishers, New York, Evanston. 1963

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