日本の大学における農学教育の現状と課題

6 年に東京帝国大学(現在の東京大学)が日本における最初の大学として発足した。この時以来 110 年が経過したが、その間に日本の大学を取り囲む社会・経済状況は何度か大きく変化し、社会が大学に期待する機能もまた時と共に変化してきた。永井(1965)によると日本の大学システムは3期に分けられる。即ち第1期は、明治期~大正初期(1868-1918)、第2期は大正期~第2次世界大戦終結まで(1918-1945)、第3期は第2次世界大戦終結 (1945)以降である。
 これを農学教育に当てはめると、第1期は札幌農学校と駒場農学校の設立に象徴され、第2期は1903 年に専門学校令が公布され、高等程度の専門教育機関が地方に多数設置された時期に相当する。第3期は、第2次世界大戦後、アメリカ教育使節団が GHQ に提出した報告書を基に日本の教育改革が行なわれた時期である。このときに確立されたシステムは基本的に1991 年まで継続した。
 1991 年5 月に文部省は大学設置基準を改正し、その中で「当該大学における教育研究活動等の状況を自ら点検及び評価を行う事に努めなくてならない」と定めた。これを受けて全国の大学が教育カリキュラム並びに研究活動の自己点検、自己評価を開始した。そして、現在までに多くの大学がすでに組織を改革したか、あるいは改組改革を検討している。その意味で、1991 年以降の日本の大学教育は第4期を迎えていると言える。
 では第4期における日本の大学における農学教育の課題とは何であろうか。これまで日本における農学教育の中心課題は食料の増産であった。そのために、その中心的役割を果たすべく農学科が数多く設置されたのは当然の流れであった。さらに、水田、畑の造成を主たる目的とした農業土木学科、農業の機械化を目的とした農業機械学科、農薬・肥料に関する技術開発を目的とした農芸化学科、動物性蛋白質の供給を目的とした畜産学科、森林資源の有効利用を目的とした林学科、公害問題に端を発した環境学科など、教育・研究目標が極めて明確な学科が次々と設置された。
 しかしながら、現在の日本においては農耕地を新規に開発できる余地が少ない事、一般に日本の農業が高コスト低収益体質であるため輸入農産物に対して価格競争力を持っている分野が少ないこと、深刻な後継者問題を抱えている事等から産業としての日本の農業の将来は楽観できる状況ではない。その影響を受けて、社会的にみて大学農学部の存在理由が不明確になっている。また、農学部を卒業した学生が農学関係の職種に就職する割合が減少している事も、日本における農学部の存在理由に疑問を投げかける原因になっている。この様な状況のもとで、最近10 年間の間に多くの国立大学において農学関連学部の改組が行われ、「生物資源」のような新しい名称の学科が数多く誕生した。
 組織改革を行った大学におけるカリキュラムを調査すると、いわゆる「農学」の授業科目が減少している事が特徴として挙げられる。これは当然これらの学科で学ぶ学生の意識がこれまでとは大きく変わる事を意味している。
 現在、世界の人口が急激に増加している一方で、耕作可能地域を拡大する努力には限界がある。従って、このままでいけば遠くない将来に世界各地で食糧不足が発生し易い状況にある。今我々が考えなくてはいけないのは、(1) 世界レベルで食料生産技術を改良する事 (2) いかにして地域毎の人口をコントロールするか (3) いかにして様々な資源をフェアーに分配するのかの3点に集約されると考えられる。
 大学における教育・研究の立場からこれらの問題を考えると (1) 様々な地域の研究機関と幅広く共同研究を行う事により食糧問題、人口問題並びに資源問題を多面的にとらえ、個々の事例に対する背景、問題点並びに解決策について研究を重ね、(2) その成果を大学における教育の場を通じて、あるいは直接社会に還元していく事であると考えらる。従って、今後の大学における農学教育は、一方においては専門化を進め、専門的な知識の蓄積並びに技術の開発に努めるとともに、他方において複雑な問題に対処できる幅広い社会観、人間観を有する人材-つまり教養人-の養成の両方を同時に進めなくてはならないのではないだろうか。
 振り返ってみると、かつて札幌農学校はこの両方を兼ね備え、極めて高いレベルの教養人を多数輩出し、各界に大きな影響を与えた。現在我々が直面している問題は極めて複雑で困難な問題ばかりであるが、問題解決の第一歩として「高度の教養に裏付けられた農学教育・研究」について真剣に議論し、現代版の札幌農学校を構築する必要があるのではないかと考える。現在各大学で改革の議論が行われているが、その議論は「本来大学は如何にあるべきか」という点について今一度徹底的に議論するところからスタートしなくてはいけない。その議論を抜きにしては客観的な評価に耐えうる大学は生まれないのではないかと考える。

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