はじめてのライブハウス

1998年8月だったと思う。
中学生だった私は当時流行していたヴィジュアル系にどっぷり漬かった生活をしていた。
とはいえ少ないお小遣いを駆使してFOOL'S MATEを毎月購入し、ファンクラブの会費をなんとか払い、アンテナの位置を手で微調整しながらビートシャッフルを食い入るように聴き、
遠く離れた地方に住んでいる文通相手とバンドへの愛について語り合うといった在宅バンギャで
ライブには未だ行ったことが無かった。

夏休みに入る間際、LUNASEAが好きな同級生から「お兄ちゃんがバンドやっててチケット代いらないから見に来てほしい」と声をかけられた。
場所は千葉県の本八幡Route14というライブハウス。
当時川崎市に住んでいた私はせいぜい渋谷までしか自力で遊びに行ったことが無く、
東京を横断して千葉まで行くのは結構な冒険だったが、ライブハウスに行ってみたいという思いからその誘いを受けた。
見に行くライブが友人の兄のバンドであること、一緒に行く同級生も自宅に何度も遊びに来ていて
母とも面識のある子だったことですんなり両親も了承。

当時はまだスマホなんて存在しない時代だったので自宅のパソコンでYahoo!乗り換え案内を検索し、
Yahoo!地図で場所を確認し、それらをプリントアウトしたものを遠足のしおりのように準備した。

初めてのライブ、遠出に緊張しながら迎えた当日。
ライブハウスの受付で目当てのバンド名を言い、事前に友人のお兄さんから受け取っていたチケットを出し、
ドリンク代500円を支払いフライヤーを受け取りいざ入場。
そこは薄暗くタバコ臭い空間で、壁際に椅子とテーブルが設置してあった。
とりあえずドリンクカウンターでオレンジジュースを受け取り、下手壁際の椅子に友人と並んで座り、
人もまばらなホール内を眺めたりフライヤーを見ながら開演を待つ。
明らかに私たちより年上のお姉さんしかおらず、若干の心細さを感じていたが、
その心細さを更に増長させるフライヤーが1枚混ざっていた。

カリガリの第三実験室。

黒い背景に坊主頭の男の人の顔が「ぬっ」っと浮かび上がるようなデザイン。
見ていて不安になる良く分からない不気味さ。
とてつもなく強烈なインパクトを残したカリガリはしばらく私の脳裏にこびりつき、
後日カリガリを調べていた流れでムックの存在を知ることになる。
第三実験室のフライヤーを見た時と同じく「なんか不気味なバンドだな」という感想だった。
私が自分の意志でムックのライブに行き、ドハマりし、ツアー全通するようになるのはここから15年後。
遠回りしすぎで我ながら意味が分からない。

さて、5バンドほど出演する対バンライブで、友人のお兄さんのバンドは2番目に登場した。
女性ボーカルの5人編成でお兄さんは上手ギター。
たまたま座った下手の席からお兄さんはとてもよく見えて、
猫背気味にギターを弾く姿と弦に絡まりそうな長い髪が揺れるのを
静かに眺めながら「思っていたより下手くそだな」と失礼な感想を抱いたことは覚えている。

受付で渡されたフライヤーの中には全てのバンドのアンケート用紙が折り込まれていて
私たちは馬鹿正直に1バンド終わるごとに(若干の社交辞令を混ぜ込みながら)アンケートを記入した。

1組、とても印象に残ったバンドがいる。
アーミーソックスという名前の男性4~5人組のロックバンドで
一番盛り上がった曲のサビが「一発やらせろ!」だった。
黙々と演奏しているバンドマンが多かったこの日のライブで、アーミーソックスのボーカルは
楽しそうに暴れながら歌っていたように思う。
ヴィジュアル系以外興味が無かった当時の私には縁のないジャンルだったが、
ライブって楽しいなーと素直に思ったステージだった。

初めてのライブハウスでとてもドキドキしていたし、周りは年上のお姉さんばかりだし、
普段まじめな中学生をやっていた私たちにとっては非日常すぎて全てが新鮮だった。
せっかくだから全部のバンドを見ていきたいねとお兄さんのバンドが終わった後も椅子に座っていると
近くにいた大学生くらいのお姉さんグループが私たちの方を見て何か話していることに気付いた。
なんだろうと思っていたらそのうちの一人が近づいてきて、

「もう21時だけど帰らなくて大丈夫?どこから来たの?」

明らかに心配されている。
当時私は身長144cm、最近の10代と違って化粧っ気もなく小学生に間違われることも多々ある容姿だったので
お姉さん的には「子供が2人で夜遅くまでライブハウスにいる」という図に見えたらしい。
腰をかがめて優しい声で質問してくるお姉さんに対して人見知りしながら答える私たち。

スマホも腕時計も持っていなかった私たちはその時既に21時過ぎであることを把握しておらず、
思ったより時間が遅いことに焦り、優しいお姉さんに諭されて帰宅することにした。
地元の最寄り駅に着いたのは22時50分。
普段塾がある日でも21時30分には帰宅していた私にとってはとんでもなく遅い時間で、
自宅は駅の目の前にも関わらず駅の公衆電話から親に電話をかけ、今駅に着いたことを伝えた。
帰宅が遅くなったことを絶対に死ぬほど怒られると覚悟していたけれど、
両親的にはだいたいライブが終わるのが21時台、その時間に本八幡を出て1時間~1時間半はかかるから
帰宅は23時くらいだろうと予想していたこと、
信頼できる友人と一緒、現地には成人済みの友人兄がいる、という条件が揃っていたおかげで
怒られずに済んだらしい。

社会人になった今となっては片道1時間ちょっとの遠征ですらない近場のライブ、
日付が変わる前に帰宅、という普通のスケジュールだけど、私にとってあれはかなりの大冒険だった。

あれから20年以上経過した現代、ライブハウスにいる子供を見かけて心配して声をかけてあげる大人はいるのか、自分が今あのお姉さんの立場にななったら声をかけるか。

そんなことを考えながら、古き良き時代に想いを馳せる。