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私にとっての猫

にゃんたちのことを、
インスタで上げていこうとぼんやり思った朝

今朝、インスタを見ていたら猫のまるちゃんの写真が上がっていた。
フォローしている人のインスタではなかった。偶然目にした。
「まる」とは、『バカの壁』という本でベストセラーの
解剖学者、養老孟司先生の愛猫である。

おや、まるちゃんは何年か前に亡くなっているんじゃなかったっけ?

と思い投稿履歴を見てみると、今でもちょっとずつ投稿されている。
先生にとって「まる」は特別?格別?といったにゃんこで。
テレビでもシリーズでその交流の様子も放送されていた。
写真集もお出しになっている。
なのでご存知の方も多いと思う。

そのインスタを見た私は、
ハートのあたりがなにか言いたげな感じになっている。

以前これと同じ感じしたな。
と思い出したのが、横尾忠則展に行ったときのこと
ひと部屋が猫の絵で埋め尽くされていた。
解説を読むと、猫の「タマ」が亡くなってから、
写真を見ながら絵にしていったというのである。

わたしはそのとき、
「失くしてからでも絵に描いていいんだ」と
なんだか新鮮な風のような、驚きを感じた。

生きているうちに家の猫たちを書かなきゃ、あるいは描かなきゃと
なぜか思い込んでいた自分に気付いた。
面白くも、愛しいニャンズたちをなんかの形で残したいと思っていたのだ。

そのとき生きていたチロも、去年逝ってしまった。
ここ10年近くの間に3ニャンを失くしている。
悲しくて、辛かった。
でも、私の中に存在を感じてもいる。

今、「もも」というニャンと
暮らしている。
彼女は野良時代に人間にいじめられていて
人間に不信感を持ち、今も時折、怯えていた。
人が急に動いたり、
なでられると「いや」「こわい」
という感情を出してくる。
それを無視して触り、同居人は傷だらけである。
そしてももを叱ったりすると、
自分に敵意があると見て、ももは本気で攻撃してくる。
追いつめてはいけない。と私は思っているが、
一緒に住んでいる同居人はなかなか理解しない。
追いつめる気持ちがなくても、
ももは追いつめられていると感じている。
おびえてるんだよ、と同居人には言ってるんだけどな。
もっと、彼とちゃんと話あわなければならないんだろう。
人間と人間の課題も、にゃんに教わる。

私も、どうせこの子は心開いてはくれない。と
あきらめがあるのが、ももには伝わるんだと思う。
そうして閉じているのは私の方だというのに。

これからの「もも」の変化と人間の変化、
肉体がなくなったけど、今もハートの中にいる
にゃんたちのことを、
インスタで上げていこうとぼんやり思った今朝だった。
写真ならたくさんあるのだ。


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