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230307_一体どこにいるのか?
昔、【私・・・】というその私は一体何を指しているのか?ということをよく考えていた時期がありました。
多くの人は無意識に自分のことを私と言っていますが、それは何を指しているのか?そもそも考えたことはないでしょう。
多くの人は自分の体のことを私と思い込んでいます。
身体には様々な構成要素がありますが、では肝臓は私でしょうか?脳は私でしょうか?腸は私でしょうか?肋骨は私でしょうか?
こういう質問の回答を自分にするとどうもしっくり来ないところがあります。
肉体は最小単位まで分解すると素粒子になると思われますが、では素粒子は私なのでしょうか?
その答えは明らかにNOでありますが。
ということは体が私と思っていたところ、その構成要素となる素粒子ではないとなると体ではないということになります。
もし、そういう結論に至ったなら、
【あれ?私ってそもそも現実世界にいるのでしょうか?】
となります。
もし、私が肉体だと思い込んでいる場合は、肉体は現実世界でしか存続できないものなので現実世界の中に入り込んでしまうことになりますが、私は肉体ではないとなると私は現実世界にいないことになります。
テレビ画面を見るように現実世界を覗き込んでいる状態が在るということになり、縦横の2次元の連続体である現実世界の1つ上の次元から現実世界を眺めていることになります。
現実世界の1つ上の世界に私というものがいるとなると、また私の定義が異なってきます。その私はどういう状態なのか?
まあこういう感じで私の探求は行われていきます。
私は体である
というのは仮想現実を体験するための1つのオプションということになってきます。この思い込みの状態で現実世界というものを体験するとどのような体験になるのか?ってやつですね。
私は体であるというのはある意味、究極の制限かもしれないですね。色々なことが縛られてくる。そして他人が私と思っている体やマインドを様々な方面から操作しようと縛ってくる。
正直、いつまでやるねん?とは思いますけど。
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クリスタル・フラーレン
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