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231209_当たり障りのない関係と当たり障りのある関係と

人間というものはマニュアル通りいかないもので当たり障りのない人間関係を続けているとその当たり障りのない人間関係の当事者が去っていき、逆に当たり障りのある関係というものを作ると波風がたつ人間関係となり互いが摩耗してしまいます。

周囲の人と当たり障りのないことを喋っていると波風を立たせるような言動を行うよりは遥にストレスがないのでそちらを選ぶのが普通で。しかし、当たり障りのないことを喋り続けている、いつしかその当たり障りのないことを話していることに疲れる感じとなり。
時には適度に刺激するような会話は必要なのかなと思います。

個人的に思うのは折角、人間の体を持つ機会があるのなら変化を楽しむことが大切だと思っているんですが、周囲の人と当たり障りのないことを喋っているとこれまた変化がなくマンネリとなり。
出会うことが出来る人がいるのなら、言葉一つでちょっと意識が変わっていくことが有り得るなら、そういう言葉を巧みに混ぜ込めばいいがなと思うところがあります。

【今日は寒いよね】
【今週末はもっと冷えるらしいよ】
【来週はちょっと暖かくなるみたい】

こういう会話もコミュニケーションの1つだと思いますが、このような会話をずっとしてもしょーがないでしょう。
こんな話を終生、出会う人とするために生まれてきたのか?という視点で見ると他愛のない話もほどほどに・・・という感じがします。

んで、こういうどーでもいい話が封じられると、今度は共通認識が可能な他人の話をするのがパターンですね。
今いない他人の話をするのもコミュニケーションの1つだと思いますが、このような会話をずっとしても同じようにしょーがないでしょう。
他人の話を出会った人と終生、出会う人とするために生まれてきたのか?という視点で見ると他愛のない話もほどほどに・・・という感じがします。

今目の前にいない他人の話をしておきながら、そもそも【自分というのがあるのか?】ってことで。

いついかなるときも変化を楽しんでいる人ってのはその瞬間瞬間で様々な情報を話すことができ、他の人が意識せざるを得ないような単語を巧みに混ぜ込むことが出来ます。
それで互いの意識が少しずつ変化の兆しを見せたり。
出会う人とはそういう関係を形成できるといいですねぇ。

ヒビキアマカム


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