230108_経済と経済的自由と
経済的自由という言葉を聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
多くの人はそれを獲得するために色々なことをやっていると思いますが。ととめどなく収入が入ってくる状態を多くの人は経済的自由があると思い込むのでしょうが、正直言ってとめどなく収入が入ってくる状態があるのは自由なことではないと思います。地球に生きている限り、お金に囚われていない人に遭遇するのは珍しいと思うのですが、いつだって人はお金に囚われているもので。その囚われの人達から経済的自由を得ている人は逃げることができると思いますでしょうか?
自由とは制限のない状態であるとすると、それがとても心地よい状態であるのか?と考えてみたとき必ずしもそうとも言えないということが見えてきます。経済的な自由を獲得し、日々自由氣ままにやっていると、いつでも経済的自由が自分から逃げていくことに過敏になり悩み、遂にはセコムのようなセキュリティ監視組織に多額の報酬を払って色々なものを見張るようになります。経済的自由を得ると次に好きな時間に南国に行き、リゾートで涼風を浴びなんてイメージできますが、そんなことをやっているうちに生まれ育った国の土地の季節に順応できない肉体となり、自由に振る舞っているために体にガタが来るのが速くなります。
お金を出してテクノロジーに依存し、テクノロジーに生かされる体となっていきます。どこが自由やねん?と思います。
経済とは別の視点となりますが、昨今動きやすい服装でいるという風潮がありますよね。動きやすい服装、動きやすい靴、自由な服装を追究した結果、現代人は昔に使っていた筋肉とかそういうったものを使わなくなり体を退化させてしまっている現実があります。動きやすい服装、自由な服装を模索していった結果、振舞や行動が傍若無人となり自由奔放に動きます。偏った肉体の使い方をするから、身体もすぐにガタが来てすぐ病氣になります。このような視点で見てみますと昔の動きにくそうな服装の意味も何となく見えてくるところがあります。
いかなる分野でも自由を模索し過ぎるとあっという間に寝たきりになる可能性が高くなります。自由は勝ち組の象徴なのか?勝ち組は負け組に転落し、いつでも負け組は勝ち組に反転し、2つしかないと思っているならずっと勝ちか負けを機械のように未来に向かって延々と繰り返し体験するだけとなります。
何事もホドホドにが大事です。自分の年収もある程度まで行ったのなら、それで良しとし必要以上を得ないということも大事です。経済的なこともある程度まで行ったら執着しないことが大事です。自分自身の肉体を守る意味でもホドホドにが良いのです。
クリスタル・フラーレン
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