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年末正月が憂鬱だと思う事について

昔からですが、この時期楽しい思い出はあまりありません。まあ近くに両親いますが、1日帰るだけで自分の家に戻ります。

記事に書いた事がありますが、実家は夫婦喧嘩が日常茶飯事の崩壊家庭でした。
似たような環境の方は、よくお分かりでしょうが、長く休みが続く時期あるあるの喧嘩勃発で針のむしろな時期でもあるんですね。

だからこの時期の家族で過ごしたとかいう話も、ネットの記事も、まあわざわざ好き好んで見たり聞いたりしません。

とはいえ、家庭で過ごした私でもそうなので、そうでなかった方は尚更でしょうか。


大昔、私は児童養護施設の職員でした。入所当時、2歳と3歳だった男子2人と年末に会いました。
普段からよく電話で話す1人と、年に1回、誕生日に食事に誘う、もう1人と。

26歳、27歳、どちらも一見女子ウケしそうな、180cm以上のデカい出立ちの2人です。

どっちも特定の相手もおらず、デカくて損した事ない、と遠回しな自慢をしながら、アプリで相手探ししてる、と今どきな恋愛話をしてくれます。

話を聞いてる限り、中身は中高生レベルです…いろいろな意味で。母ちゃん立場の私から見たら、ですが。

これ、遠いながら彼らに近い部分もあったりして、よく分かるのですが、基本、親に大事に育ててもらった経験をしたと思えなかった子供時代を過ごした場合、他人と特に異性との関係にそれが顕著に出ます。

自分を当たり前に好きになってくれると思えないんですね。無意識に。こういう人達は、得手して自分の事も好きになれません。

まあ、親から全肯定で愛されたと思えなかったので、自分で自分をOkと思えないのは当然ですが。

2人のうち1人は、中学からほぼ学校に行かずじまいで中卒です。小さい時から誰も信用せずにまともに話をする事もなく、野生児のようだった彼も10年ほど経ち、別人の様に穏やかなやりとりが出来る大人になっていました。

田舎の家族経営の工場で長い時間かけて可愛がられたのでしょう。側から聞いていると、異性とのやりとりは、なかなか幼稚な感じが否めないので、今からまだまだ沢山の経験が必要のようです。

もう1人も同じく高校中退で中卒。時々電話してきては、他人にはできないという話をしてくる男子です。何人かは、お付き合いしてくれる相手がいたようですが、毎回相手を好きなのか自分で分からないんだそう。

「好きでいてくれてるかが分からない」と言われて、振られたこともあるんだと。

去年は、自分が関わる人に絡めて、自分の育ちについて電話してくる事が多かった彼です。それで自然と自分に向き合う事も増えたのか、話す言葉もずいぶん変わってきています。

この彼らのような人は、とにかく自分を知るという事に時間をかける必要があります。それは、中年な私自身も経験上思います。

自分の育ちや親の育ち、その親達の親子の関係等に目を向ける事によって、自分自身について気づく事が沢山あります。

後者の彼は、自分の年齢でそんな事に気づくのは遅いんじゃないかと言っていました。イヤイヤ、中年だってそれ以降だって、そんな事に気づいていない、自分の事が分からず、嫌々仕事をして嫌々夫婦生活を送っているつまんない人生の人は沢山います。
大半の人はそうじゃないでしょうか。

そんな2人、この時期はおそらく、好きな時期ではなかったはずです。もしかしたら今もかもしれなせん。

多くの彼らや私のように、この時期がなんとも憂鬱な人もまあそこそこいるんだろうな…と想像しながらこの記事を書いています。

ちなみに後者の彼は、父親とサシで、両親がどうやって出会ったのか、どんな育ちをしてきたのか、どんな理由で自分が施設に行く事になったのか、という事を長い時間かけて初めて話をしたそうです。

「分からんけど、途中で俺涙が出てきた」と言っていました。ずっと長い間フタしてきたものに触れたからだと思います。幼少期に辛かった出来事って、なかった事にはならないんですね。“過ぎた事だから別にいい”という事にはならないんです。ずっと残ったまま、それが生きづらさの原因としてついてまわります。

苦しいですが、このように言葉にして話す、涙を流す事が少しずつ自分を癒す事になります。

自分の事が好きになって、まあ生活も悪くはないと思えるようになるには、こんな事を繰り返す事が必要であり、それは、生きづらかった年数の何倍もかかります。

そうすると、少しずつ、自分にも他人にも目を向けることができます。前向きな気持ちになれる、というのでしょうか。

私は、40過ぎて50近い年齢になって、やっと自分も大事にしながら他人にも思いやりを持つ生き方ができるようになったと思います。


そんな方々が、2022年も穏やかな気持ちで過ごせますように。




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