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数字と慣れ

あなたは、SNSに投稿したときに「いいね」の数が気になる方ですか。何か行動をしたときに、結果としてあらわれる「数字」が気になりますか。

私は、とっても気になる人でした。いまも、全く気にしないかと言われると…正直、気にしている部分もあります。

よく、SNSを使ったビジネス講座などでも「発信するときに、いいねの数、フォロワーの数、コメントの数は気にしないでください」と言われると思います。私は、見栄っ張りな人間で、プライドの高~い人間なので気にしないなんてできなかったんです。前述のことを知っていても、分かっていませんでした。

ですので、自分の投稿の質=いいねの数=テストの点数=私の価値みたいなところがあったり、「このくらいの完成度でないと発信してはならぬ」という自分の中での縛りがありました。

でも、これがあると大変苦しいのです。「80点までは、作り込んでからやろう。そうしたら、相手も80点をくれるはず。」「お客様が絶対に来てくれるって状況になってから、商品を出そう。」「何個売れなきゃ出せない。」結果、やらないんです。だって、そんな目に見える点数も絶対なんて保障もないから、怖くて動けなくなっちゃうのです。

例えばなしなんですが、大学のレポートなどはしんどかったですね。いいものを書きあげたい気持ちはあるのに、教授に素直に頼れない。周りの友人は、素直に教授に可愛がってもらって質のよいレポートを書きあげている。自分はダメだと自己嫌悪する。負のループの沼でございます。

このしんどくなっちゃう原因のひとつには、私の家庭環境もあるとは思うのですが、そこは今回は置いておいて。

現在は、「このパターンがかなり矯正されたよ」っていうお話にいきたいと思います。

そのきっかけは、「私が年を重ねて、図々しいおばちゃんになったから!」というもの大いにありますが、留学していたときのことも大きいかなと思います。

20代後半からイギリスの大学へ通っていました。当たり前ですが、レポートをすべて英語で書く必要がありました。でも、私の英語力はぎりっぎり大学に通えるレベルでした。ネイティブレベルの英作文なんて、無謀中の無謀な話でした。ですが、文法が間違っていて読めないレポートなんて、採点の対象(読んでもらえる対象)じゃないんですよね。ですので、イギリス人の先生(留学生向け英語サポートの先生)とイギリス人の友人に草案の文章をチェックしてもらわねば、私は生き残れなかったのです。

「こんな内容じゃ恥ずかしい。」「こんな文章、どう思われちゃうかな。」とか言ってられない。書いた文章を読んでもらって、赤ペン先生をしてもらわないといけない、「恥ずかしがっている時間」よりもこの手間暇をかけていただく時間を作らなくては!と必死でした。(このnoteを読むことはないでしょうが、お世話になった先生と友人たちにここで感謝します。本当にありがとうございました。)

最初は、「こんなに間違えてごめん。意味の分からない文章でごめん。」だったし、「こんなに赤ペン入った。私の英語力、情けない。」でした。ですが、慣れたら「今度は、どこを直されるのかな。ワクワク♪」です。「私の間違えやすいパターン=改善点=もっとよくなる伸びしろ!もっと英語の知識がついちゃうポイント!」に変化していったんですね。人って面白いですよね。

ちなみに、私は洋画・洋楽は大好きでしたが、英語という教科においてはずっと学校では劣等生でした。いっつもテストで赤点を取っては補習に呼ばれておりました。補習常連組のメンバーで、中学高校では「(後ろから数えての)四天王」とか言われました。

話を戻しますが、「慣れてしまえば怖くない。慣れなきゃずっと怖いんだな。」と分かりました。

現在、個人で占い師(のたまご)をしておりますが、インスタグラムの投稿を始めたときは「いいねの数を非表示」にしていました。自意識過剰ですよね。でも、気にしていたんです。

ですが、「非表示にする」方がかえって、私の中で気になっていました。意識をそこに向けちゃうから。で、インスタグラムもしばらくしてから、ふとした時に「あ、もう気にしなくていいや。気にすんのやめよう。表示しちゃおう。」と思えたんですね。そうしたから投稿への恐怖心がぐぐっと下がったのと、慣れて恐怖心が下がったから非表示にできたのかなと思います。

ですので、無理してまで発信したり、無理してまで何かをする必要はないのですが、単純に行動した先の「数字」が怖い場合は、「慣れちゃう」というのもひとつ手なのかなと思うのでした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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