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やりきった 俺

50を過ぎた我夫婦 若い頃から人と同じが苦手で少し外れてたとこあったように思う

主人に感しては それが強く 南極へ越冬隊として2度も行くくらいだから ネジが一本多いのか 緩んでるのか 人と違う感は年を重ねても衰える事なく今に至る

2度目の南極から 帰ったあたりから 主人の変化はいつものごとく身体からにじみ出てて 2019年夏頃だったろうか その発言が口からこぼれ落ちた

しかも 勇気を出して!とか 意気込みいっぱいでもなくベランダでコーヒー飲みながら

「俺 今の仕事辞めて 農業やりたい」

その日から 時折 自分の構想をぶつぶつ 私に伝えてるのか 自分に言い聞かせてるのか? つぶやくようになり 2019年秋頃 「我が家は やりたい事 やりたい時にやる!  じゃん? 」と 私にどうやら 許可を求めてる

私の返事は たしか「やりたいように どうぞ」だったと思う

それまでの間に 聞いたぶつぶつ呟きは 私への暗示w だったのだろう   動機やその後の生き方 老後の楽しみ方 子供の独立 色々加味して 同感だったからそう答えたのだ

こう書くと いやらしく聞こえるかもだけど 主人はまあまあの職場で同期よりいつも一歩早い出世で 定年後まで結構安定された まあまあ良い職場と収入を築いてきていた

こんな世の中ひっくり返ったようなウイルス騒ぎの中 その安定を手放し 未経験で未知な世界へゼロから いえマイナスからスタートするんかい? と 私の中で葛藤も始まる  

不安とワクワクが 一日の中で交差し絡まりあって 寝る前には ワクワクが無理やり不安をねじ込む毎日だ

主人の行動は 想像を超え早い  いいよと私が言った数日後には 職場に 退職願いを出していた  

長女次女の卒業が決まる2021年3月をもって退職を希望したようだ やみくもに辞める じゃないとこが 応援したくなる上手い 持っていき方だ

退職願は すぐに受け取られたわけもなく 上司へ生き方や自分の想いまで 全部吐き出して 上司の心までも動かす技を出して 受理された

このまま定年まで勤務して 退職金受け取ってからその後の人生を決めてくとばかり思ってた私には うとうとしてた昼下がり いきなり火事のサイレンが鳴り出したぐらいの大騒ぎだ

でも なぜだろう そのサイレンも良き良き と心地よい部分もあり 根拠のない安心が 私を包む

そして 2020年秋の今 その時が近づきつつあるのに 来春からの主人の居場所はまだ決まってない

主人といえば 最後のご奉公とばかりに 今の職場で今まで出来なかったような企画を全て発案実行し むしろこのまま残った方がいいんじゃ? と思うぐらい楽しそう  ワクワクの前のワクワクで 毎日がイキイキしてるのだ

私はといえば そんな変わり者といるくらいだから 主人の今に 全力で応援したいとこだが 今だに ワクワクと不安は 仲良く?絡まりあっていちゃついてるw

きっと私は 収入減と家計やりくりを必死に電卓で叩いてるのだろう 人は生活水準が上がる時はスムーズなのに 下がる時は難しいようだ


たぶん 神さまは時を知って 人に見るものを与えるのだろうか 

昨年秋 台風19号で河川が氾濫し被害があった地区へ ボランティアに行った  たまたま割り当てられたお宅は 堤防が欠壊したすぐそばで 家というより 残ってる柱と屋根 そこに泥の山 と言った 言葉がみつからないような状態だった

泥をスコップで袋に詰め込みながら 涙があふれて 細菌防止のアイマスクを曇らせた

そんな作業中 そのお宅のおじいちゃんが りんごを手に 「泥かぶっちゃったけど 洗えば中身は食べれるで 持ってってよ」と 冗談を交えながら ボランティアに入ってた数人を笑顔にさせた

元気になってほしいのは被災者なのに ボランティアに入った側が 元気をいただくという 不思議な空間にふわふわいながら 自分の生活が 「当たり前」という中にいながら 当たり前でない幸せと 感謝のど真ん中にいたのだと 思った

家の中のもの全て流されて 何一つ残ってないこんな現状の中 おじいちゃんが言った 「身体は残ったで なんとかなるだろ」

衝撃的すぎて 今の自分を想ったら少し恥ずかしいという思いさえ出てきた

災害やその後のボランティア 復興など 今までテレビの向こう側で起こってる事で ひとごと だった


転職? 未知の世界? そんな不安は 少し贅沢さえ匂う

主人の構想は 60歳には 完成形

横で私は ワクワクする主人を見ながら どうなっていくのか 日記で残していこうと思う

もうはじまっている物語を 楽しみながら…










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