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内側に気づき続けるとは抱き参らせること

『嫌うことをやめなさい』と師匠は言います。

誰もが日常生活の中で心が反応することがあると思います。

僅かでも心が反応するなら嫌う心がある証拠です。

大きな反応なら誰しも気づくことが出来ますが、小さな反応となると気づくことは容易ではありません。

『それとともにあれ』と教えられてもあるのがわからないと実行すら出来ません。

そして人は嫌う心の原因が外側にあると錯覚しています。

対象があるから嫌う心が生まれるのではありません。

嫌う心があるから嫌いなものが現れるんです。

自分が嫌いなものを皆が嫌っているでしょうか?

他人が嫌っているものをあなたは嫌っているでしょうか?

原因は常に内側にあるんです。

意識を内側に向けじっくり観察してみると人は実に多くの反応をしていることがわかります。

怒り、恐怖、悲しみ、妬み、不満、緊張などネガティブなもの一切は嫌う心です。

反応は大変正直で嘘をつけないから、必ず気づくことが出来ます。

だから師匠は『意識を内側に向けろ』『油断することなく目覚めていなさい』と言うわけです。

リラックス出来ていない以上、嫌う心は潜んでいます。

どうか皆さん、油断することなく気づき続けて下さい。

気づいてそれとともにあり続けて下さい。

実体のないものはあり続けることが出来ません。

故に気づき続ければ消え去るしかないんです。

以下は師匠の教えと日月神示の一文です。


【師匠の教え】
気づきが気づきそのものに向けられると世界は消え去る。

どうやったら気づきに気づき向くかコツを覚えて行け。

外側を気にかけること辞めていくと向いていく。

探すのを辞めていくと向いていく。

今に止まると向いていく。

感覚に意識を向け続けると向いていく。

今を楽しむと向いていく。

来るものは来るに任せ、去るものは去るに任せると向いていく。

対象を探すんじゃないんだよ。

気づきそのものに気づくんです。

気づきに気づくとは私が現れる元に気づくと言うことで、私は在ると感じると言うのも同じです。

要するに心が静まると気づきは気づきに向きだす。

様々な方法試してごらん。


【春の巻 43帖】
平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。
神人共に融け合うことぞ。
外道でない善と悪と融け合うのぞ。
善のみで善ならず。
悪のみで悪ならず。
外道は夜明けくれば消えてしまうぞ。
夜明けの御用大切と申してあろうが。
外道の悪殺すでないぞ。
抱き参らすから消えるのであるぞ。


【秋の巻 1帖】
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、それは段階の低い教えであるぞ。
大道ではないぞ。
理窟のつくり出した神であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。
今までの教えは今までの教え。


【扶桑之巻 11帖】
人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申しているなれど、世の中と申すものは大神の働きの現われであるから、大神の中での動きであるから、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのぢゃぞ。
其処に底知れぬほどの魔の仕組みがあるぞ、気つけおくぞ。