諦めることの大切さ
起こること一切は決まっていると言われます。
故にどんなに努力しても思い通りにならないことがあります。
起こった事は決まっていた事なので諦めるしかありません。
また何事も努力でのみ、より良く変えていくことが出来ます。
故に努力は無駄になることはありません。
思い通りにしようとすることは執着であり、今を否定することであり、前提に恐怖があります。
より良くしようとすることは楽しみであり、今を肯定することであり、前提に喜びがあります。
思い通りにしようとすることは操作しようとすることです。
日月神示では何度も『梶(舵)を手放せ』という言葉が出てきます。
私の師匠は事あるごとに『起こったことは変えられないから諦めろ』と言っていました。
諦められない、不満を抱き続けることは我善しの現われです。
我善しの生き方は我善しを維持し続けるため、そこに喜びは存在できません。
だから日月神示で『梶(舵)を手放せ』、私の師匠は諦めろと言うわけです。
以下は日月神示に書かれていることと、私の師匠の教えです。
【光の巻 4帖】
裁判所(しらす)いらんぞ、牢獄(ろうや)いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、国も同様ざぞ。
そんなことすれば、世の中メチャクチャ
、悪人が得すると申すであろうが、誰も働かんと申すであろうから、与える政治ダメぢゃと申すであろう、人間の小智恵ぢゃ。
そこに人間の算盤の狂うたところ気づかんか、上に立つ人もっともっと大き心結構ぞ、算盤なしで梶とらすぞ、⦿(かみ)の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段下がって頭下げてござれ、あまり大き取り違いばかりぢゃぞ、悪の守護となっているからぢゃ、ここの道理わかるまでは動きとれんのぢゃぞ。
【月光の巻 56帖】
そなたは何時もあれもよいらしい、これもよいようだと迷って、迷いの世界を生み出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ。
これと一応信じたら任せ切れよ。
梶を放して鳴門の渦の中に任せ切れよ。
任せ切ると開けてくるのぢゃ。
悟れたようでいて、そなたが悟り切れんのは、任せ切らんからぞ。
そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からぢゃ。
友をつくりなさい、友つくることは己をつくることと申してあろうが。
友つくることは新しき世界をつくることぞ。
一人の世界は知れたものぞ。
一人ではマコトの道を生きて行かれんぞ。
友と申しても人間ばかりではないぞ。
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。
大地も大空も皆友となるぞ。
何もかも皆友ぢゃ、皆己ぢゃ。
皆々己となれば己無くなるぞ。
己無くなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。
御神前で拝むばかりでは狭いぞ。
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ。
拝むことは和すこと。
和すことが友つくる秘訣ぞ。
友を己とすることは、己を友とすることぢゃ。
友に捧げることぢゃ。
親は子に捧げるからこそ、子が親となるのぢゃ。
わかりたか。
赤ん坊のお尻を拭いてやることもあるであろうがな。
そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。
お尻を出すものがあっても、けっして怒ってはならん。
子のお尻と思って綺麗に拭いてやれよと申してあろうが。
お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけの訳があるからぞ。
利子は後から支払えばよいと、そなたは思っているが、先に支払うこともあるのであるぞ。
先にお尻を拭かねばならんこと
【師匠の教え】
心は勝手に動いているように見えるけれど真実は心が勝手に動くと言うことはないんだ。
心は貴方の好き嫌いに応じて動いており、それも貴方が起きた、確定した決して変えられないことに対して諦めないから動くんだ。
大事なものを失くしても諦めたら心は静まるだろう。
諦めないと心は動き続けるんだ。
貴方の意思に従って動いているんだ。
諦めないことは内面的に見ても、外面的に見ても説明したように愚かなことなんだ。
愚かだから動かし続けているんだ。
『貴方が起きた決して変えられないことを諦めないから動くんだ』
だから子供の駄々こねと同じなんだ。
貴方がどんなに努力しても希望が叶うか、叶わないのかまたはいつ叶うのかは決まっているんだ。
努力して得られたものに納得すれば心が勝手に動くと言うことはないんだ。
納得できずに子供のようにもがいているのが心の動きなんだ。
待つと言う質が究極になった時にそれはくるんだ。
心が勝手に動かないようになるこのコツ覚えろ。
努力しながらも来たものは来たに任せるんだ。
だって他に方法はないんだ。
起きたことは、物をなくしたのと同じだ。
諦めるんだ。
努力しながらも来るものは来るに任せるんだ。
来たものは諦めたら勝手に動くと言うことはないんだ。
貴方が何をどう努力しても結果は決して貴方の思うとおりにはならない。
本来結果すらないのだよ。
諦めずに一体、何が出来るんだ?
他に何も方法はないのだから今すぐに諦めてしまいなさい。
舵を握りしめているから心は反応するんだよ。
諦めると言うのは舵を放すと言うことなんだよ。
諦めて心がどんな時にも静かさを保つ時、なるようにしているであり、神の大道惟神の始まりなんだ。
これが出来ないと何も始まらないから、まずこれに専念しなさい。