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7.天河さんと役行者と八大龍王。

朝、目覚めたら、iPhone画面に、これから行く先があらわれて
それを実行に移すなんて、今、ふりかえっても、とてもドキドキするけれど

昔から、
自分自身の直感や、身体感覚はとても信用しています。



画面を見た瞬間、
あ。これは、行くやつだ。
とわかりました。

そして、そういうときの旅の計画は、とんとん拍子で進むものです。

時期は、子どもたちも休校中の秋休み。
お宿も、天河大弁財天社から車でほど近い場所に決まり、
後は、神奈川から奈良まで、車でむかいます。

旅行のためのグッズと、車内でも快適に眠れるようにと、
枕、毛布を詰め込んで夕方から出発しました。

子どもたちが車内で眠っている間に、なるべく夜のうちに無理なく、移動したい。

高速のSAに入る度に、2時間のアラームをセットし、仮眠をとります。
実は、私はこういう眠り方が大の苦手。
夜はぐっすり眠りたい。起きれない。

でも、このときは、90分感覚で、アラーム前にすっきり目ざめ、
難なく順調に進むことができました。

身体の重さも、眠気もダルさも感じなかったのは
今でもとても不思議です。



到着したのは、翌日の昼。
天河大弁財天社。初めてのお参りです。

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やっと来ることができました。


そして、お宿は、<ゲストハウス一休>さん。

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こちらのお宿から歩いていかれるほど近くに、大峰山龍泉寺がありました。

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秋が深まり、とても美しいお寺さんでした。


その大峰山龍泉寺の伝説を読んで、鳥肌がたちます。


「大峯山の登山口洞川(どろがわ)にある大峯山龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峯山寺の護持院でもあります。
 白鳳年間(645〜710)役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見されました。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられています。この泉を「龍の口」と言い、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と名付けられました。
 その後、修験道中興の祖、聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)によって再興修行され、修験道の根本道場として修行者を迎える霊場となりました。龍の口より湧き出る清水によって満たされた池は、水行場としても名高く、修行者の身心を清める第一の行場となっています。
 昭和21年(1946)洞川の大火によって、境内の建物のほとんどを焼失しましたが、昭和35年(1960)、立派に伽藍の復興がなされ、同年、女人解禁されると共に滝行場である龍王の滝も整備されました。また、境内の背に控える山は県指定の天然記念物となっており、広大な原生林が四季折々の美しい風景を楽しませてくれます。」大峰山龍泉寺HPより

 
 そして、龍の伝説が紹介されていました。
 


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<龍泉寺、龍の口伝説>
「昔のこと、龍泉寺で修行しながら働く、まじめな寺男がいました。男には、お嫁さんがまだなく、一人暮らしでした。ある日、男が家に帰ると、そこに女が立っていて、
「どうか、ひと晩泊めてください」
 と、男に頼みました。親切で人の良い男は、家に入れ、茶がゆを食べさせ、ゆっくり休ませました。
 次の日、女は男より早く起きて家の中をきれいに掃除し、朝ご飯も作りました。男は喜んで仕事に行きました。次の日も女はいて、掃除やご飯の支度など、よく世話をしてくれます。
 そして、いつしか二人は夫婦になり、かわいい男の子が産まれました。男はまじめに働き、朝、家を出て、決まった時間に帰りました。しかし、かわいい子ども見たさに、少し早く帰ることがありました。
 そのとき女は男に、子どもにお乳を飲ませたり、添い寝を見られるのは恥ずかしいので、早く帰るときは「帰ったよ」と、声をかけてくださいね、と男に強く頼みました。
 しかしある日、男は約束を破って、黙ってそうっと家に入りました。すると、部屋いっぱいに大きなまっ白い蛇が、赤ちゃんと添い寝しているではありませんか。
 男は腰を抜かさんばかりに、びっくりしました。白い蛇はあわてて女に戻り、
「私は龍泉寺の龍の口に棲む蛇です。ずっと前から、あなたに惹かれていました。でも見られたからには、もう夫婦ではいられません。龍泉寺の池に帰ります。子どもが泣けば、乳の代わりに私のこの目玉をなめさせてください」
 と言って、自分の目玉を繰り抜き、家を出て行きました。
 子どもは、目玉をなめて育ちましたが、とうとうなめつくして、なくなってしまいました。子どもがあまり泣くので、男は子どもを背負い、龍泉寺の池のそばに行きました。
 すると、池の中から白い蛇が現れて、もうひとつの目玉を子どもに与えました。
「私はこれで、両目ともなくなって夜も昼もわからなくなりました。どうか、朝に六つ、暮れに七つ、お寺の鐘を鳴らしてください」
 と、言って池の中に帰り、もう二度と再び、姿を見せることはありませんでした。子どもを思う白蛇の愛情に心打たれた男は、龍泉寺の鐘を、毎日鳴らし続けたということです。
 また、龍の口の泉は今も枯れることなく、大峯山修験者の清めの水になっています。」大峰山龍泉寺HPより

 
 ここでも、龍に出会うのです。
白龍さんでした。



今日もお読みくださり、ありがとうございます。

愛しい日々を。

また明日。

咲多美唯喜

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