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[安徳天皇西市御陵墓 + 宗像大社 沖津宮 遙拝所 + 岩神神社] カルマと向き合った先にあった真実

「物事がうまくいかなくなる時は、なぜかいつも同じような末路となる」或いは「普通に仕事をしているのに、なぜか同僚や上司からの妬み、嫉み、嫉妬を受けてしまい、仕事を邪魔されるはめにもなり、いつも自分が退職することになる」といった経験を繰り返している方は、過去世でも同じような経験をしており、その繰り返しがカルマと言えます。

上記のケースでは私が被害者で、相手が加害者という正義感をベースにした考え方に陥りがちですが、物事がうまくいかなくなる際には必ず、原因と理由があり、その原因をあいまいにして、各々の正義だけを主張してしまうと、永遠に原因に対する解決の糸口もなく、中途半端に物事が続きます。この中途半端に物事が置かれた状態がやがてカルマとなり、私たちの魂に宿り続けます。つまり不完全燃焼のまま放置された未解決事項は、私たちの一生が終わってもそのまま継続して未解決の状態であり、たとえ輪廻転生して新しい生命体として生まれ変わったとしても、魂は永遠に同じであるため、その事象を解決しない限り、魂がカルマとして持ち続けることになります。

逆にカルマを作らない・持たない生き方としては、ある事象が起こったとして、その事象に対して真摯に向き合い、根本原因を追及し続けることで、解決策を模索・実行することです。その際にはこの解決策が正しい・間違っていることを気にするのではなく、自分が考える最善の策を常に講じていくことが大切です。そして一つのカルマを解消すると、グレードアップしたカルマが到着します。このように、魂が古ければ古いほど過去世からのカルマも多く背負っており、その一つひとつを丁寧に落としていくことで、最終的には浄土へ魂が辿り着き、その時に魂の転生が終わります。そして、カルマを落とす一番の近道は、今を生きるという、執着や未練が残る過去でもなく、期待だけが大きくなる未来でもない、あるがままの私、中今です。



安徳天皇西市御陵墓(あんとくてんのうにしいちごりょうぼ) ー 山口県下関市

源平合戦最後の戦いで知られる壇ノ浦で非業の死を遂げた第81代 安徳天皇の亡骸を埋葬する陵墓として1889年、赤間神宮の安徳天皇阿弥陀寺陵が正式に登録されたが、宮内庁より参考地と指定されている安徳天皇西市御陵墓もその可能性が高い。

安徳天皇 阿弥陀寺陵
安徳天皇 西市御陵墓参考地

壇ノ浦で最期を覚悟した祖母 二位尼(平時子)が安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたがその際、天皇家により代々受け継がれてきた三種神器を身に着けて入水したため、源氏が三種神器を探したところ、神玉と神鏡は見つかったが、神剣 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)が見つからなかった。その捜索の際、西市御陵辺りにて墓安徳天皇の亡骸が見つかったため、棺に入れて遺骨を運び出そうとするが棺がその場より全く動かなかったため、西市御陵へ棺を埋葬したとされる。

安徳天皇西市御陵墓
安徳天皇西市御陵墓


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宗像大社 大島から元乃隅神社を参拝した後、三田へ向かっての道すがら、瞬間的に目に入ってきたのが石門に赤字で刻まれた安徳天皇の文字でした。とても気になったため、Uターンをしてみたところ、安徳天皇御陵墓ということが分かり、「こんな山の中で安徳天皇御陵に出くわすとは・・・」と特殊なご縁を感じて参拝することにしました。

石門と徐行の看板

安徳天皇御陵墓へはUカーブを超えてからの直線道に位置するため、気が付かずに真っすぐと通り過ぎてしまいそうでしたが、御陵の前にある一軒家になぜか気が取られたため、少しだけ徐行走行をした記憶があります。

石門と徐行の看板

石門から中へ入るやいなや、背筋がピンと伸びるような張り詰めた緊張感を感じられ、明らかに結界が張られていることが分かります。

石門

「待ってた」、「よく来た」というメッセージが心の中に沸き上がってきて、やはりご縁でこの神域に導かれたとわかりました。久久に故郷に帰ってきたような懐かしさと、とにかく見るものの全てが愛おしく、見えるものは全て見落とすことなく見たいという気持ちが先走り、まるで遊園地へ行ってどこからまわろうかと、気持ちが焦ってしまう状態となりました。

御陵周辺 案内図

時折起こることですが、訪れた場所から離れられない、或いは離れたくない、または離れることが心残りで離れられないという想いが心に湧き出すことがあります。崇神天皇の御陵でも同様の気持ちが沸き上がりましたが、安徳天皇西市御陵墓では「もっとこの場所に居たい」、「この場所でやることがあるはず」といった執着心のような強い思い入れが湧きあがりました。

特定の場所が愛おしくて、離れられないといった切実な想いが身心に湧き上がってくる場合、往々にして過去世で何かしらその土地にご縁があり、加えて過去世でやり残した物事がその土地にあるときに起こります。特に未練のような、執着心のような、心が混乱しているような気持ちが湧き出てきた場合、過去世では消化できなかった想いがその土地に残っています。そういったケースを経験するときには、その混乱した気持ちが落ち着くまで、その場所に居れるだけ、滞在することが大切です。

輪廻を繰り返している私たちの魂は、カルマが過去生に残っているからこそ、転生します。そしてそのカルマの一つひとつを解消していくことで、最終的には魂が昇華します。

カルマの解消方法は様々ですが、まずはカルマに気が付くことです。私の場合、上述のように導かれた土地でカルマに出会い、そして人との出会いや関係性を通して自分のカルマを学びます。カルマを解消していくには、そのカルマの背景や理由を読み解くことです。遭遇するカルマには必ず、理由があり、背景があります。多くの場合、自己の過去世からの因縁があります。

また同時期に、異なる場所であっても同じような歴史を持つような土地や環境へ導かれる場合、同一のカルマが背景にあるようです。私の場合、都塚古墳や菖蒲池古墳を訪れたタイミングと同時期に、安徳天皇西市御陵を訪れていることから、一つの仮説に辿り着きました。それは、無念ながらに一族が皆殺しにされたという史実があっても、実はその末裔が後世へ生き延びており、今も生きているということです。そして私はその生き延びた末裔であり、同時に私のカルマも分かりました。私が落とすべきカルマは、真実が捻じ曲げられて、無念な状況が訪れる度に、悲観的に、自虐的になってしまう思考です。

今でも安徳天皇陵の写真を見ると、心が動きます。

安徳天皇西市御陵墓 門

他方、執着や未練といった後ろ向きな気持ちではなく、むしろ、過去世から引きずってきたカルマが何であったのかが分かり、そして自分の思考を変えたことへの喜びと感謝と、自己満足です!

この経験を通して、カルマを発見することが楽しみに変わってきました。
カルマを解消する行為自体は全く楽しい体験ではありませんが、ただ、過去世から引っ張るカルマを落としていく過程で、私のエネルギーが高くなっていることに気が付きました。そして自分のハイヤーセルフにもつながりやすくなっているためか、ストレートに高次元からのメッセージを受け取りやすくなりました。本当に日々、今を生きているという充実感と感謝で心身がいっぱいです。



宗像大社 沖津宮 遙拝所(むなかたたいしゃ おきつぐう ようはいじょ) ー 福岡県宗像市大島

大島の北側には沖ノ島に鎮座する沖津宮が遥拝できる拝殿があり、空気の澄みきった日には水平線上に浮かぶ沖ノ島をはっきりと見ることが出来る。

宗像大社 沖津宮 拝殿

沖ノ島は島そのものがご神体であるため一般の渡島が禁止されており、神職以外の一般人や女人禁制とされている。島へ上陸する前には海中で禊を行ってから入島するが、島にある一木一草一石たりとも持ち出すことが許されず、今もその仕来りは厳重に守られている。

宗像大社 沖津宮 遥拝所
宗像大社 沖津宮 遥拝所
夢の小夜島(ゆめのさよしま)


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訪れたい場所として長らくの夢が叶ったと、勇み足で階段を登り始めると、後ろの方から、レンタカー会社の方が、「おねぇさーん、車を避けてほしい」と言われ、前に進むことを急いでいたため、その道を阻まれたと、とても嫌な気持ちになりました。

その瞬間、「あ、だめだ、こんな気持ちでここを訪れたわけではない」と、自分を諫めました。そして、「なぜ、足止め?」と考えていると、その日は朝から目的地へ行くことで頭がいっぱいであり、とても焦っている自分の気持ちに向き合うことになりました。レンタカーも3時間と決まった時間内で借りているため、全てを廻り切れるか不安・・・と気が付くと自分で自分を煽っていることに気が付きました。

その時、蝶々が目の前をふわーと通り過ぎました。

その蝶々が優雅に、緩やかに目の前を通っていく姿を見ながら「ご縁があって大島に来ているので焦る必要はない」と伝えてくれたようで、神様は必要なタイミングで必要な教えを学ばせてくださる・・・そして自分で自分を煽って気持ちが空回りすることも、私が過去世から持っているカルマだな、と思いました。

宗像大社 沖津宮 拝殿
玄界灘



岩神神社(いわかみじんじゃ) ー 奈良県吉野郡吉野町

岩穂押開神(いわほおしわくのみこと)という別称 国津神 石押分(いわおしわく)を御祭神に祀り、大和入りをする神武天皇を吉野へ迎えいれた神として知られている。

岩神神社
社殿背後に覆いかぶさる巨岩(正面)

吉野の山中で岩を押し開けて出て来たと言われる国津神 石押分は吉野の先住民である国栖(くず)の祖神として崇められている。

社殿背後に覆いかぶさる巨岩
社殿背後に覆いかぶさる巨岩

社殿の上にある巨石は全体の一部であり、古の時代より古代祭祀の対象として磐座信仰が行われてきたとされる。


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磐座が御神体としてこのエリア全体のエネルギーをまとめているだけではなく、この地が安住の地となるように太古の昔より、要石として結界を張る役割をもっているようです。

社殿背後に覆いかぶさる巨岩
社殿背後に覆いかぶさる巨岩

またこの磐座を参拝される際には、目の前の磐座や拝殿へ向けて祈るのではなく、空を含めてこの空間全体のエネルギーを頂戴させていただきますと思い、少し離れた所より参拝される方が良いです。磐座だけではなく、地、水、山、木、風、雲、空等々、このエリア全体が強いエネルギーで守られているため、出来れば遠目にエリア全体を俯瞰できるような所から、そのご加護いただいたほうが良いです。

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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