シルク・ヴァイオリンとシンギング・リン
先日、upしたこちら↑のYouTube動画。
音のみはsoundcloudで。
共演している山口さんのブログで取り上げて頂いているのですが、秀逸な解説ですね。
普段我々が耳にする音楽は、そのほとんどがスピーカーを通して聴くものでしょう。オーディオ・パソコン・スマホはもちろん、ライブであってもスピーカーを通すわけで。
それはそれで、一つのパッケージ化されたエンタメとして存在しているので良いも悪いも無く、そういうものとして楽しむものです。僕も大好きです。
但し、“音そのものを聴く”という経験は録音再生テクノロジーの登場と共に、それがマーケットとして普及している地域においては特に薄れるのは事実で。そもそもテクノロジー発達以前は常に生音ですし、それもつい最近までは生音文化であったわけですから、そもそも音そのものを聴くという発想すら無いのが一般的かと思います。
例えばCDでいえば、人間の可聴域と言われる20Hz〜20,000Hzを基準にして収録されています(ハイレゾとかありますが、あくまでも一般的に)。しかもその周波数帯は西洋人の耳(脳か?)に合わせた設定だという話を聞いたことがあります。
非可聴域の部分はバッサリ切って収めているわけです。
私もレコーディングしますが、一発でメーター振り切れます。
それはシンギング・リンのみならず他の楽器でも同様です(声も)。
“音の旨み”とも言える、可聴域を超えた周波数が楽器にも声にも含まれていますが、それはデジタル処理においてはカットせざるを得ないのです。
さて、ではシンギング・リンは倍音が醍醐味の楽器であるにも関わらず、YouTubeその他音源において、その旨みを殺すようなエフェクトを私がなぜ掛けているのか。
それは山口さんが仰る通り、逆説的アプローチとして、あくまでもデジタル処理されたものはフェイクであり、フェイクにはフェイクの楽しみ方がある、という前提で“創っている”ということです。
生音を浴びてこその楽器ではありますが、一つの創作物として割り切っているので、素材そのものの音に拘る必要はない、というのが配信・メディアに対する私のスタンスです。そもそも再現不可能なので。
なので、逆手に取ってエフェクト満載にしているわけです。
それでも良い音ではあるのですが、やはり生音とは別物。
音そのものを味わう、という意識を持つと色々と発見があると思います。
是非!
最後に、先週山口さんとご一緒した時の演奏です。